先日、20数年ぶりにこの紙パックのコーヒー牛乳を見かけて、ある事件の記憶、閉まっておきたかった思い出が、ブワーッと蘇ってきました。
私、小5の時に桑原くんという同級生の秀才に出会って「隠れベン(隠れて勉強)」というのを覚えるまではほんと、九九もまともにできないような子だったんです。それまで、学期ごとに転校しまくっていたせいだと思うんですけど。
それで、まだ隠れ勉に覚醒する前のこと。
その桑原くんと、友だち数人と一緒に格闘ゲームの「ストⅡ」で遊んでいた時です。彼は順番待ちの間に何やら猛スピードで紙に書き殴っていたんですね。
で、「何をしとるん?」みたいなアホ面で聞いてみたら、「クモンだよ」と。
そのクモンなる小さな紙に向かって、凄い形相で
カタカタカタカタカタッッッッッ!!!
コントローラーの連打音よりも凄くて格好良い、鉛筆の音。2次方程式を解きまくる桑原君の姿は、ケンやリュウやガイルよりも眩しいものでした。
それで自分もと、塾に入ることに。レベルにあわせて桑原くんとは別の塾を選びましたが、これが結果オーライに。
塾は、夜10時近くまで。なので、夕飯は家から弁当を持参するか、近所のコンビニかロッテリアで調達することになってました。
塾の初日の夕食。私はこの雪印コーヒー牛乳と、たしか蒸しパンを買ったんです。バカでかいのに100円で買える、三角形の黒糖蒸しパン。
夕食のチョイスとしては微妙だったなと、今は思えます。けれど、買い食いの習慣もなく、自分で夕食を決めるという買い物をしたことがなく、慣れていなかったのでしょう。
勉強をするのも、小学校受験のかすかな記憶が最後で、500mlのパックを一度に飲みきることもその日がはじめて。とにかく不慣れの連続。
転校ばかりで、不慣れには慣れていたはずでしたが、この日は違いました。
その日の最後の授業は国語で、題材は筒井康隆だったか星新一だったか。
慣れないことのダブルパンチが、急に腹に効いてきました。さっきの500mlが、今まで感じたこともない強烈な便意を催させたんです。
普通に、手を挙げて「トイレ行ってきます、先生。」そういえばいいだけ。
けれど当時の小学生男子にとって、知らないクラスで皆の前で先生にトイレの許可を得るという行為は、なかなか難易度の高い行為なわけで。
題材となった作中で、たしか地球人が宇宙空間にゴミを投げ捨てて、宇宙人が「もう戦争だ!」みたいな場面を、的確に説明した回答を選べという、そんな時間。
私の頭に浮かぶのはトイレのことばかり。
「ああ、もうダメ」「ふぅ」の繰り返す。あと10分。なんとか耐えた。
と思った瞬間、ちょっとした心の油断にすかさず最後の大波。
あっ
「ジャーーーー」。バチャバチャバチャ。
閉ざされた空間でおしっこ漏らすとどうなるか。
教室中が阿鼻叫喚、とはなりません。さすが塾。お利口さんの集まり。
ただ、シーンとした時間が教室中に流れるだけ。あと匂いも。
あれほど、時間を長く認知した日はありません。
先生がハッと我に返り、私に新聞紙を被せてくれました。
新聞紙に包まれた当時の私は、徐々に頭が真っ白になりながらも、安堵感からくる不敵な笑みを浮かべていたようないなかったような。「ちびまる子ちゃん」の漫画に出てくる縦線三つ入ってる感じ。
授業は無慈悲にも続行され、残りの5分間、私は新聞紙に包まれて授業を受けました。そのあとのことはあまり覚えていません。どうやって家に帰ったのか。包まれた新聞紙からどうやって抜け出したのかも……。
普通ならそこで終了。二度と顔を出したくない。けれど、高額な月謝を数ヶ月ぶん先払いした後の母親には通用しませんでした。
それからは、学校が終わると地獄の時間のはじまり。授業を受けていても「こいつまた漏らすんじゃねえ?」という周りの不安はかなり伝わりましたし、もはや普通にトイレに行ってもクスクスと笑われる始末。
不幸中の幸いだったのは、そのクラスに私の小学校の友達がひとりもいなかったこと。そして、最初に入るクラスは初級のAクラスで、上級Sクラスに上がれば、曜日も違うので、この件は闇に葬ることができたこと。
「一刻も早く、このおしっこクラスを抜け出したい!」。
その一心で、塾史上最速でSクラスに上がり、その勢いのまま事件から1年後、九九もロクに出来なかった私は、成績向上賞なるものを貰い(上がり幅が凄かったということ)、志望していた国立の附属中学に合格できました。
一緒に附属を受験した同じ小学校の松本くんと試験会場で抽選を待っている時(合格者の中から抽選制)、松本くんは外れたのに「おっきーまだ帰ったらダメだよ。この順だと抽選たぶん当たってるよ」と、数字も読めずに一緒に帰ろうとした自分を優しく引き止めてくれたのを、今でも覚えています。ありがとう、まつもっちゃん。
結局、頑張って入った附属中学には、親の転勤で1年しかいることができませんでした。
今度は九州から関西。滋賀県は彦根にあるの公立中学に転校。ヤンキーが怖くて公立避けてたのが、附属中学を志望した最大の動機だったはずなのに(附属じゃなければ数年先輩の千代大海関が通っていた中学校でした)。
始業式からヤンキーが「先公いてまうど」と叫びながら、先生を追いかけ回すという、塾よりもチビりそうなところ。
はじめて覚えた関西弁。「いてまうど」。
それから中高の間、なぜか勉強はさっぱりやめてしまって、手榴弾のような物が道端に転がり、夜にはパーンという何かが発射されたような音が聞こえ、酒と競馬と無法松だらけの地方の公立大学に進みました。松本くんは東大に。桑原くんは医者になり……。自分のあの勉強は何だったのか。
おしまい。
とはならず。
その後、闇に葬り去ったことすらすっかり忘れていたこの一件。ところが、10数年後、私や桑原君や松本君と同じ小学校の同級生で、仲の良かったり悪かったりしたO君が、東京で起業家となっていて再会することに。そのO君がきっかけで自分はいつの間にかインタビュアーの道を進むことになったのですが、彼繋がりの同郷人から「あれ、沖中さんって、昔おしっこ漏らしてませんでした?」と。
今日はコーヒー牛乳の日。発売からちょうど100年。日本ではじめて発売したのは守山乳業さんだそうです。