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片山修さん(経済ジャーナリスト)「好奇心があれば日々新しく、面白い」インタビュー

経済ジャーナリストの片山修さん。雑誌、書籍、Webと経済ジャーナリストとして幅広く発信されています。「好奇心があれば日々新しく、面白い」とおっしゃる片山さんに、この世界に入ったきっかけ、楽しさ、ジャーナリズムに対する想いを伺った「ほんとの話」お届けします。

こんな話をしています……

・ジャーナリストの始まりは新聞の切り抜きから

・好奇心を持っていれば、何とかなる

・働くということは、生きること

片山修(かたやま・おさむ)氏プロフィール
愛知県名古屋市生まれ。地方新聞記者を経て、フリージャーナリストに。 2001年−2011年まで10年間、学習院女子大学客員教授として教壇に立つ。 経済、経営、政治など幅広いテーマを手掛けており、『中央公論』『文藝春秋』『Voice』『潮』など、ほか多数の雑誌に論文を執筆している。長年の取材経験に裏打ちされた企業論、組織論、人事論には定評があり、50冊以上ある著書の中でも『ソニーの法則』(小学館文庫)は20万部、『トヨタの方式』(同)は8万部のベストセラーに。中国語、韓国語への翻訳書も多数出版されている。

「新聞の題字」集めからハマった活字の魅力

片山修氏: 小学生のとき、新聞を読む習慣をつけたことからこの世界に入りました。もう亡くなられたのですが、小学校の5~6年生時の担任の先生が、毎朝授業前に、その日の新聞に出ていた話題についてどう思うかなどを話してくれました。それで新聞に興味を持つようになり、新聞の切り抜きをはじめたんです。姉が言うには、親父が新聞を読む前に、自分が切り抜きしてしまうので怒っていたようですよ(笑)。

新聞のスクラップが習慣になった頃、今度は新聞の「題字」にも興味を持つようになりました。近所にお米屋さんがあったのですが、そこには全国からお米が集まってきていて、そのお米は各地の新聞紙で包まれていたけです。そのお米屋さんと仲良くなって、「南日本新聞」や「秋田魁新報」など、地方新聞をもらっては題字を切って集めたりしていました。

ご当地新聞の題字を眺めながら「どういうところなのか」と想いを馳せ、日本の地図を意識しはじめたのもその頃でしたね。ぼんやりとしたものでしたが、「将来は新聞記者か雑誌記者になりたい」と思い始めたんです。

読書の習慣もその頃から始まります。マンガはあまり読みませんでしたが、山川惣治さんの『少年王者』や、坂井三郎さんの『零戦シリーズ』などは読んでいましたね。近くに古本屋さんが結構あって、そこに毎日のように通ううち、古本屋の親父さんと仲良くなりました。活字本を読みだしたのは、その頃です。パール・バックの『大地』とか、ドストエフスキーの『罪と罰』を、中学生の後半ぐらいに読んだ記憶があります。

――だいたい店主の親父さんと仲良くなるところからはじまる(笑)。

片山修氏: そうそう、「現場のキーパーソンと仲良くなる」。聞き込みは、ジャーナリストの基本だからね(笑)。高校では、もっと今の仕事に近くなっていきます。当然ジャーナリズムに興味があったので、新聞部に入るのですが、取材に行って記事を書くという、新聞記者の真似事をしていました。 学校で文楽や狂言、浄瑠璃語りの人を招いていたりしていたのですが、後に人間国宝になったような人もいたかな。そうした人たちへ取材するうちに、「ジャーナリストになりたいな」と明確に考えるようになりました。

こういうと、小さいときから進む道を決めていて、まじめに思われるかもしれませんが、違いますね。新聞部での活動以外は、遊んでばかりでした。映画が好きだったので、学校の近くにあった映画喫茶に、悪い友達と授業をさぼり学校の塀を乗り越えて、映画を見に行ったりしていましたね。

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