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名郷直樹さん(総合診療医)「“かけがえのある”自分で、“適当”につきつめる」インタビュー

 

「健康に関するあらゆる問題に対応する」――武蔵国分寺公園クリニック院長の名郷直樹さん。長年地域診療に携わってきた経験を、都市部の総合医療に活かされています。ここに至るまでの歩みは、けっして「やりたいことをすすんで得た結果」ではありませんでした。名郷先生の限定しない強さ、「“適当”につきつめる」こととは。
こんな話をしています……
学びは色んなところに転がっている
・「適当に」という言葉には、ポジティブさとネガティブさの両方が兼ね備えられている
(物事の)つきつめ方は、ひとつではない
名郷直樹(なごう・なおき)氏プロフィール
1961年名古屋市生まれ。1986年に自治医科大学を卒業後、名古屋赤十字病院での研修を経て、愛知県山間部の作手村国民健康保険診療所に4年間勤務。1992年から3年間の自治医科大学での研修ののち、再び作手村国民健康保険診療所へ戻り8年間勤務。2003年より社団法人地域医療振興協会でへき地医療専門医の育成に携わる。東京北社会保険病院の臨床研修センター長を経て、武蔵国分寺公園クリニック院長を務めている。

健康に関するあらゆる問題に対応する

名郷直樹氏: 長年携わってきた地域医療医の育成と研究がひと段落し、2011年に、ここに武蔵国分寺公園クリニックを開設しました。外来の患者さんの多くは学童期に入る前の子どもたちですが、その親世代、さらに高齢者と幅広い患者さんを診ています。在宅医療は現状で170人くらいの訪問患者がいます。それらを常勤医6人体制で見守っています。年代も違えば症状も様々ですが、色んな患者さんが訪れる、地域の総合診療所になっています。

――「健康に関するあらゆる問題に対応」をモットーにされています。

名郷直樹氏: 田舎の診療所でやっていたことを、都会でも実践しているという感じです。長年の地域医療の経験が活きています。これでも医者になりたての頃は、患者に対して厳しい医者でしたが、地域の患者さんに教えられ、今では少しは優しい医者になることができました。この世界に進んで30年になりますが、節目節目には、やりたいことというより、やらなければいけないことが、私をこの道へと誘い歩ませ続けてきました。



「こだわりを持たない、こだわり」で進んだ道

名郷直樹氏: ぼくは名古屋の出身ですが、小さい頃は落ち着きのない子どもで、いろいろ問題も多く、落ち着いて勉強をするようになったのは中学生に入ってからでした。実は父親があまり働かない人で……自分がしっかりしないと、という気持ちを持っていたように思います。数学や物理などの理系科目が得意だったので、医者に限らずそうした理系分野で手に職をつけて生きていこうと思っていました。考えてみるとこの頃から外部の環境に大きく左右されていましたね。

医者を将来の道に選んだのは、大きな目標があったわけではなく、いよいよ両親も離婚し、大学進学のためのお金もないというところで、自治医科大学であれば奨学金もあるし生活費もまかなえるという理由からでした。 各県で2名の枠しかなかったのですが、運良く合格しました。自治医科大生には、将来医者になる義務が生じ、果たせなければ数千万円の借金を背負うことになります。ですので、卒業まで真面目に学生生活を過ごしていました。

大学卒業後、故郷の名古屋で2年の研修を経て、愛知県の作手村へ自治医大の義務を果たすべく赴任しました。普通は2年か3年で後期研修へ移るのですが、何をやってよいのか分からずそこで4年間いました。その後、再び研修のため母校に戻る際に、何か予習しておくことはないかと先輩に聞いたところ、これでも読んでおけと一冊の本を紹介されました。それがDavid L Sackettの『Clinical Epidemiology』でした。そこから衝撃を受け、EBM(evidence-based medicine)の道に進むことになりました。

学びは色んなことに転がっている。」

とりあえず与えられたものの取り組んでみることが、案外大事なのだと実感しました。この一冊との出会いは私のその後の考え方に大きく影響を与えましたね。

――そこではじめて、「目標」が。

名郷直樹氏: ただ、燃えすぎて失敗してしまいました(笑)。前半で出来ていなかった地域医療への恩返しとばかりに意気込んでいたのですが、かえって衝突が多くなり、やりたいことを成し遂げられなかったのです。一生懸命、も大事ですが物事を成し遂げるために「適当につきつめること」の大切さを実感しましたね。 その後、2011年まで地域医療研究所の地域医療研修センター長として地域診療医の育成に携わったあと、ここに開院して今に至ります。

医学のサイエンスを身近に

――そうして得た経験を、本に記されています。

名郷直樹氏: 医学専門書以外にも、この仕事を長年やっていると、伝えたい想いや、書き留めておきたいネタはたくさん出てきます。そうした時に連載の依頼をたくさん受けたのがきっかけです。 はじめて一般向けに出版された『「人は死ぬ」それでも医師にできること』は、自らの頭にあった出来事を、棚卸しする気持ちで書きました。担当編集者から依頼を受けたとき、自由に書いてよいというお墨付きを頂き、読者を限定せず、本当に自由に書きました。自分のような人間が医者になってよかったのだろうかと感じたエピソードも書いていますが、十数年かけてようやく文字にして、楽になった気持ちがしました。その後もいくつかの本を、書かせて頂きましたが「難しいことをやさしく」、小難しいと思われている医学に、もっと親しんでほしいと思って書いています。どの本についても言えますが、なにか「こう読むべき」だとか、そういうこだわりは持たずにやっていますね。

適当につきつめること かけがいのある自分を生きる

名郷直樹氏: ぼくはこだわりを持たずにやってきました。本当に寝ても覚めてもやりたいことがあれば、とことんやれば良いと思います。でも、もしそうで無ければ、目の前のことを「適当に」やれば良いと思っています。適当にという言葉には、ポジティブさとネガティブさを両方兼ね備えた要素があって、ぼくは好きなんです。 「適切に」となるとポジティブさが際立ってしまって、強制された感じがしてしまいます。

――何かを強制された途端、それは息苦しいものになる。

名郷直樹氏: もちろん、せっかく生きているのですから何かを考え、つきつめた方が良いとは思います。ただ、そのつきつめ方は、ひとつではないのです。「適当につきつめる」。それは問題への対処の仕方も同じです。ぼくが今まで診てきた患者さんの中には、重大な悩みを持った方も少なくありませんでしたが、みな親子関係など「かけがえのない」関係の中で、もがいています。ぼくの発信する言葉は、そうした現状に対するカウンターパートでもあります。 「かけがえのない」ではなく、「かけがえのある」自分として、適当に生きていく。そうすることで、もっと楽に生きられるのではないでしょうか。そうしたメッセージを、ぼくの仕事である医療の世界から、これからも伝えていきたいと思います。