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高橋昌一郎さん(科学哲学者)「本は知的刺激の出発点」インタビュー

論理学と哲学を専門とする國學院大學教授の高橋昌一郎さん。「本を知的刺激の出発点に」と語る高橋さんに、ディベート論、論理学と哲学の出会い、そして読書に対する想いを伺ってきました。

こんな話をしています……

(ディベートは)論点を明らかにしていく過程で、それまで気付かなかった考え方を発見し、そこからまったく新しい発想を見出すことが重要

本は、私から切り離せないものになった

(本を)発見の喜びを感じるための出発点にしてほしい

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)氏プロフィール
1959年大分県生まれ。ウエスタンミシガン大学数学科および哲学科卒業、ミシガン大学大学院哲学研究科修士課程修了。専門は論理学・哲学。著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『ゲーデルの哲学』(講談社現代新書)『東大生の論理』(ちくま新書)『小林秀雄の哲学』(朝日新書)『哲学ディベート』(NHKブックス)『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。1991年に天文学者寿岳潤、物理学者大槻義彦らとJAPAN SKEPTICSを設立、科学・批判的思考の発信も積極的に行っている。

新たな発見こそ、ディベートの醍醐味

――高橋先生のゼミでは、「ディベート」がキーワードということですが。

高橋昌一郎氏:私のゼミは、論理的思考を原則として、日本の論点から国際関係、異文化コミュニケーションからメディア論まで、現代社会で生じる問題すべてをテーマとしています。学生が自由に問題を提起し、ディベートを通して論点を追究しながら、卒論を完成させる形式になっています。

ディベートで重要なのは、意見が違うという結論ではなく、なぜ意見が違ってくるのか、その理由を明らかにすることです。これは『哲学ディベート』(NHKブックス)という本にも書いたことですが、なぜ賛成なのか、なぜ反対なのか、論点を明らかにしていく過程で、それまで気付かなかった考え方を発見し、そこからまったく新しい発想を見出すことができる。

議論していくうちに新しい視点が見つかる。そこが一番面白いところです。哲学ディベートの目的は、あくまで新たな発見にあります。哲学ディベートによって知的刺激を与え合い、そこで培った発想や方法は、社会に出ても大いに役に立つ。自分の気付かない論点を探していくうちに、いかに自己主張して相手を説得するかだけではなく、いかに他者を理解すべきか考えられるようになるわけです。

――ディベートをする上で注意すべき点は。

高橋昌一郎氏:最近の学生諸君は、自分自身が賛成か反対かを考える前に、すぐにインターネットで調べてしまう傾向がありますね。たしかに情報検索は論点整理には役立ちますが、結論を誘導するような主義主張に踊らされてはならない。最終的には、問題から抽出した論点に自分自身の価値観や倫理観で立ち向かって判断する必要があるでしょう。それが欠如すると、結果さえよければ何をしても構わないという成果主義に陥ってしまいます。

成果主義の弊害は、ある種の「欺瞞」が生じることです。たとえば京都大学合格という結果だけが欲しければ、手中に隠したスマートフォンを駆使してカンニングすればよいし、『ネイチャー』に論文を掲載したければ、文章や図表をコピペで作成し、実験結果も捏造すればよいことになる。残念ながら、この種の欺瞞は学問領域全般に広がっている。ちょうど今、この問題に関する『学の欺瞞』(講談社現代新書より出版予定)という本を書いているところですよ。



読書によって考えるクセがついた

――論理学と哲学の道を志すようになったのは。

高橋昌一郎氏:どちらも比較的早い時期に興味を持っていました。幼少期の父の教育方針に依るところが大きかったかもしれません。父は心理学者でしたが、ほとんど放任主義で、とくに何かをやれと言うこともなかった。ただ子どもがテレビを見ることだけは一切禁止で、私は小学校の頃に大流行していた「ドリフターズ」が何かさえ知りませんでした(笑)。

仕方がないので、暇な時間に本を読むようになったわけですが、本だけはいくらでも買ってくれたし、父の書斎にある本も勝手に読んでいました。結果的に幼少期から膨大な読書ができたことは、テレビ禁止の賜物だったと感謝していますよ。

テレビそのものを否定はしませんが、子どもが没頭して見ることには注意が必要でしょう。映像は、視覚と聴覚に同時に膨大な情報をどっと流し込みますから、その渦中に巻き込まれて、自ら思考し判断する能力が低下する恐れがあります。本だったら文字しかないから、すべて自分の脳内で組み立てなければならないでしょう。

――どのような本を読まれていたのですか。

高橋昌一郎氏:小学校の頃は、シャーロック・ホームズにアルセーヌ・ルパン、太閤記や三国志、アイザック・アシモフやアーサー・クラーク…。推理小説、歴史物からSFへ進んで、高学年の頃には大人の文庫本を読んでいました。あらゆる種類の本を読むことで、いろいろなことに興味が出てきて、読んでわからなかったら、別の本で答えを探す。そこから本は、私から切り離せないものになったのです。

中学から高校にかけて、一番興味があったのは宇宙論で、天文学や宇宙物理学の本を読み進めていくうちに、「宇宙はなぜあるのか」、「生命とは何か」、「そもそもなぜ我々は存在するのか」というところに考えが向かい、哲学にも興味が湧いてきました。すると、父の友人のウエスタンミシガン大学の物理学の教授が「お前の子どもは変わってるから、こっちに寄こせ」と言ってくれて(笑)、アメリカへ行くことになりました。

学びは領域の枠を超えて

高橋昌一郎氏: アメリカでは興味のある事柄を、領域の枠を超えて学べることができました。ただ最初は、授業の英語が聞き取れず大変でした。悔しいから、朝から夜まで勉強ばかりしていましたよ。

最初はアメリカ人の学生の友達を作って、いろいろと教えてもらいました。数学科と哲学科、二つの学科に籍を置いていました。アドバイザーから「留学生が二つの学科に籍を置くのは大変だから無理」だと言われましたが、私はその両方をやりたかったので…。いわば理系と文系の両面から論理というものを理解したかったのです。

アメリカの大学は日本の大学と違って、とくにCOLLEGE OF ARTS & SCIENCESでは理系・文系の区分けがなく、非常に自由にカリキュラムを組むことができます。

日本では、文学部では文系中心の勉強になるし、理学部では理系中心と、どうしても履修科目に偏りが出る傾向がある。「教養学部」のような形で理系・文系の枠を超えようとしている学部もありますが、高校から始まる縄張り区分を排除することは難しそうですね。

それでとにかく猛勉強しているうちに、学科でトップになって「プレジデンシャル・スカラー」という賞をもらった。そうしたらアメリカ人の学生の方が、私に「教えてくれ」と聞きに来るようになりました(笑)。

――数学と哲学の中で論理を追求するようになったんですね。

高橋昌一郎氏: 根本を追求していくうちに、そこに行き着いたという感じです。ミシガン大学の大学院では様相論理学を専門にして、いろいろな公理系の不完全性を調べたりしていた。そこでアラン・ギバード教授に出会いました。

ギバード先生は、倫理学者、とくに意思決定論の専門家で、その不完全性のような構造が、論理の世界だけではなく、投票や選好のような経済の世界にもあることを教えてくれたのです。どちらかというと論理の「専門バカ」になりかけていた私を、現実世界に引き戻してくださった感じですね。

それから哲学科の指導教官がイギリスに移ることになって、「オックスフォードに一緒に行かないか」と誘われました。かなり悩みましたが、それは非常に専門化された「論理学者」として生きていくということで、私は、その点だけに興味を絞ることができませんでした。いろいろな学問領域にある「限界」を研究してみたかったのです。ちょうどその頃、ペンシルベニア州立テンプル大学に日本校ができることになったので、そこの講師となって日本に帰国しました。

本を手がかりに知的刺激を感じてほしい

――探求したい事柄は一つではなかったと。

高橋昌一郎氏: アリストテレスが学問の出発点は「WONDER(不思議)」だと述べています。少年時代にあらゆる種類の本を読んだことが原因かもしれませんが、今でも私はどんな分野においても不思議を発見し、そこに喜びを見出したい気持ちを抱いています。結果的に私がいろいろな本を書いているのも、読者にそのような発見の喜びを感じるための出発点にしてほしいという想いがあるからです。

私が最初に書いたのは『ゲーデルの哲学』(講談社現代新書)ですが、これは帰国してすぐ、講談社の名物編集者の上田哲之氏が「書いてみないか」と話をくださったことがきっかけです。こちらは私の専門分野に関わる本でしたが、それでもわかりやすく書くのが大変で、完成までに7年かかりました。そこから同じ講談社現代新書の『理性の限界』に繋がっていくまでには、さらに8年かかりました。

この本は 3冊分の内容が入っていますからね(笑)。私も当初「1冊でやるのは無理」だと言ったのですが、上田さんは、経済学と物理学と論理学というまったく別の分野のなかに「限界」を見出してまとめることに意味があるのだからと、励ましてくださった…。

その結果、「アロウの不可能性定理」、「ハイゼンベルクの不確定性原理」、「ゲーデルの不完全性定理」の3つの内容が1冊に盛り込まれてしまった(笑)。

これだけの内容を織り込みながら、わかりやすくするために、専門家から一般人まで数えきれないほどのキャラクターが登場する奇妙な対話形式を生み出しました。

その後、続編『知性の限界』と『感性の限界』も執筆しましたが、限界シリーズ3冊の参考文献は合わせて250冊を超えます。私の作品の読者には、ぜひこれらの文献も参照していただければと願っています。

――考える出発点が「本」なのですね。

高橋昌一郎氏: そう。逆に「この本にすべて書かれている」とか「この本さえ読めばすべて大丈夫」という本があったら、それはニセモノだということです。本の目的は、それが大いなる知的刺激を読者に与え、常に出発点となること。それは専門書でも同じで、それ以上のものを本に期待すべきでもないと思っています。

今はありがたいことに、方々から出版の話が来ています。これからも論理的思考を基盤に置いて、様々なテーマで「知的好奇心」を刺激する作品を書いていくつもりです。