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冨田勝さん(慶応義塾大学先端生命科学研究所所長)「やりたいこととやるべきことを繋げる」インタビュー

慶應義塾大学環境情報学部、同大先端生命科学研究所所長を務める冨田勝さん。カーネギーメロン大学大学院にて、ノーベル賞学者H.サイモンの研究助手として人工知能の研究をされてきました。気概を持った次世代の人材育成の必要性を説き、高校生を対象としたさまざまな教育催事の企画を手掛け、高校生が最先端研究に参画する教育プログラム「高校生研究助手」制度などを企画、実施されています。「やりたいことと、やるべきことの接点を見いだすことが大切」という冨田先生に、研究者を取り巻く日本の環境、そして未来を担うべき若者の教育における熱い想いを伺ってきました。

こんな話をしています……

「面白いね」と言わせることがサイエンスの本質

興味に勝る動機なし

「やりたいことと、やるべきことを一致させる」

冨田勝(とみた・まさる)氏 プロフィール
1957年東京生まれ。慶應義塾大学工学部卒業後、米カーネギーメロン大学に留学し、1985年に博士号(Ph.D)取得。1994年に京都大学より工学博士、1998年に慶應義塾大学より医学博士取得。 1988年にレーガン大統領より米国立科学財団大統領奨励賞受賞。その後、日本IBM科学賞(2002)、科学技術政策担当大臣賞(2004)、文部科学大臣表彰科学技術賞(2007)、福澤賞(2009)、国際メタボローム学会功労賞(2009)、大学発ベンチャー表彰特別賞(2014)などを受賞。 2003年にヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ株式会社(HMT)を創業。2013年に株式上場(東証マザーズ)を果たした。

“遊び感覚”が自由な発想を生み出す

――慶應鶴岡キャンパス開設から、先端生命科学研究所の所長を務められています。

冨田勝氏:所長を拝命した当時は、研究所の名称も研究内容も白紙で、「君にすべて任せるから、とにかく世界が振り向くような研究所にすること」ということが唯一のミッションでした。とかく日本では、「研究所は研究施設があればいい」という考えなのか、ワクワクしない雰囲気を感じていました。

一方、欧米の研究所や大学にはテニスコートや、インドアプールやサウナ、ジャグジー、バー、レストラン、ゲームセンターやビリヤード場もあり、研究を行う上で必要な自由な環境が認知されていました。 山形県鶴岡市にある慶應鶴岡のメインキャンパスは鶴岡公園の真ん中にあり、春は桜がきれいに見える素晴らしい建物ですし、もう一つの実験キャンパスも様々な工夫をして、研究者や学生がワクワクするとても魅力的な建物になりました。今の日本のサイエンスに足りないのは、遊び感覚。酒を飲みながら語らうとかお風呂に入ってリラックスするとか、そういうところからアイディアが出てくるのです。

私たちの研究所における一番の悪口は「普通」。「それ普通だな」と言われることは全否定を意味します。「面白いね」と言わせることがサイエンスの本質だという文化が根付いています。大学でも企業でも同じかもしれませんが、予算をとる場合は、まず研究計画を3年ぐらい先まで書いて、最終ゴールに向けて1年目、2年目、3年目はこうするというものを書かなくてはいけません。でも、3年後にどんな成果が出るかというのがわかっていたら、それはもう「研究」ではなくて「開発」ですよね。研究というものは、試行錯誤の繰り返し。研究結果を見て、次に何をやるかを考えるものなのです。

また、目標を達成できたかどうかで評価されるのならば、目標自体を低く設定しようと思ってしまうかもしれません。そういう雰囲気が、日本のサイエンスを停滞させ、面白くなくさせている。そこを根本的に変えなくてはいけません。そのためにも、とんでもなく楽しそうな研究所を地方都市に作って、成功例を見せることが必要だと僕は考えています。

――計画通り結果を追いかけなぞるのはサイエンスの楽しみを半減させている、と。

冨田勝氏:小学校で先生が用意した実験実習というのも、入り口としてはすごく重要なのですが、真のサイエンスの楽しみというのは、先生も答えを知らない問題の答を見つけること。世界の誰も解いたことのない問題に挑戦しているという、そういう自負やプライドがモチベーションになります。

そういったことに挑戦して上手くいったりすると、うれしくてやみつきになります。先生すら知らなかったことを研究して、「それ面白いね」と先生に言ってもらえることが快感なのです。 教科書に書かれている内容を粛々と勉強して、テストで良い点を取ることを目指す今の教育システムをすべて否定するつもりはありませんが、独創性のあるユニークな生徒にしてみれば、教科書の勉強はつまらなくて疲弊してしまうだけ。

よく学力低下を問題視する人がいますが、そもそも高校時代の勉強をちゃんと覚えている日本人の大人がどのくらいいるでしょうか。結局覚えているのは、興味を持って自分から一生懸命勉強したことだけで、テストのために勉強したことはすっかり忘れてしまっていますよね(笑)。だとしたら、興味のあることを徹底的に調べたり自由研究をするほうがよっぽど良い。教科書の勉強が得意な人が先生になって、自分と同じような生徒を再生産しているようでは、閉塞感を生むだけです。

僕自身は、教科書の勉強は大嫌いで、僕が一生懸命勉強をするようになったのは、20歳の時のコンピュータとの出会いと、30歳の時のヒトゲノムとの出会いのおかげでした。



興味に勝る動機なし

冨田勝氏:生物学の魅力は、まだ知られていないわからないことだらけだということ。細胞分裂も、現象としては教科書に書いてあるけれど、DNAの情報をどうやって間違えずにあんなにうまくコピーできるのだろうか、というような、本質的な疑問には誰も答えを持っていない。植物には光合成という素晴らしいシステムがあるのに、なんで動物は持っていないのか、というような色々な疑問があるのが面白かったのです。でも教科書にはわかっていることしか書いてない。だから生物学の本当の魅力が伝わりません。

僕は、コンピュータープログラミングも全部独学です。大学2年生の時に、情報処理実習という必修科目があったのですが、その時はあまり面白く感じませんでした。けれども、インベーダーゲームを見て、どういう風にコンピュータを使えば、こんなに面白いものができるのかが知りたくてたまらなくなりました。

大学の先生に聞くと「それはマイクロコンピュータって言うんだよ」と。それで本を読んで、超マニアックなマイコンのプログラムを自分で作ってみたりもしました。本当に楽しかったですね。自分が興味を持って勉強すると、効率よく身について忘れることもありません。もし高校時代に数学をサボっていたとしても、自分がやりたいことのために必要になれば、本気で勉強すればひと夏で取り返せると思いますよ。

――興味に勝る動機なし、ですね。

冨田勝氏:ただし一つだけ、ひと夏ではどうにもならない科目があります。それは英語です。語学をマスターするには時間がかかりますので、必要に応じて勉強するのでは遅い。英語は小学生の九九と同じで、地球人として生きていくために必要なものです。私の研究室の学生には「TOEIC(英語検定試験)を毎月受けて、スコアを持ってくるように」と言っています。730点を目標とし、英語の苦手な人はまずは最低でも590点を目指す。

ある俗説では、“TOEICのスコアは1点上げるのに3時間の勉強が必要”だと。それが本当だとすれば、100点上げるのに300時間だから、そこから逆算して、1年かけて点数をあげるとすると1日平均、1時間で大丈夫。そういう計画をきちんとたててやるようにと言っています。僕の場合は留学する時に、高校の時に英語を勉強しなかったツケが、きっちり回ってきましたよ(笑)。

TOEFL、TOEICなどの検定試験にはコツがあって、予備校などに通ってそのコツをつかむとすぐに30点~50点あがります。でもコツをつかんでからが大変で、さらに点数を伸ばすためには、地道に単語数やイディオムを増やすしかありません。だから、コツをマスターした後は、1点上げるのに3時間かけて地道に勉強するしかないのです。「海外に住めば、英語が上手くなる」と思っている人が多いですが、それはスーパーでの買い物や、レストランでの会話に関してのことです。

渡米したばかりの日本人にはレストランでの会話もよくわからないので「日本の英語教育は現地で通用しない」という風に思ってしまいがちですが、実はそれも大間違い。そういった日常会話は、英語力というよりパターンマッチング。“What kind of dressing would you like?”と聞かれて、1回目はわからなくても、3回目ぐらいにはわかるようになります。買い物などのレベルだと、1、2ヶ月ぐらい生活していると、問題なく聞きとれるようになります。

でもそれよりも少し踏み込んだ会話、たとえば苦情を言うとか、反論するといった会話には、英語の実力つまり単語数とイディオム数などが物を言うのです。一つの会話の中でわからない単語が一つだけならば、まだなんとかなりますが、わからない単語が二つ以上あったら、もうその会話はまったくちんぷんかんぶんになってしまいます。だから、日本にいる時に地道に勉強した人は、その後の伸びが早いし、中級レベルの会話にもすぐついていけるようになります。英語に必要なのは、地道な努力。英語は勉強というより「地球人としての躾」と言っても過言ではないと思います。

―― 10年に亘るアメリカ滞在をされても、感じますか。

冨田勝氏:私は議論になった時、日本語だと言い負かす自信があるのですが、英語だとハードルが二つぐらい上がって、議論下手、口下手になってしまいます。それは10年アメリカにいてもかわりません。そういった越えられない壁があるので、小学生の頃から英語で議論したり、そういうバイリンガル教育を受けていたらどんなによかったかと思ったりもします。幼稚園や小学校低学年の幼少期から英語を勉強するということは、私は大切なことだと思います。

僕がビジネスでもサイエンスでも手強いなと思っている新興国は、英語が公用語であるインドやシンガポール。国策で英語を公用語にしている国は、50年後はすごく強くなると思います。結局、小学校の中学年ぐらいまでの語学力が後にも影響するので、その時までに英語をやっていなければバイリンガルにはなれず、英語は永久に外国語のままなのです。

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