長野県を日本で一番の長寿県へと導いた「健康づくり運動」に始まり、国内外を問わず困窮した人々に支援援助活動を続けている医師の鎌田實さん。長年にわたる多くの支援活動を支えてきたのは、あと少しの「1%の力」でした。「もっと自分を出し切りたい」と話す鎌田先生の原動力、生き方に影響を与えた人間や読書、シリアでの支援活動で見えてきた本質とは何かを伺ってきました。
1948年生まれ、東京都出身。 東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県・諏訪中央病院へ赴任。「健康づくり運動」「住民とともに作る医療」を実践。チェルノブイリ、イラクへの医療支援にも取り組み、3.11以降は東日本大震災の被災地支援に力を注いでいる。 著書はベストセラーとなった『がんばらない』(集英社)をはじめ、『1%の力』(河出書房新社)、『未来を生きる きみたちへ:「二分の一成人式」で伝えたい いのちの話』(小学館)、『こわせない壁はない』(講談社)、『ほうれんそうはないています』(ポプラ社)など多数。
ゼロから1%動けば、人生は変化する
――このほど『1%の力』を出版されました。
鎌田實氏: 自分の人生を100%変えることはなかなかできないのですが、身につけてしまった生活習慣を、1%なら変えられるのではないかと思いました。それで、「健康づくり運動」という活動の中で、「1%変えてみませんか?」と提案していました。すると、不健康で寿命の短かった地域が、日本一の長寿地域になったのです。それで、ここ5、6年は、「1%は誰かのために生きてみましょう」という習慣が付いていました。
これは科学的にも、体にいいと分かってきていて、例えば少しだけでもボランティアをする集団のほうが、高血圧になる率が40%も少ないんですよ。また、ビジネスでも自分のことだけを考えている人は、短期的に見るといい結果を出していても、長期的に見るとどこかで足をすくわれたりしています。ですから「1%誰かのために生きている」方が、長い目で見ると結局自分自身を生きやすくしたり、自分のビジネスを成功させているのではないかと思います。自分の周りの居心地がどんどん良くなっていって、職場の空気や家の中の空気、地域の空気などが変わるのです。
僕は医療支援で外国に行き続けているのですが、自分一人で何十パーセントもの部分を使って、何十年も持続することできないけど、自分の中に占めるたった「1%」だったら誰かのためにやれるかなと思いました。そういう意味で『1%の力』という題名にしました。100%の力を出し切って生きている人たちが、さらにあと1%力を注いだ時に、ビジネスも何か途方もない想像外の成功を収めるのではないか、1%の愛で人生の物語が始まるのではないか。書いているうちに、そう気付いたのです。
ビジネスでもあと1%、人生だってあと1%、人生を変える時もゼロから1%動けば、何か人生は新しく変化していくのではないかと。1%というのには不思議な力があるのです。
――その「1%の力」を広げて、様々な支援活動をおこなわれています。
鎌田實氏: チェルノブイリには、100回くらい医師団を派遣し、約14億円の支援をしてきました。イラクではちょうど10年前から、約4億円のお金を集めて、アルビルというところに拠点を置いて、そこの難民キャンプを援助しています。NPOの活動費は1億8000万円ぐらいで、そのお金をとにかく稼がない限り、東北の支援もイラクの支援もチェルノブイリの支援もできません。僕は、交通費も日当ももらったことは一度もありません。全部自分のお金で自腹を切って、外国へ行く時も自分の交通費で行きますし、日本国内をNPOのために動いても一銭ももらわず、全部自分で支払いながら1億8000万円のNPOの収入を得ます。
――暴力による応酬が続いています。
鎌田實氏: アメリカを中心とする有志連合が武力で対処していますが、暴力に武力だけでは完全ではありません。人間の心をコントロールするには、同時に愛の力が必要だと思うのです。「希望の足プロジェクト」と言って、戦争で傷ついたりイスラム国との攻防で、足を切断された子供たちに義足を作ったり、過激派に洗脳されてテロリストにされないよう、難民キャンプの子供たちが学校へ行けるようにしたりというプロジェクトを始めました。
また、アルビルの周りに集結している4万人の難民、イスラム国による横暴の被害者を助ける活動をするために、関係各所にも要請しています。彼らが少しでも人間らしい生活ができるようにと思っています。 ヨルダンとシリアは陸路でつながっているので、50万人ぐらいが難民として隣国シリアから逃げてきています。
そのヨルダンの難民キャンプや貧民街にいる病気の子供たちを訪ねて医療が受けられるようにしてあげたり、手や足が動かなくなった子たちのために、シリア人の専門家の方々を再教育し、リハビリを充実させて、なんとか歩けるようにしてあげようという活動も始めています。
『1%の力』は、初めは自分のために書いていたような感じもあったのですが、印税は100%、寄付やそういった活動のために使おうと思っています。子供の頃に親に助けられて、色々な人のお陰で生きてこられたので。自分がしてもらったようなものを、困っている子供たちに恩返しができたらいいなと思っています。
――恩返し、とは。
鎌田實氏: 両親がいなくなってから、父が僕を拾って育ててくれました。僕が高校3年生の時に、父が「俺は何もしてあげられないけど、自分の責任で生きる限り、もう自由に生きていい」と。それは父親になってくれた人からの最大のプレゼントでした。チェルノブイリに行く時も、イラクの支援をする時も、福島の第一原発の事故が起きた時も、30キロゾーンに初めて入る医師団の1人として被災地の福島に入っていった時も、僕は自分自身が自由だから、自分の判断で行けたのだと思います。父のお陰です。
「朝四時半起き」が時間作りの秘訣
――様々な取り組みは、一時的ではなく継続されています。
鎌田實氏: これは性格なのかなぁ(笑)。小学生の頃、知能指数を調べる機会があったのですが、その時先生から「鎌田、お前知能指数が高くないぞ」と言われたのです(笑)。自分はそれを言ってもらってよかったなと思っています。
「人の倍は努力しなければ」ということが分かって良かったのです。でも生きていく上で大事なのは、IQだけではなく、何かを決断する能力や持続する能力、相手の身になる能力や、友だちを作る能力です。知能指数はダメでも、持続する力というのは誰にも負けないかもしれません。
父から「自由に生きていい」と言われてからは、貧乏から脱出するために朝4時半に起きるということを自分で決めました。友だちと遊んでいては、貧乏から脱出できない。親父から「自分の責任で生きろ」と言われたのだから、自分で何か工夫するしかない。
それで、人の倍、勉強すれば、なんとかなるのではないかと思いました。でも僕は「ええ格好しい」なので、友だちからの遊びの誘いに対して、「勉強したい」とは言えなくて……。朝4時半であれば、悪友は誘ってこないですよね(笑)。今66歳ですが、18歳からずっと続けています。
――毎朝四時半起きて……。
鎌田實氏: 僕を拾って育ててくれた岩次郎さんの仏壇に、まずコーヒーを供えて、手を合わせ「親父のお陰だ」と話します。そしてコーヒーを半分お裾分けでもらって飲み、そこから仕事が始まります。『がんばらない』から、その後も14年間に50冊以上の本を出してきました。それができたのはやっぱり朝4時半に起きたから。本もよく読んだり、詩を読んだり音楽を聴いたりもしますが、その時間にほとんど原稿も書いています。
最近は、瀬戸内寂聴さんの『死に支度』や、堤未果さんの『沈みゆく大国アメリカ』などを読みました。ノーベル文学賞をとられた、詩人のパブロ・ネルーダさんという南アメリカの方がいますが、その方を主人公にした、ロベルト・アンプエロの小説『ネルーダ事件』は、すごく面白いですね。
いつも身近にある「本」の存在
鎌田實氏: 僕は、図書館の本を「借りては読む」を繰り返す子どもでした。子供時代は貧乏で、どこにも連れて行ってもらえるような親ではありませんでした。家にはテレビがなかったので、本が唯一の外界との接点でした。医師を目指したのも、自分が読んだ世界を自分自身で実際に見たいと思ったからです。医学部の学生の中でも変わっていて、卒業してすぐに田舎の病院に行きました。エレベーターやエスカレーターにずっと昇って行けばいいと思わず、道がでこぼこだったり下りでもいいから面白い世界を見たいと思ったのです。人と同じことをしたくない。
それは、書くことと密接に関係していて、あえてみんなと一緒の道を封じて違うことをしてきたんです。そのおかげで、抱えている連載がたくさんあっても、あまり苦労せずに色々なことを書けているのだと思います。本からも面白い世界を覗くことが出来ます。たとえばA・Jクローニンというイギリスの作家『クローニン全集』という本は忘れられない本ですね。舞台はイギリスの貧しい炭鉱町などで、貧しい人を助けるおじさんが主人公になるような小説が多かったんですね。それを読みながら自分も弱い人とか貧しい人のために生きられたらいいなと思ったのです。
――本に背中を押された。
鎌田實氏: パレスチナに行く時も、瀬戸内寂聴さんの『源氏物語』の文庫本を持って行ったりしますよ。本とはシチュエーションが全然違うところで読むってなかなか素敵なことだなといつも思っているんです。自分で書くことも好きですが、本そのものを愛しているので、読むことも好き。本がなかったらこの世は寂しいだろうなって思います。
僕が本を選ぶときは、書店に寄って、なんとなく手に取ったものを買っています。匂いを感じているのかもしれないですね。 杉原美津子さんという方の『炎を超えて』という本があります。彼女は、35年前に起きた新宿西口バス放火事件で大きなやけどをし、その全身やけどを治すために使った血液製剤が原因でC型肝炎になり、肝臓ガンになりました。ですが、彼女は「放火犯を憎んでいない」と。「その人はその人の何か放火せざるを得ない理由があって……」と考えてらっしゃいます。それを読んで、「ああ、人間ってすごいな」と、「どうしてそんな考え方ができるのか」と思いました。
本からは、ものすごく色々なものを学びますよね。本を読んでいなかったら、今の自分に満足してしまうかもしれませんが、本を読んでいると「自分はまだまだかな」と、「もっと人生は面白いはず。まだまだ本当の面白い人生を歩んでいないな」と感じます。人生は一度きり。面白く生きたほうがいいですよね。
信頼関係が、悪循環を断ち切る
鎌田實氏: 運動家、活動家として、生きるのに困っている子供たちへ手を差し伸べ続ける役割が僕にはあるかなと思っています。そこには信頼関係がないといけません。チェルノブイリは、事故が起きてから27年。世界中から支援が集まりましたが、大変難しい国で、医療機械を送ってもなくなってしまったりと、機械を寄付してもそれが動かない国でした。
でも僕たちは続けて行くので、僕たちが送った機械は、「必ずこのグループは見に来るから、売っちゃったらまずいんだ」と彼らも分かって、そのうちに、「この人たちは故障したらエンジニアを連れて直しに来てくれる」と。信頼関係ができたのです。地区病院というところに、子供の甲状腺ガンを見るために超音波の機械を寄付したのですが、ここは20年間ぐらい1台のエコーの機械をものすごく大事に使っているんです。そうすると、僕たちが彼らを信頼しますよね。信頼関係があって、彼ら自身も変わってきたんじゃないかと思います。
今までだと、他の国から支援が入ったりすると馬鹿にされていて、すると彼らもまた「そんなの知らんぷりして売っちゃえばいいんだ」という悪い循環が起きていたんですね。それがたぶん持続する力があることによって、好循環に変わったんじゃないかという気がしますよね。
「こうだ」とお説教することではなくて、僕たちが信頼してあげることだと思います。人間最後は通じ合える、信頼とか誠実とか愛とかというのは通じ合えるんじゃないかなと。いわゆる「イスラム国」は、急速に勢力を拡大させた暴力集団でした。暴力に対しては、ある程度の武力は致し方ありませんが、洗脳されかかっている若者や子供たちに手を差し伸べること、つまり愛の力で変えていかなければなりません。
自分の全てを出し切りたい
鎌田實氏: 医師として地域医療をずっとやり続けて、ガンの末期の患者さんや、脳卒中で自分の思い通りにならない人生を必死に生きている人たちの心のひだを見つめてきました、医師としてそういう人たちを支え続けられたらいいなという思いがあります。
作家としては、生と死についてもっとドロドロしたものが書きたいですね。人間って奇麗ごとではいかないですからね。自分の中にも時にはやっかいな獣がいたりとか、人間、良いところもあれば嫌なところもあるわけで。その嫌なところにも光を当てたりして、人間ってちょっとしんどい生き物だよなということをちゃんと書きながら、それでもそのしんどい生き物が信じられないような素晴らしいこともできるということをうまく書きたい。
もっと、自分自身が傷つきながら、生と死のことについて新しい視点で書ける作家になれたらいいなと思っていますね。僕が、七転八倒しながら、もっと力を出せば、救われる人がもう少しいるかなと思いながら活動しています。現状に満足はしていなくて、もっと何かできるのではないかと。もっと努力をして、力をつけたいなと思っています。
――まだまだだ、と。
鎌田實氏: 自分が壊れるほど燃えて、何かに取り組んではいないなと思っています。2歳の時に親から捨てられて、もしかしたらその時に人生が終わっていたかもしれない。そう考えると怖いものなんて何もないはずなのに、まだ全然全てを出し切ってはいない。そのへんは自分自身に対する不満があります。ちょっと優等生すぎるから(笑)、もう少し破滅的になってもいいのかなと思います。よく「鎌田は怖いもの知らず」と言われますが、みんなが思うほど破滅的ではなくて、計算しているわけですよ、「絶対大丈夫」「安全」というのを考えながら。
だから、自分ではまだ安全なレールの中で動いています。どうせ一度の命なんだから、もっと自分が壊れるほど燃えて生きてもいいのではと思います。ぶち壊れてもいいぐらいの覚悟でやれば、自分は幸せ感を感じるのかもしれないですね。