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本橋信宏さん(執筆家)「正史からはみ出した人物や事象を活字で残す」インタビュー

24歳でフリーランスのライターとして文筆活動を開始し、「『全学連』研究-革命闘争史と今後の挑戦」で、反体制運動評論家として注目を集めたのを皮切りに、アンダーグラウンド文化に関する文筆活動、人物ルポルタージュなど、政治思想からサブカルチャーまで多方面にわたる執筆活動を展開。人間の裏面を鋭く描き続けてきた本橋さんの「ほんと、ほんとの話」をお届けします。
こんな話をしています……
何を書くにしても、私小説のように、全部自分に繋がってくる感覚がある
言わずにはいられない、聞かずにはいられない、知らずにはいられない
ジェットコースターにも乗れないくらい人一倍臆病な男だが、仕事であれば逆立ちしてでも乗れる 
人間同士の出会いによって、自分という成分も化学反応を起こす
本橋信宏(もとはし・のぶひろ)氏プロフィール ※インタビュー当時

1956年生まれ、埼玉県所沢市出身。 早稲田大学政治経済学部卒業。 写真雑誌『スクランブル』元編集長。 “バブル焼け跡派”として、幅広くニッポンの世相を見つめる異色の書き手。執筆分野はノンフィクション・小説・エッセイ・評論など。 雑誌メディアを中心に政治思想からサブカルチャーまで多方面にわたる文筆活動を展開している。著書に『裏本時代』『AV時代』(幻冬舎アウトロー文庫)、『ドクター苫米地が真犯人を追う!』(苫米地英人博士との共著)『やってみたら、こうだった』『戦後重大事件プロファイリング』(宝島社)、『新・AV時代』(文藝春秋)等多数。

摩訶不思議な人間への関心

コラム、ノンフィクション、短編小説集、インタビューを書くことで知られる本橋信宏氏。 その源には、摩訶不思議な人間への関心がある。

何を書くにしても、私小説のように、全部自分に繋がってくる感覚があるんです」。

発想の源は、メモと携帯。フル活用し、溜まったメモはPCのメールアドレスに送る。年齢を重ね、書き方も変化してきた。20代の頃は自身で振り返ると“青臭い感じ”の凝った文章で、今はシンプルな文章。最高の愛読者は自分でいい、とも思えるようになった。

「80年代型サブカルチャー的な文章が広がっていた時期には、例えば“白い外国車”ではなく泉麻人さんや田中康夫さんなどを意識して“BMW320のコンバーチブル”のように具体的な表現をして、文章に喚起させようと思っていました。でも、今は読者のイメージ、想像力をある程度喚起するための書き方でいいと思っていますね。大沢在昌氏が、『新宿鮫』(光文社)を書こうとしたとき居直って『自分が面白ければいい、好き勝手に書いてみよう』と思ったそうですが、自分が面白いと思うものを書いて読んでもらう。結局はそれに尽きるのではないでしょうか」。

記憶を呼び起こす本の“匂い”

自宅の仕事場に、所狭しと重ねられた資料と本の山。 フィクションとノンフィクション、漫画もあれば小説もある。

「本を読んだり、パソコンでネットサーフィンをしたり、携帯でメールをしたりして、それぞれを繋げるんです。テーマ、ネタはたくさん転がっているので、それらが化学反応を起こすと、いろいろなもの出てくるから面白いですね」。
 
書斎の一角に積んである古書の中から一冊の『少年サンデー』(小学館)を取り出して笑う。
 
「中野のまんだらけや、神保町の中野書店などで見つけたもので、私が小学1年生のころ読んだものです。今だと3000円から5000円はしますよ。大体は高値安定ですが、特に横山光輝と手塚治虫と藤子不二雄のレアな作品、代表的な作品が載ってると高くなりますね。私がリアルタイムで読んでいた横山さんの『伊賀の影丸』の最高傑作である『七つの影法師』のカラー扉。それに敵味方忍者のトーナメント表、こういう単行本未収録のページなんて特に。当時の少年たちは、倒された忍者に×印がつく、この過酷な対戦表に心を奪われたものです」。
手にとった本をふっと顔面に近づけて言う。紙の本にあって電子にないのは、“匂い”だと。
「私は、匂いフェチで、匂いによってその時の記憶が呼び戻されたりもします。グラビア紙はグラビア紙のカラーインクの匂い、『月刊プレイボーイ』は都会的な匂い。週刊誌は昔の田舎の藁葺き屋根のような感じなど、それぞれの本の匂いがあって、それが記憶と紐づいているんです。50年前と同じインクと紙の匂い、当時の紙質とその製本。すべてが記憶を呼び覚ますきっかけとなるものです」。

「本は、その頃の記憶も一緒に閉じ込めています。小学校1年生の3学期の頃、『七つの影法師』の中では雪の描写がありましたが、ちょうどその時1964年1月ごろ関東地方も大雪が降っていて、雪がやんだ後、道の雪が溶けるという光景も同じように描かれていました。『本橋は昔のことよく憶えてるな』とよく言われますが、憶えているのではなくて、その時の匂いや読んだものなどで、逆回しのようにずっとフィードバックしていっているだけなんです」。

文章を書くことが夢だった

本とテレビが大好きで、おとなしい少年だった。小学校の卒業文集にはすでに「将来、何か文章を書いて暮らせていけたらいい」と書いた。

高校3年時、芥川龍之介や江戸川乱歩、松本清張に漠然とした憧れを抱いた。その年の秋、当時ルポライターだった立花隆氏が文藝春秋で、『田中角栄研究 その金脈と人脈』を発表、その後に田中内閣が傾いた出来事で、ルポライターに興味を持った。

「あの頃は平岡正明さん、立花隆さん、竹中労さんなどが有名で、私も同じように文章を書くことを仕事にできないかと思うようになったんです」。

松本清張、江戸川乱歩、夏目漱石、漫画は『サンデー』、『マガジン』、『少年』などを好んで読んだ。

「印象に残っているのは、講談社版『江戸川乱歩全集』とカッパノベルズ版の松本清張ものですね。大学時代には政治経済に関しての本も読んでいたと思います」。

大学2年生の時、番組ディレクターをするようになったテリー伊藤氏の仕事を手伝う機会があった。

「伊藤さんにはずいぶん可愛がってもらいました。卒業後はフリーランスの物書きになろうとしたんですが、その世界の入り口がどこにあるのかわからず、とりあえず就職しようとテレビ局を受けたんです。ところがそこで落ちてしまい、伊藤さんのいた当時のIVSテレビ制作(株)に入れていただくことになったんです」。

せっかくもらった仕事だったが、「仕事が大変で」すぐに飛び出してしまう。大学を出て1年半、24歳の時にフリーランスの物書きになった。当時のことを、『裏本時代』()に書いた。

「『裏本時代』は、自伝的、私的ノンフィクションです。ただし、1人称1視点描写なので、1カ所だけ私がいないと書けないシーンについて私がいた描写になっていますが。ノンフィクションと言い切るには厳密に言えばその1箇所だけルール違反の部分がありますが、事実であることは確かです。ですから広い意味ではあれは私小説だと思っています」。

内気な男 インタビュアーになる

80年代型のサブカルチャー的なライターの成り上がり方、やり方も、まだ確立されていない時代だった。足踏みしていたところ、双葉社の『週刊大衆』の副編集長に「フリーでやらないか」と声をかけられた。

「当時の双葉社、『週刊大衆』にはインテリなかっこいい編集者がたくさんいて、吉原に行って取材などをしている様子を見てすごいな、面白いなと思ったんです。頭でっかちの若造が、そこで実社会を叩き込まれたという感じでした。それまでは内気だったんですよ」。

役者は、無口で内気な人が多く、一番インタビューが難しいということに気がついた。無口で内気をバネに役者で成功している。ならば自分も、と普段はシャイで引っ込み思案な性格を、仕事では反動にして取材相手になんでも聞く。

「私は『心を開かせる技術』(幻冬舎)の中で、優秀な営業マンというのは、実は意外と朴訥な人が多いということを書いたことがあります。あんまり能弁だと相手が身構えてしまい、かえって朴訥な人の方が誠実さを感じられたりする。私自身も後者のほうだと思ったりしています(笑)。例えば「人と会って話せない」などというコンプレックスがあっても、私を突き動かしてきたのは「仕事になると変わる自分」が楽しかったり、怖いもの見たさもあるし、あるいは傍観者の贖罪という部分もあります」。

傍観者の贖罪とは、どういうことなのか。

「私には見ているだけの贖罪という気持ちが常にあります。安全地帯にいる自分に居心地の悪さを感じる。自分もリスクを背負おう、飛び込んで行くということもあります。言わずにはいられない、聞かずにはいられない、知らずにはいられない。でも、実際に飛び込んでみたら監禁されたり、脅されたりしたこともあります(笑)。大昔、歌舞伎町のノーパン喫茶の飛び込み取材で、金を無心に来たのだと勘違いされて、監禁されて帰れなくなってしまったこともありましたが、話をしたらなんとか分かってくれてとても協力的になってくれた(笑)。」

取材の過程で何度も裏の世界の住人から脅されもした。取材を重ねるにつれ、危険か否か、その度合い、取材相手のバックボーンなど敏感に察知できるようになった。

「人間力が養われました。だからカップルを見ていて「この2人は別れるな」と思っていたら、案の定別れたりします(笑)。」

「傍観者の贖罪の極めつけが1985年春に出した『全学連研究』(青年書館)だったかもしれません。私が大学時代に入っていたゼミは、戦前のベルリンオリンピックのサッカー日本代表選手だった堀江忠男先生で、戦後はマルクス経済学の根本的再検討をして経済と政治で論評したりしていました。」

『全学連研究』は反体制運動評論家として注目を集めた。

 最初は日本におけるマル経の講座派、労農派の2つの現状分析とか、現在に通じるものは何かということを書こうとしたのですが、少し形を変えてマルクス主義を信奉してる潮流として全学連の本を書こうと思って、完成したのが『全学連研究』でした。革マルと中核の委員長にインタビューを申し込んだところ、中核派の全学連委員長だけが奇跡的にインタビューを受けてくれました。70年代から中核と革マルによる内ゲバが続き、100名近い活動家が殺し殺されていた時代です。革共同両派への提言としてもそれまでに2回ほど両派へ向けて埴谷雄高や吉本隆明といった知識人たちが内ゲバ停止を提言してきたのですが、拒否されたり、提言した知識人が強い自己批判を求められたりして、誰も休戦の調停をしなくなっていました」。

“傍観者の贖罪”から、中核派のアジト「前進社」でのインタビュー時、「内ゲバを停止しせめて言論戦で代行しては」と提言した。リスクは覚悟のうえ。当時、中核派は武装闘争部隊として地下組織「革命軍」を結成して、盛んにテロやゲリラをやっていた。結局、説得は一蹴されたものの、最高幹部が革命軍について言及した唯一にして最大、最新、初のインタビューとなった。

別人になれる仕事

この時期に、「借金を返さなければ腎臓を売る」という杉山会長のところに転がり込んで、インタビューをしたり、同行取材したり、臓器売買の現場とされる場所にも密着した。この時から「アウトローに強い男」というイメージが付いた。

「カメラマンでも、戦場で戦火に遭遇したら撮るでしょう? 私はジェットコースターにも乗れないくらい人一倍臆病な男ですが、仕事だったら逆立ちして乗るくらいの覚悟はある(笑)。中核派の(取材の)ときは特に、同じ日本人の若者が殺し合っている状態であれば、見て見ぬフリするのではなく、一言言っておきたかった。傍観者の贖罪。罪を償う気持ち。あとは怖いもの見たさ。だから学生運動や、日共の武装闘争時代、未解決の殺人事件などに惹かれるんですね。」

「雑誌『スクランブル』の編集長の時、極真空手のスキャンダルを取材している中で、あるジャーナリストと仲良くなったんです。彼は「これからは原稿なんて書いてらんない!って、ノーカットの裏本を制作して売れたんですが「刷り過ぎて余ってしまった(笑)と言うんです」。

そこで余りの流通先を探していた時に、「会長」と呼ばれる“裏本の帝王”と出くわす。

「その会長が日本の裏本の流通の6割を制していたとんでもない男なわけですが、それが後の村西とおるです。「ナイスですね」で有名な、AVの帝王です。彼を紹介されたら、余っていた裏本が一瞬にしてさばけてしまった」。

アンダーグランドの世界は昔も今も独自のルートが確立している。

村西とおる会長が出版社を作ることになり、当時200万部出ていた「フォーカス」のような雑誌をやらないかと話を持ちかけられ、「誰もやらないから」と、編集長に抜擢。

「才能というよりは、会長との、人間関係とでも言いましょうか。会長から信頼されて「お前がやれよ」と言われたのが26歳の時でした。」

「運の善し悪しは、人との出会いで決まる。たくさんの本がいろいろな化学反応起こして、ひとつのプランが生まれるのと同じように、人間同士の出会いによって、自分の人間という成分も化学反応を起こす。例えば、ある男がある女と離婚しても、違う女と結婚したら上手く行くということは、男の成分は同じでも、相手という触媒が変わることによって男の化学反応が違ってくる。そういう意味でも出会いは面白いんじゃないでしょうか」。

踏ん張る自分の姿を見てもらう

私は電子でも紙でも読んでもらえればどちらでもいいです。私も何冊か電子書籍化しているのがありますが、先ほども言ったように、情緒的な面が紙の本にはあるから、紙の本はこれから減っていっても、なくなりはしないと思います。映画とテレビのように、共存、住み分けをしていくでしょう。しかし紙の本は減ることは確かでしょう。今の週刊誌を購入する世代は、大体50代以上で、エロ本などは30歳以下はほとんど買ったことはない。今は携帯の動画で満足するので、昭和では当たり前だった「エロ本の隠し場所」という話も成立しにくくなった。

紙の本とネットのもうひとつの大きな違いは、編集者の有無です。電子書籍やネットが広がると編集者がいらなくなると言われてきましたが、むしろ優秀な編集者がますます必要になってくると私は思っています。私たちが本を書いて出す時には、編集者の冷徹なフィルターを通さないと出版されません。編集者は基本的には優秀で、そのフィルターを通って初めて書店に並ぶわけです。だから、紙の本は過激なことが書いてあってもトラブルは起こりにくい。でもブログやTwitterは、そういう編集者のフィルターを通さないから、Twitter炎上が原因で東北の県議が自殺した事件なども起こる。これからますます編集者、第3者の厳格なフィルターはの存在が重要になるでしょう」。

電子書籍は絶版の本も読める点は、とてもいいと思います。電気書籍に足りないものは、やはり情緒性と所有感ではないでしょうか。ネットサーフィンが出来るという点はありますが、化学反応を起こす、地層を掘り起こす楽しみというのもあまりない。情緒性で言えば、電子書籍も音楽が奏でられるなど、伊集院静さんが『なぎさホテル』で音楽を収録するのを試みていますが、例えば武蔵野の雑木林を散策する本では野鳥の鳥のさえずりが聞こえるような方法など、電子書籍の特性を活かす方法もあると思います。

——理想の編集者は。

触媒として化学反応起こしてくれそうな人です。書き手の気付いていないところ、良さを、上手く化学反応起こして引き出してくれる人。自分が温めていた企画よりも、第三者の編集者の企画の方が、意外と良い作品になったりするんです。例えば柴田錬三郎さんの『眠狂四郎』も本人はあまり書きたくなかったようですが、新潮社の斎藤十一さんという伝説の編集者が書かせたわけですから。

例えば芥川龍之介や、裏世界などのアンタッチャブルな世界など、自分が関心があるもの、好きなことを追求することです。ライターデビュー当時の関心は女子大生で、その後『ビデオ・ザ・ワールド』で、22年くらいAV女優インタビューしてきました。インタビューの対象としては、今はなぜか人妻が多く、人妻の本も書きました。今、ブログやFacebookなどをやってると読者との距離が近くなり、感想などをメールで送ってくれるのですが、その中に、人妻から「相談に乗ってください」というメールもあるんです。私のインタビューの特徴の1つはとことん聞くことなので、耳に人生相談ダコが出来るくらい(笑)相談に乗ります。

全学連研究など、いろいろなアンダーグラウンドの話や怖い世界も入ってきたけど、半分くらいは女性でしょうか。女子大生、風俗嬢、AV女優、人妻などについて書いたり、「女で食わしてもらっている」という感じもします。

ーー今、気になる人物は。

今は、大映の昭和30年代の映画の脇役陣に凝っています。「少年ジェット」は大映テレビの第1回目の作品で、昭和34年に出来たのですが、若尾文子や田宮二郎など主役クラスの脇で、ほとんど台詞もないような役者が出ていました。 「少年ジェット」に出て来るブラックデビルという役は、高田宗彦という大映の俳優がしていたのですが、昭和30年代に子供だった人たちは皆知っています。でも高田宗彦に関しては、何者なのかというのはほとんど知られていませんでしたが、彼の娘さんが松本留美さんという女優さんだと突き止めました。 留美さんは劇団円の現役の女優さんで、インタビュー申し込んで、お父さんの話を聞こうとしたら、高田さんはその半年前にお亡くなりになったということが判明しました。彼がつい最近まで生きていたんだと感慨深いものがあって、私の中に昭和30年代の街並みが浮かび上がってきました。そのトリップ感は官能的ですらあります。

いつか温めてみて出そうと思っている隠し球もあります。あと私は、島田清次郎、相馬泰三などの消え去った私小説系作家が大好きなんです。あとは芥川龍之介、西村賢太も大好きです。芥川龍之介は前期の頃よりも後半の私小説的色合いの強まった作品が好きで、彼の生き方に学ぶ、といった内容の本を出す予定です。

これからも傍観者の贖罪という気持ちを持ちつつ、摩訶不思議な人間を、形態はノンフィクション、エッセイ、小説、などに変わっても、ずっと書き進めていきたいと思っています。『裏本時代』はテーマが青春の野望と挫折なので、感情移入して「会いたかったです」と読者が私の所に会いに来たりします。

愛読者が「あの時に全部を失った本橋が、こうやって頑張っている」ということが、彼らのひとつの希望の星になっているようなので、そういう意味では、読者を裏切れないなと思っています。“頑張っている”という言葉はあまり好きではないから、せめて“踏ん張っている”私の姿を見てもらうためにも、これからも、正史からはみ出した記録されない人物、事象を活字で残していきたいと私は思っています。