日本財団の国際ネットワークチームのリーダーとして、国内外の様々な問題に取り組む本山勝寛さん。活動の出発点となった経験や歩みを、勉強法や体験記として記されています。「学びのエバンジェリストでありたい」という本山さんに、幼少期の体験、志を育んだ読書、教育の重要性と本の関係について伺ってきました。
こんな話をしています……
・「与えられた命、借りている生」は、親の生き様と読書の影響から
・本は「どこでもドア」。世界につながるツール、秘密道具
・「学びのエバンジェリスト(伝道師)」として、学びの素晴らしさ、楽しさを本や活動を通じて日本にも世界にも伝えていきたい
本山勝寛(もとやま・かつひろ)氏プロフィール ※インタビュー当時
受験一年前に東京大学への入学を決意し、「合格可能性なし」の判定から成績を急上昇させ、東大に現役合格。 東大卒業後、韓国、アメリカで世界の宗教を学ぶ。その間、教育事業に携わり、自らの経験をもとにした勉強法で生徒を第一志望校合格へと導く。また、教育の分野をより広い視野で研究するためハーバード大学院に留学。 その後、日本財団に就職。広報担当を経て、現在は国際ネットワークチームでハンセン病担当。世界各国をまわり、病気の制圧と差別の撤廃に向け奔走している。 著書に東大、ハーバードの受験過程をまとめた『お金がなくても東大合格、英語がダメでもハーバード留学、僕の独学戦記』(ダイヤモンド社)など。
与えられた命、借りている生
――国内外のさまざまな問題の解決に取り組まれています。
本山勝寛氏: 今、日本財団の国際ネットワークチームのリーダーとして、ハンセン病の制圧と治療の対策、障害者支援の活動に携わっています。主にWHO(世界保健機関)、各国の保健省やNGOと協力しながらおこなっています。ハンセン病に対する誤解はまだまだ多く、多くの患者や回復者が差別に苦しみ、就職もままならない状況です。国連にハンセン病差別撤廃の決議を採択するよう働きかけたりもしています。
――世界ハンセン病の日、今年は日本で初めてグローバル・アピールがおこなわれました。
本山勝寛氏: ハンセン病の新規罹患者数は、インドだけで毎年12万人、世界全体では21万人にものぼります。まだまだ終わっていない問題で、特に偏見や差別が大きな課題として残っています。障害者支援の活動では、「防災」をキーワードに活動しています。東日本大震災では、障害者の死亡率は、一般住民のおよそ二倍だったというデータが出ています。被害に遭いやすい障害者の方々も参加する防災訓練、計画をどうしていくのか、議論を進めなければいけません。三月に仙台でおこなわれる国連防災世界会議に向けて、国連の関係機関と一緒に「障害者と防災」というテーマで活動しています。
――本山さんは、自身の日々を「与えられた命、借りている生」とおっしゃっていますね。
本山勝寛氏: そういう気持ちで生きています。そういう想いに至ったのは、子ども時代の体験と読書によるものでした。私は五人兄弟の四番目で、欲しいものも我慢する経済的には貧しい家庭で育ちました。比較的明るい子どもでしたが、小学六年生の時に、川崎から大分へ移り、取り巻く環境が変わったことで衝撃を受けました。けれどもすぐに、素足で遊ぶことにも、方言にも慣れました(笑)。地方ではまだ流行っていなかったバスケットを持ち込んで、友人と一緒にやっていましたね。
ところが、母が亡くなり生活が一変しました。さらに高校一年になると、父が途上国に支援のために出掛け、家には親がいない状態になりました。僕は自活するために、うどん屋で働くことになったのですが、きついというよりは働いて稼ぐという喜びを感じていました。どんなことも、やってみると楽しいことや学べることがあるなと感じたものです。
その母が昔、僕が寝る前に『ドリトル先生』などをよく読んでくれていたのを覚えています。
中学生になる頃には、家に唯一あったマンガ『学習漫画日本の歴史』や『まんが人物・日本の歴史』を読んでいました。誕生日など、特別なことがある時に買ってくれていました。セリフを覚えるぐらい読んでいましたね(笑)。そこから『お~い!竜馬』や『竜馬がゆく』に繋がっていきます。初めて完読した本で、幕末や龍馬に関心を持ち始めたりなど、大きな影響を受けました。
――将来の道への、大きなきっかけに。
本山勝寛氏: 将来をどうするか、真剣に考えていた時期でした。親の影響もあって、とにかく社会のために尽くせることをしたいという気持ちはありましたが、具体的なビジョンが見えていませんでした。本に登場する、日本のために命がけで闘って東奔西走した幕末の志士の姿に憧れ、そういうようなことを将来できたらなと思いました。
一方で、宇宙に興味が向いていた時期もあります。アルバイトで貯めたお金で全国を旅して回ったのですが、宿泊先の星空に感動してしまい、ホーキングや天文学、宇宙物理などの本を図書館で読み漁っていました。二つのおぼろげな将来像を描きながらも、やはり「変える」というパワーを持つリーダーを多く輩出している、東大へ進むことになりました。
僕が進んだシステム創成学科は、理系と文系を横断しながら、社会の課題を理系のマインドで解決していくというところでした。入学早々に、入学金が払えないという状況がありつつも、ある程度落ち着いてきたころから、大学時代は、科学から歴史、小説もたくさんの本を読みましたね。また旅が好きで、アメリカへ行ったり、雪山を登ったりもしていました。
その中で強い印象を受けたのが、南米のパラグアイでのボランティア活動でした。学校のトイレを作る手伝いや、現地での交流などを通じて、自分の進む道が明確になっていきました。それでもまだ、明確な職業として心は定まっていませんでした。もう少し色々探求したいと思い、韓国へ留学しました。
“学びのエバンジェリスト”として
本山勝寛氏: 将来は途上国支援を、と思う一方でそうして韓国で得た気づきから、学部時代よりもさらに学びを深めたいと思うようになりました。どうせなら、とことん学びたいということで、ハーバードに進みました。英語が本当に苦手で大変でしたが、一緒に行った妻に支えられました。
――『お金がなくても東大合格、英語がダメでもハーバード留学、僕の独学戦記』にまとめられています。
本山勝寛氏: 大学時代は、読んだ本の気に入った部分を自分のノートにメモしたり、詩やエッセイのようなものを書いたり、書くことに興味を持っていました。ちょうど世の中にブログが出てきて、アルクの「東大よりハーバードに行こう」というプロジェクトで公式ブログを書くようになりました。そこでハーバードへ行くまでの準備過程をリアルタイムで書いていったんです。当時、そういった留学の体験記などはありませんでした。 僕も東大受験の時、東大受験の体験記をひたすら読んで、研究し、東大の試験対策の戦略を練りました。塾などには行けなかったので、どうすればよいか分からなかったのですが、体験記を通じて、自分で勉強ができました。そういう参考書が、留学においても必要だと思い書きました。
――どのような想いで書かれていますか。
本山勝寛氏: 本を書くということも、社会を良くするという、人生を通して自分がやりたいことの一貫だと思っています。ハーバードへ行ってみると、日本人はとても少なくて、周りは中国人とインド人と韓国人ばかり。このままでは日本はやばいなと肌で実感しました。だからこそ、自分が見て体験したことをまとめ伝えなければ、と思って書きました。それ以降も、それぞれテーマを持って、自分が書いたものを通してどう読者のためになるか、あるいは日本の社会が少しでも前進すればということを考えながら書いています。
例えば、勉強法の本を通して勉強のやり方を多くの人に知って実践してほしいという気持ちもありますし、『YouTube英語勉強法』という本も、IT技術が発展していく中で、とても良い学習素材がタダで手に入る時代になりました。教育と学びによって世界が開ける、あるいは夢がかなうということを本を通して伝えたいと思っています。僕にとって本は「どこでもドア」。世界につながるツール、秘密道具だと思うんですね。
大学時代は哲学や歴史、世界各国の話などを、本を通して学び、考え、感じることができました。2000年前の話であっても、本を通して知ることができる。当時の人と会話することができるんです。
――いつでもどこでも学べるツールは、教育格差の是正にもつながりそうですね。
本山勝寛氏: そこにとても可能性を感じています。持ち運べる媒体に無限の本が入るなんて、本当にドラえもんの世界ですよ。無限に、学びにアクセスできることで、教育そのものも変わっていきます。お金がなくても本を読める、情報にアクセスできる、学ぶことができることが、とても大事だと思っています。僕自身、学ぶことで一つ一つ人生が開けてきました。僕の使命は、学びの革命を起こすことだと思っています。これからも「学びのエバンジェリスト(伝道師)」として、学びの素晴らしさ、楽しさを本や活動を通じて日本にも世界にも伝えていきたいと思います。