インタビュアーになろう#StayHome特別編公開中

佐藤稔さん(天童将棋駒、佐藤敬商店)「待ったなし、の駒づくり人生」インタビュー

待ったなし、の駒づくり人生

将棋駒の生産地として名高い山形県天童市で、駒師、二代目光匠として将棋駒の制作を手がける佐藤稔さん。佐藤さんが営まれている天童佐藤敬商店は、NHK杯の将棋駒制作でも知られ、往年のファンからネットを通じて訪ねてくる若手まで、多くの人々に愛されています。この世界に入って50年近く、幾多の困難を乗越え奥様と二人三脚で取り組んできた歩みと、駒づくりへの想いを伺ってきました。

“匠の心”を受け継ぐ将棋駒

佐藤稔氏: 
天童佐藤敬商店は、先代である父佐藤権七(初代光匠)が始めました。父は13歳のころから一家の大黒柱として、子どものころから内職していた“駒書き”で家族を養っていました。そのうち、書くだけでなくみずから制作販売を手がけるようになって、店を興しました。

NHK杯で使用される将棋駒、一字彫が人気を博し、私も二代目としてそれを受け継いで、この天童で半世紀近くやっています。その駒は現在、「光匠作一字彫り駒(父・子二代の作品)」として、うちでも人気の品となっています。一時期、父のお弟子さんや従業員の方もいましたが、今は二代目光匠である私が手彫りの作品を作るのと、私が切った木地に家内が機械で彫るというふたつの形でやっています。この間も、小学生の時からずっとNHK杯を見ているという方がいらっしゃいましたが、そうした遠方からのお客様もよくいらっしゃいますね。

――こちらで制作されたものは、ネットでも取り寄せることが出来ます。

佐藤稔氏: 
平成10年から13ヵ月に及ぶ入院生活を送り、その後リハビリ生活へと入っていた時期がありました。その間に商品の卸先等が少なくなったので、友人に相談したところ、ネット販売を提案されたのです。今までやったことのなかった新しい取り組みで、家内に相談すると、「やってダメだったら諦めもつく。やらなくちゃわからない!」と背中を押してくれました。最初は卸とネットの割合に大差ありませんでしたが、1年後にはネットが7割を占めるようになりました。

当初、ネットもメールもできなかった私でしたが、息子の嫁がお客様とのやりとりを模したメールの練習相手になってくれて、少しずつ覚えていきました。息子の嫁さんは鹿児島出身のすごく明るい子で……とても気が合うのですよ。

店が老朽化してきた平成15年に、友人の材木屋さんや桐箱屋さんの協力のもと、車庫兼倉庫を改造してもらって、今のような状態になりました。ずっとこの場所でやっていますが、最初はなかなか仕事を楽しむ余裕がありませんでした。子育てと夜中12時まで続く仕事の連続、二度の大病と、ネット販売の開始……大企業でもない小さな駒屋でしたから、いつもギリギリで色んなことが起こりました。売れる時には、その分、身を粉にして働くので、休日に何かしようという余裕もなく、こうやって家内と笑っていられるようになったのは、つい最近のことなのです。

「開き直り思考」で活路を開く

佐藤稔氏: 
私がこの世界に足を踏み入れることになったのは、父の希望からでした。私が小さい頃、父は市会議員を務めており、口癖は「人から悪口をされるようなことはするな」でした。体も声も大きくととても怖い存在でしたが、筋の通った父の姿勢は、嫌いではありませんでした。私には12歳上と10歳上の兄がいますが、一番上の兄は父の作った駒の販売を東京でやっていました。私は東京の大学に進んでおり、就職を考えていたのですが、父から継ぐように言われ、それならば仕方ないとこの世界に入りました。

そうしたスタートであったため、序盤はなかなか仕事に身が入りませんでした。27歳の時に結婚して、翌年には長男が生まれました。そこからようやく、真剣に仕事と向き合うようになりました。

父と私が作って、兄が東京で売る。そうして少しずつ販路を広げていきました。単に仕事をこなすだけでなく、常に新しい取り組みが必要でした。私も、本腰を入れてからは、父に習うだけでなく、機械彫りの型や切り方の工夫を重ね、思ったことは積極的に提案して、時にぶつかりながらも駒づくりを進めてきました。

木地を自前で用意できるようにしたのも、そうした新しい試みのひとつでした。駒が劇的に売れ、木地屋さんから材料を入手するのが困難な時代に、材料が無くてはそもそも続けていくことが出来ないと感じたのがきっかけでした。鋸の跡がついてしまうことを心配していた父に、鋸の跡がつかない切り方を提案、説得し、片引きの鉄を切る鋸を刃物加工して木工用にする方法で出来た特注品の切り出し機械を導入したりしました。

――今につながる布石は、そのころから。

佐藤稔氏: 
父からは技術だけでなく、そうした先手を打つ生き方を教えてもらったように思います。「手に職を持て」という言葉も、売るだけでなく駒師として生きていくきっかけになりました。

駒づくりに携わってもうすぐ半世紀になりますが、そのあいだに色んな困難もありました。特に、病気での入院は、駒づくりどころか「人生詰め」になりそうな危機でしたが、「起こったことは仕方がない。できる状況でやっていこう」と、そういう心持ちでやって来ました。「前向き思考じゃなくて、開き直り思考だよ」とよく言われます。

“一期一会”の縁を紡いで

佐藤稔氏: 
私が病気を患った後、立ち上がれたのは、お客様からの「一字彫、早くよこせ」のお言葉と、妻や家族の支えがあったからでした。人間は“一期一会”で、その縁が人生を方向付けていくのだと、節目節目で感じています。病気の時に救ってくれた先生、励ましてくれた大親友、ネットショップを開くきっかけとなった担当者の方、そして天童佐藤敬商店の駒を買い求めてくれるお客様……。息子や娘たちには寂しい想いをさせたこともありましたが、皆立派に成長してくれましたし、駒づくりをしていて良かったなと思います。

――これからもそうした期待に応え続けていく……。

佐藤稔氏: 
駒彫りは目が命。もうすぐ70になりますので、老眼鏡も望遠鏡みたいなでっかいものになっていますが……見える限りは、自分で彫れるうちは駒師であり続けたいと思っています。病気をしたことで彫りのタッチにも変化が起きたのですが、やはり身に起きた出来事をただ嘆くのではなく、出来る状況の中から挑戦し続けることが大切です。その連続で、これからも皆が喜んでくれる駒づくりを続けて参りたいと思います。