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松本仙翠さん(江戸べっ甲伝統工芸士)「挑戦の連続が伝統を生む」インタビュー

挑戦の連続が伝統を生む

江戸べっ甲の伝統工芸士、松本仙翠さん。伝統的なべっ甲眼鏡フレームに、象嵌や螺鈿の技法を取り入れた斬新な作品は長く支持され続け、2013年秋には黄綬褒章を受賞されました。「新しい挑戦から伝統は生まれる」先代より受け継ぐ松本さんの“革新の遺伝子”とは。

革新の遺伝子を受け継ぐ 松仙べっ甲製作所

松本仙翠氏: 
もともと墨田区立川で祖父が明治二十年に創業した松本仙太郎商店がはじまりです。眼鏡関係全般(双眼鏡、べっ甲フレーム)、レンズの製造、卸、小売りと幅広くやっていました。赤銅製のフレームをはじめて手がけたのもうちでした。東京大空襲の時に疎開して、現在の場所(千葉県市川市)に移ってきました。

そのころは父の松本茂が二代目を継いでいました。金物が主体だった眼鏡のフレームは、戦後セルロイドに移行し、工法はプレスで型抜きが一般的になっていました。父はプレスではなく生地を一枚一枚糸鋸で引く作品に特化していました。

父の作品は評判を呼び、国内外の有名人からオファーが殺到していました。歌手のレイ・チャールズは、来日時に六本も買い求めたそうで、当時の父親が作った図面なども残っています。眼科医を常駐させたのも父が最初でした。

――常に新しいことを取り入れて。

松本仙翠氏: 
受け継いだのは技術より何より、そうした心構えかもしれません。私の代になってからは、新たな技法を考案しました。従来のべっ甲眼鏡フレームに象嵌や螺鈿の技法を取り入れたり、染色のカラーべっ甲の技法を使った製品を作っています。べっ甲の色にない彩色を染色する事で、いままでにないデザインでの作品づくりが可能になりました。イニシャルを模様として入れる技法など、他にはない技術、技法で創作する心構えで取り組んでいます。作品には『仙翠』の號を印し、細工を施した創作べっ甲フレームには工芸品鑑別書をつけています。

日中はもちろん、夜中にまで作業が及ぶこともありますし、いったん仕事に入ると、手が離せなくなります。長時間向き合うことになりますが、私の信条である“遊びの心”、創作作品には常にそうした心を忘れずにやっています。そうしてできた作品が皆様の心のゆとりになればと願っております。

父の姿に憧れて べっ甲の世界に挑む

松本仙翠氏: 
父が有名人たちの眼鏡を作っているのを見て、子ども心に純粋な憧れを持ったのがそもそもの始まりです。高校生の頃までは、できあがった眼鏡を磨く手伝いもしていました。大学進学の予定でしたが、父親が倒れたことで働かざるを得なくなり、家業を継ぐことになりました。

やはり「旧態依然としていてはいけない、新しい技術を習得したい」という想いで、特殊な技術を持つメガネ生産地の福井へ修行にいきました。

修業期間は一年間と限られた期間でしたが、その間に習得しようと必死になって覚えました。たまの休みにも、兄弟子の知人をたよって、バイクで普通は見せてもらえない他の工場に見学に行ったりしていました。

その後、本格的に鼈甲の修行に6年。昼間働きながらそこで修行して、夜になると自分のところで働きました。昼間働いて習得した技術を、夜帰ってきてからすぐ試すことができるので、それは楽しかったですね。福井で習得した技術も取り入れました。機械の使い方にも独特な工夫が施されていましたが、そうした技術を作品づくり活かしていく。その連続で今に至ります。

ふたつの喜びと終わりなき向上心

松本仙翠氏: 作品を仕上げた時と、それがお客様の目に触れ、届けられる時とふたつの喜びがあります。どちらの喜びも欠かせないもので、どちらか一つでは成り立ちません。自分が作ったものには責任があるので、その証にと作品には仙翠の號を刻印しています。

また、人に負けたくないという想いも私を動かす力になっています。べっ甲の世界でも技術の向上には限りがありません。技術を向上し続けなければ負けてしまいます。親方と弟子が同じ技術であった場合、弟子が独立すると技術を全部持って出るわけです。すると対等か、もしかしたら弟子の技術のほうが上かもしれない。その時に親方は弟子よりも上にいかなければならないので、終わりはありません。一生修行で、挑戦の連続です。

進化して受け継がれる伝統工芸


松本仙翠氏: 

伝統工芸というのは、先人たちの進化の受け渡しです。どこかの時代で終わってしまったものを受け継ぐだけでは、途絶えてしまいます。技術、工法を受け継ぎながら新しいことに挑戦していく。そうした試みが、新しい“伝統”を生んでいくのだと思っています。

私は、今までの作品と工程を全部図面に残しています。技法を変える時も、後で困らないように流れがわかるように記録しています。寸法が違ってくると、仕上がりも変わってくるので、頭の中だけではなく、全部書き起こして残しています。どういう形で使われるかはわかりませんが、やはりあとに続く人に残しておきたい。

もちろん一生現役なので若手もすべて、よきライバルだと思っています。その良きライバル、作り手たちがいるからこそ、励みになります。業界があるからこそ自分の技術が比較できる、競争相手がいて、切磋琢磨できるから良いものを作ることができる。業界があってはじめて、その中で自分が輝けると思っています。

ところが今、源材料そのものが輸入できない状況にあります。材料がなければ、どんなに作りたくても作れません。業界全体の未来のためになんとかしたいと、石垣島で玳瑁(タイマイ)の養殖事業を始めていますが、今はこれを成功させたいと思っています。

もう試作品も作っていますが、石垣島のミンサー織など現地のものとのコラボレーションで何か新しいものができないかと、やはり頭の中は新しい何かをやりたいという気持ちでいっぱいですね。