こけしが繋げてくれる“絆”と“笑顔”
こけし工人の梅木直美さん。父であり、師匠でもある梅木修一氏に師事し、蔵王高湯系の伝統こけしを継承しています。「周りの方々の応援で育てられてきた」という、こけし工人としての覚悟、向き合う姿勢とは。梅木さんの歩みとともに伺ってきました。
伝統を受け継ぐ覚悟
――たくさんのこけしに囲まれたお部屋にお邪魔しています。
梅木直美氏:
ここには、昔からの師匠の作品が並べられています。私の父であり師匠でもある梅木修一は、蔵王高湯系のこけし工人として70年以上にわたり活動し、今なお現役で、こけしづくりをおこなっています。私がこけしに携わるようになったのは20歳ぐらいですが、その頃は描彩のみで、本格的に専業でやるようになったのは、つい最近のことです。
――今まさに木地挽きの修業中ということで。
梅木直美氏:
「轆轤(ろくろ)を回せて一人前のこけし工人」なので。当初、専業でやることに対して父は反対していました。工場(こうば)には女性一人では動かせないような大きな機械もありますし、制作工程には危険も伴います。私も実際に現場に入った初日に、現場の雰囲気に圧倒され、危険であることを知りました。私の中でも、「私が継ぐために高齢の父を、また危険な現場に立たせてしまう」という葛藤が生まれましたが、「教わるなら今しかない」という想いが勝りました。
最初は、「(危ないから)これは俺がやる」「いや、やらせてください」と、そんなやりとりもありました。お互い迷いを抱えながら3年の月日が経って、ようやく今、初歩から教わっています。
――ブログでも、そうした日々の模様を発信されています。
梅木直美氏:
こけしづくりの活動とともに、愛好家の方たちとの交流も記しています。師匠は常々、「こけし屋ほど恵まれた商売はない」と言っていますが、私も日々そうした交流を重ねながら実感しています。今までもこけし工人と愛好家の皆さんとの間に感じるこうした「絆」が、私を「こけし工人」として育ててくれました。
こけしを愛する人々に見守られて
梅木直美氏:
昔は工場(こうば)と自宅が隣接していましたが、幼い頃は父の仕事ぶりに触れる機会もなく、将来「こけし工人」になりたいとは思っていませんでした。ない物ねだりだったのでしょうか、会社勤めのサラリーマンの家庭に憧れていたくらいです。父も継げとは言わず、私もその気はなく、普通に中学〜高校と進み、そのまま企業に就職しました。
こけしにたずさわる最初のきっかけは、社会人になって間もない頃でした。私は事務職として、コピー機を扱う会社に入社したのですが、「全員営業である」という当時の社長の方針で、私も何かを売らなければならなくなったのです。
新人で既存のお客様を持っていない私は困り果て、ある方にお願いすることにしました。その方は、ずっとこけしを集めてらっしゃる蒐集家で、うちにもよく出入りされていたのですが、会社の大口取引先の常務でもあったのです。
その方に相談すると、快く応じてくれました。ただし「こけしを描くように」という条件付きで……。売らなければと必死になっていた私は、ふたつ返事で、描くことにしました。
――そこで梅木直美さんの作品がはじめて生まれた……。
梅木直美氏:
本当に誕生日のように、ケーキまで用意してお祝いして頂きました。
けれどそこからが大変で、「梅木修一の娘がついに筆をとったぞ」と口コミで広がり、こけしの愛好家の方たちからご注文を頂くようになり、そこから兼業で定期的に描くようになりました。
父は、「こんなにありがたいことはない」と言っていましたが、当時の私は、そのことについて、あまり実感がありませんでした。描くようになって数年後、「鳴子こけし祭り」に招待頂き、実演販売をすることになりました。そこで初めて公の場で「こけし工人です」と名乗りました。
その頃の作品は、お世辞にも上手だとは言えないものでした。普通、商品というのは完成された完璧なものを求められると思いますが、こけしの世界ではちょっと違っていて、初作の時期のものでも、成長過程を楽しむ形で手にとって下さいました。
こけしに表れる作り手の心
――周りの応援に支えられてきたのですね。
梅木直美氏:
なんども挫折しかけては、そのたびに助けられ、続けてきました。ある時、ある人から「あなたのこけしは個性がない」と言われ、大変落ち込んだことがありました。伝統こけしは、“伝統”を受け継ぐもので、絵柄や模様から「個性」が出るものではなく、最初は意味が理解できませんでした。それからショックで自信をなくしてしまい、しばらく筆を置きました。
そんな時に支えてくれたのは、やはり同じこけし工人の仲間でした。「もう無理だ」と弱音を吐くたびに、「絶対あとで良いことあるから」と励ましてもらいました。
また、11系統あるこけし工人が地域の枠を超えて一堂に会する『美轆会(みろくかい)』というのがあるのですが、そこの会長からも応援を頂いて、なんとか続けることができました。ふたたび筆をとるようになってからも「伝統こけしの中での“個性”とは何か」、ずっと頭の中で自問自答していました。
昨年、はじめて会長から「こけしの表情が良くなった。専業でやっていく覚悟が顔に表れてきた」と言われた時に、「個性は描き方ではなく、向き合う作り手の心だ」と気がつきました。自分の人となりや生き方が、筆に乗って表情に表れるのだと。こうして、愛好家や収集家の皆さんに支えてもらい、気づかされながら、こけし工人としての道を進んできました。
笑顔をつなぐ こけしづくり
――作り手の姿勢が表れるのですね。
梅木直美氏:
こけしを描く時は、いつも絶好調とは限りません。いろんな気持ちの揺り戻しがあって、どんな時でも笑顔でいる、まっすぐ向き合うというのは、なかなか大変です。しかし、向き合う姿勢が“個性”となって表れてくるので、作品の技術もさることながら、そうしたことを大切にして作っています。
私のつくるこけしは、決して笑っているようには描いていません。けれど、「癒される」と言ってくださる方もいます。仕事でストレスがあって落ち込んだとき、こけしを見た瞬間「ふっ」と緩んで癒される。それは、こけしの表情に本来の自分が持っている姿を見ているからだと思うのです。また、こけしを見て「かわいい」と和まされるのは、自分の赤ちゃんだったころの姿を眺めているからなのだとも思うようになりました。
――こけしの表情に、自らを眺めることができる。
梅木直美氏:
ある時、私のブログに「こけしを見た瞬間に笑顔で生きようと思いました。」とコメントを寄せてくださった方がいました。「笑顔になろう」じゃなくて「笑顔で生きよう」という表現に衝撃を受け、それが、こけしを通して私が伝えられるメッセージなのだと気づかされました。そして、頂いた言葉に私も元気を頂きました。私のエネルギーは人の笑顔なのかもしれません。その貰った笑顔の往復で、私もまた、誰かが癒されるこけしづくりをこれからも続けていきたいと思っています。