- 転勤族で、環境の変化に適応するうちに、自分を主体と客体で捉えるクセがついた
- (祖父のように)検察官や裁判官になろうと思っていた
- 学生時代はエッセイやコピーライティングもやっていた
- 想いは「ど真ん中」で伝えることが大事
- 資産運用も芸術的行為に近いのではないか
- 今いる人に喜んでもらいたい
藤野英人(ふじの・ひでと)氏プロフィール
1966年、富山県生まれ。早稲田大学卒業後、野村投資顧問(現:野村アセットマネジメント)、ジャーディンフレミング(現:JPモルガン・アセット・マネジメント)、ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントを経て2003年レオス・キャピタルワークス創業に参加、CIO(最高運用責任者)に就任。現在に至る。 中小型・成長株の運用経験が長く、ファンドマネジャーとして豊富なキャリアを持つ。 著書に『「起業」の歩き方:リアルストーリーでわかる創業から上場までの50のポイント』(実務教育出版)、『投資家が「お金」よりも大切にしていること』(星海社新書)など。
「万物流転」の株式投資
藤野英人氏:私の仕事は、大きく分けて、三つあります。一つは投資の運用。つまりお金を集めて日本の株式市場に投資をし、仕事をするというものです。もう一つはその営業。実際に投資信託の商品を販売するという仕事をしています。三つ目は、投資啓蒙の仕事で、広い意味で見ると教育や出版です。本を書いたり、大学や東証「+YOU(ぷらす・ゆー)」で講師をしたりしています。
“レオス”はギリシャ語で「流れ」という意味。“キャピタルワークス”は資本を働かせていくということです。つまりレオス・キャピタルワークスとは、資本を働かせて流すということ。でも今は、投資やお金、そして情報も人も、何も流れていません。ですから、よりアクティブに動く人を作りたいというのが目的となっています。
アクティブに動くというのは、いきいきと働いたり、遊んだりするということです。働くことだけが人生ではありません。ただ食べて寝るだけの生活のような生き方をするのは、とても残念な話です。「お金儲けだけではなく、いきいきとした人たちや社会を作りたい」という思いが強く、だからこそ社名にも“レオス―流れていく”という意味合いを含めたのです。つまり澱んで(よどんで)いないということですね。
――常に流れる水のごとく。
藤野英人氏: 攪拌している状態、澱んでいる水ではないという意味合いがあります。鴨長明が言っているところで「不定(ふじょう)なること」つまり、無常であるということ。“ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず”と『方丈記』にありますが、実は、ヘラクレイトスも“万物は流転する”と言っています。
世の中のことは全部動いている、というのが「パンタ・レイ」という言葉なのです。「パンタ」は万物、「レイ」は動く、ということです。社名の「レオス」はそこからきていて、「レオス」の動詞形が「レイ」なんです。
経済学者のケインズは、持ち株会社の名前を「パンタ・レイ」としました。ケインズは株式投資が上手だったらしく、もともと「株式投資の本質はビューティ・コンテストである」と言っていたそうです。
そういうケインズの流れやギリシャ哲学、日本の哲学というのがあって、結局私たちは、常に変化して動いています。変化して動くことは、とても大事です。その後押しをして、かつ自ら変化や動きを作り出していきたい。それが私たちの思いなのです。
“大金持ち”が社会にもたらすもの
藤野英人氏: 投資の仕事というのは、預かったお金をどこかに預け、その人がまたお金を使って世の中を良くしていくということだと私は思うのです。就職した時に私は、中堅中小企業に投資をする部署に配属されました。でも実は「大手の会社に投資する方がかっこいい」と思っていた頃で、少し残念な気持ちがありました。
「墓石をいっぱい作っているんだ」というような話をされたり、普段見たことも聞いたこともないような仕事をしている人たちが、たくさんやって来ました。最初の頃に私が一番ショックを受けたのが「マツモトキヨシ」の上場です。
上場した当初は、「自分の名前を会社名にするなんて!系列のコンビニの名前は“ベンリー”だし、なんでこんな会社を調べなきゃいけないんだ」と(笑)。さらに、時価総額300億で、全体の40%、つまり120億円もの資産を社長が持っていると聞き、余計に悪い奴だと思ったりして(笑)、当時は違和感がありました。
もちろん、色々な人に会っていくうちに、その考えも変わっていきました。 会社を作って大金持ちになるというのは、真面目に仕事をしてお客様をふやし、社員を雇って、それでその会社が大きくなって時価総額が増えて、会社が上場し、給料から税金を払うということです。「これって実は、素敵なことなんじゃないかな」と思い始めたのです。
中堅中小企業に投資をして3年半ぐらい経つと、どんどん面白くなって、6年経った頃には、第一人者になっていました。それが20代後半の頃です。中堅中小企業の社長ばかり見てきましたが、創業者が多く、一から作っていくという人たちの話をずっと聞いていたわけです。
――インタビューをしているような。
藤野英人氏: ええ。毎日がインタビューです。本当に面白いんですよ。アウトプットがなく、インタビューだけをし続けていられたら、どんなに楽しいかと思います。でも、投資するための取材ですからね。
立花隆さんも本の中で「取材ばかりで、本を書かなければどんなにいいか。でも、取材し続けるためにはアウトプットをしなければいけない。だから仕方なくアウトプットしている」と言っています。「一般的に言うと、アウトプットをするために取材をしていると思われている」とも書かれていましたが、その部分にも共感しました。
私にとっては、取材は手段ではなく、目的の一つでもあるのです。「色々な話を聞くことを、一生の仕事にしたいな」と思いながら、仕事をしていましたね。
憧れの先に行くために必要な「勇気と情熱」
――投資の世界で、起業しようと思ったのは。
藤野英人氏: 私のところに来る方々は、根本的に作り上げていく人ばかり。だから、政府があれをしてくれたとか、してくれないなどという話ではなく、みんな“自分がどうするか”ということを話していました。それがすごく楽しくて、さらに感化されていきました。最初は嫌だった人たちが、憧れの対象となっていきました。
それで、「自分もあっち側に行くためには、どうすればいいのか」と考えました。頭の良さではない、お金でも、人脈でもない。じゃあ何か必要なのかというと、一つは情熱。そしてもう一つは、「あっち側」に行くために、目の前の川を越えようという勇気なのではないかと。そうして、自分たちで会社を作ることになったのです。やっぱり、情熱を持って川を飛び越えた人たちを応援していきたいという思いが、すごく強いですね。一回挑戦する、ということはすごく大事なのです。
もともとは、私の祖父が裁判官だったこともあり、親戚からは裁判官や検事になってもらいたいと期待されていました。祖父は、満州の高等裁判所で裁判官をしていたのですが、私の父が若い時に、結核で亡くなりました。私は会ったことがありませんが、父が、6、7歳の頃の写真を見ると、まさに“エリート”という感じで、大きな家に住んでいて、コックさんもいました。
それから、犬のポインターを飼っていて、半ズボンにサスペンダーといういでたちでした。祖母は祖父の結核がうつって亡くなり、その後ソ連が攻めてきて、大転落。父は兄弟で助け合いながら生きてきた中で、母と出会いました。
うちは転勤族で、東京と地方を行ったりきたりしていたので、転校の連続。小学校は三、四つ変わりましたし、中学校も三つほど変わりました。
環境の変化の中で、自分がどう行動して、どう振る舞うべきなのか。他者とどうコミュニケーションをとるかというところは、子どもの頃からの課題でした。しばらく慣れたら、また違うところへ行ってしまうというサーカス団のような環境の中で、自分を立て直していきました。
でもある意味、他人事のように感じていた部分もありましたね。それは、投資家的センスという目で見ると非常に良いことなのです。今、起きているマーケットの環境や色々なことと、自分を、主体・客体と分けて考える習慣がついていました。
ともかく私は早稲田大学の法学部を出て、検察官や裁判官になろうと思っていました。就職をしてお金を貯めて、2年ぐらいしてから司法試験を勉強しようと考えていたので、最初の数ヶ月は、資産を多く持つ人に対して、「このお金は悪いお金に違いない。こいつを捕まえてやれ」と、思っていましたよ(笑)。
私の“ラブ・アンド・ピース”(笑)の部分は、本や文学から学んだことだと思います。特にその時期から、文学などをたくさん読みました。詩も結構読みましたし、詩が好きな仲間と付き合い、フランス語や英語の詩などに憧れたりもしていました。大学時代にはエッセイを書いたり、コピーライティングをしたりして、色々なところで賞をもらっていました。
想いの「ど真ん中」を伝える
――『投資家が「お金」よりも大切にしていること』が好評です。
藤野英人氏: 出版社の中には「今は、何が儲かるかという本しか売れませんよ」とか、「『なんとかはやめなさい』というような命令形で作ってください」などと言う人もいたりしますが、星海社さんは「あなたの言いたいことを、ど真ん中で伝えましょう」と言ってくれました。それで、この本では、投資とは、お金とは、人間の生きることとは、など、わりと率直に語ることにしました。
2013年に出した当初は、あまり売れませんでしたが、2014年には、一番売れた星海社の本となりました(笑)。宣伝も広告もしていないのに、新宿の紀伊國屋では新書で1位。聞いたところによると、一人の人が3冊、10冊と買っていって、周りに配っていると。つまり、私の思いを伝えることが大事だと思ってくれている人が、全国にたくさんいるのです。他にもいくつかの嬉しい出来事がおこりました。
一つは糸井重里さんの事務所のCFOの方が読んで気に入っていただいて、それで糸井さんが「この本は素晴らしい」と取り上げてくれました。それからもう一つ。「ジャパネットたかた」の高田社長の秘書の方が読んで、社長に薦めてくださったそうなのです。秘書が推薦した本もしっかりと読むという、その話を聞いただけで「高田社長は素敵な人だな」と思いました。さらには、その本を「良い本だ」と、講演の度に紹介してくれたのです。
――何が良かったと思いますか。
藤野英人氏: ど真ん中を伝えることが大事だなと思いました。言いたいことをストレートに伝えることが重要。私の場合は、今いる読者に対してリスペクトを払い、ど真ん中の球を投げたということが、とても良かったんだと思います。
私は、ラッキーなことに、カリスマ編集者の柿内芳文さんに担当してもらうことになりました。彼は、まっすぐにボールを投げてくる人です。そんな柿内さんとの熱いやり取りの中で、本ができあがっていきました。
編集者は、最高の読者でもあり、最高の販売パートナーでもあります。もちろん営業に関しては、営業の方がやることが多いですが、“著者の立場で、営業を一生懸命考える”という目で見れば、編集者は非常に重要なサポーターの一人となります。本というのは、編集者と著者が一体化して作るものだと思います。著者が編集者を作るという面もあるし、編集者が著者を作っていくという面もあります。だから、お互い切磋琢磨していくような存在だと私は思っています。
著者になる前は、本屋さんはスティルという静かな世界でした。本屋さんで大騒ぎをしている人はいませんよね。でも、著者になってから本屋に行くと、色々なことに気がつくようになりました。
まず、本というのは生存競争だということ。2日3日経つと、本屋さんの本の棚は変わってしまうし、1ヶ月もすると、返品されます。常に新しい本が出てくるので、今、平積みされている本も、いつまで在庫されているかはわかりません。
「もう1週間ぐらい、ここにいるけれど、あの子がこの間いなくなったように、私も、もう来週はダメかもしれない」とか「また平積みに戻りたい」「今まで4段並べられていたのに、今は1段になっちゃったよ」「私、昨日POPが付いたんだ」というような本の声が聞こえるんです。
本屋さんは、実はとても動的な世界で、それに弱肉強食の世界でもあります。だから、母校に近い本屋さんで、自分の本が1段全部、平積みにしてあって、POPも立っていたのを見て、本当にうれしかったですね。母校の学生がたくさん来るところだったのもあって、思わず写真を撮りましたよ。
「ためて、増やして、進化する」
藤野英人氏: 「今いる人に喜んでもらいたい」という思いが常にありますし、私はサービス精神が強いのかもしれません。喜んでもらいたい、楽しませたい、ワクワクしてもらいたいのです。ファンドの仕事は、もちろん成績を上げることも大事。でも英語で言うと、私たちの運用の仕事はperformance(パフォーマンス)です。
ファンドの運用では、成績のことを「パフォーマンスどうですか?」という風に言います。他にperformanceを使うといえば、絵やダンス、音楽や本がありますよね。要はその過程も含めた中で、実際にその軌跡を見せるというのがパフォーマンスなのであって、運用の話も、芸術的行為に近いのではないかと私は考えています。舞台芸術のような感覚でもあります。
成績そのものの軌跡もそうですが、何に投資をしているかというところもサービスだし、それを語ることもサービスなんです。時代背景なども含めて、自分たちがどういう気持ちで、どういう形で運用しているのかという部分をパフォーマンスとしてどう示していくか。その過程を通じて、多くのオーディエンス、私たちの顧客に喜んでもらいたいのです。
基準価格が出てくると、Facebookで「今日のファンドの成績」というように必ず呟くようにしています。これも一日の軌跡を見せている、パフォーマンスの一つなのです。
ですからファンドが下がった時も、パフォーマンスとしてきちんと伝えます。良い時も悪い時もある。まさにもがき苦しむわけです。そのもがき苦しむ過程も含めて、色々見てもらうということ。今、100社に投資をしていて、それぞれの会社に社員がいて、日々活動しているわけです。
ビジネスで成功して上司に褒められている奴もいれば、うまくいかなくて、気持ちが沈んで山手線に座って何周もしている奴もいると思うんです。そういうものも含めた人間の営みがファンドなのです。ファンドは、一見ドライな数字となって出てきますが、その中には様々な人間の活動があるんです。
数字の裏には、沸き立つような熱量もあれば、小さな熱量もある。それら全部とは言いませんが、そういったものを私は提示していく。これがパフォーマンスなのです。 この仕事は、小さい喜びから大きな喜びまで、毎日、様々な喜びがあります。100社ありますから、その中には、上がる株、下がる株が必ずあります。そういう面で見ると、毎日色々な喜びがありますよね。
それから、色々な会社の起業家、経営者と会って、「こういう人に会えて良かったな」とか「すごい生き様だな」と感じたりする、出会いによる喜びもあります。また、実際に成果が出て、「儲かりました」と、お客様からお礼の電話が掛かってくることもあります。そういう時に、「ああ、やってよかったな」と思います。
私たちは今、3年連続ファンド大賞を取っていて、今、4年連続を目指しています。それが取れたら、大きな喜びとなると思います。ファンド大賞を獲るというのは、自分の名誉のためでもありますが、ファンドマネージャーそのものの名誉もあって。「ファンドマネージャーってかっこいいね」とか「ああいう仕事に就きたいね」と、一人でもいいから、子どもに思ってもらうこと。それが次の世代にとってはすごく重要なので、それはなんとか達成したいですね。投資教育というのは私にとっての、重要なミッションの一つです。
――投資の文化を伝えていく。
藤野英人氏:それが自分の大きな使命だと思っています。お客さんには、最終的には投資で資産を増やして、より進化してほしいですね。私たちがよく言うのは「ためて、増やして、進化する」ということ。
海外旅行に行くとか、結婚するとか、老後の生活に不安がなくなるとか、家を買うなど、何か新しいことをスタートできることが大事だと思います。お金を増やすこと自体が目的なのではなく、それぞれの人の進化を、私たちはお手伝いしたいのです。
進化したいと思うところへ、連れて行ってくれるサポーターという、“ひふみろくん”というゆるキャラもいて、LINEのスタンプも作っています。単なる金融商品を届けているだけじゃない私たちの想いを、ひふみを通じて感じてもらえるようにこれからも取り組んでいきます。