・「なぜ研究をしているのか」答えは「楽しいから」
世界で活躍する競争心を育んだもの
――このほど、こちらに居を構えられたそうで。
金出武雄氏: 最初は5年という予定で渡ったアメリカも、気づけば35年。なんとなく「日本に帰ろうかな」と思い、故郷であるここ丹波に家を建てました。カーネギーメロン大学の職はそのままに日米を往復する生活をしています。
35年前、米国行きを強く希望した私に、最初は反対された指導教授の坂井先生は、「そこまで言うなら、コンピューターサイエンスという新しい分野で、日本人がどこまでやれるかやってこい。ただし、日本人であるということを武器に使って勝負したらいかん」と言われて送り出されました。昨日のことの様です。
アメリカでは「日本の会社との仲をとりもってあげるよ」とか、日本では「アメリカの最新情報をおくるよ」、とかで自分の価値を作るようでは良くない、ということです。80年代は我が国が元気な時で、アメリカには「日本に学べ」という風潮があった時代でしたからパイプ役に価値があったのですね。
当時日本はペブルビーチまで買ってみんなに嫌がられていたけれど、今それをやっているのは、かつての日本のような元気さをもつ中国です。
研究者だと外国に留学制度がありますが、昔は選抜試験をするほど人気でしたが、それが今ではあまり人気がないらしい。大企業の海外駐在なども「行きたくない」という声も多いと聞きます。
――そこで競争心が育まれた。
金出武雄氏: そのためにはよく勉強ができることが重要だと考えていました。自分で言うのも変だけど、子どもの頃はいわゆる「ティーチャーズ・ペット」でした。「ティーチャーズ・ペット」というのは、「学生に紛れたプロの記者が良くできて、ヒロインのジャーナリズムの先生のお気に入りになる」というラブストーリの映画でなんですが、僕も似たような所があったのでしょう。
中学時代、放課後に僕が先生になって同級生に因数分解を教えていたりもしました。宿題まで出して、やって来ない奴には怒ったり(笑)。同窓会では当時の同級生に「お前のせいで、えらい目におうた」と良く言われます。恥ずかしい限りです(笑)。
上昇志向の世の中で
――先生の代理をするほど、勉強に意欲を持っていたんですね。
金出武雄氏: そんな私につきあってくれる仲間がいたのです。全体がそんな意欲を持った雰囲気に包まれていました。高校を卒業したのが昭和39年(1964年)オリンピックの年です。高度経済成長期まっただ中で、技術によって国を支えるんだという気概で、勉強のできる子は理学部、工学部などの「理系」を目指すという感じでした。当時、父親に変わって大黒柱的存在だった兄は「勉強するんだったら、東京よりやっぱり京都の方がいい」と言いました。
当時、京都大学には電気関係の学科が電子工学科、電気工学科、電気工学第二学科と3つあって、50人ずつで150人の定員。「原子力も花形でカッコいいな」と思った原子力工学科の定員は30人。競争率はどちらも同じで3倍足らず。「450人受けて150番以内に入らないことはないだろうが、90人集まって30番に入らない可能性はゼロではない」という僕の素人統計理論によって、電気を受けることにしました(笑)。もっとも、このときは試験でえらい目に遭いました……。
―― どんな目に遭ったんでしょう(笑)。
金出武雄氏: それまでの私の試験の解き方は、数学でも理科でも、「問題の1番から順番に全部やる」というものでした。ところが入試直前に入学試験の心得なるものを読んだのです。「まず、易しい問題から順番に解くべき」と書いてあった。「今日は本番だからそれでいこう!」としたのが良くなかった(笑)。
やり方を変えてしまったことで、調子が狂ってしまい数学はまったく出来ず、次の国語の時間もよく分かりませんでした。京大1本しか受験していなかったので、「これはダメ、浪人か。ウチにはお金もないし、とにかく大変なことになった」と心の中は諦めモードで、六甲山のハイキング道路をウロウロしていましたよ(笑)。
ところがふたを開けてみたらなぜかトップの成績だったようです。転機は理科の試験。これも調子が悪く残り30分なのに、まだ解けていない問題がたくさんありました。気が滅入って気分が悪くなったのか、トイレに行きました。すると戻ってから、すこぶる調子が良くなって問題を解くことが出来ました。その経験もあって「受験する時はトイレに行くといい。これが秘訣だ」とよく言っています(笑)。
首尾よく入った京大では大学院まで進みました。その後、助手をしていた頃、カーネギーメロン大学のアレン・ニューウェル教授と知り合い、一年間の客員を経てその後京大を辞職、渡米して35年間、今にいたる訳です。
枠外からの参入が、ダイナミックなものを生む
――アメリカではアクションスターのブルース・ウィルス主演の「サロゲート」という映画にも出演されました。
金出武雄氏: おかげさまで研究成果で賞を得たとき、よくインタビューを受けました。そんなとき、受ける質問は決まって「ドクター・カナデ、将来、コンピューターは人間より賢くなると思いますか?」というものです。彼らインタビュアーは「ならない」という答えを期待している様です。おそらく、人間の尊厳を壊されくないという思いがあるのでしょう。
でも僕は意地悪だから、「間違いなくコンピューターの方が人間より賢くなる」と言います(笑)。すると「人間より賢くなったら、コンピューターが人間を支配するようになりませんか?」という次の質問がきます。私は答えます。「So, what’s a problem?(で、何か問題でも?)」と。
その映画の設定は、ロボットが自分の代わりに行動をしてくれて、操っている本人は家で見ているという未来社会のものでした。だけどブルース・ウィリス演じる生身の人間のFBI捜査官は最後には悪者の代理ロボットに勝つのです。先ほどの受賞時のコメントはこの映画のために言ったわけではありませんが、まさにその筋にピッタリで、映画のなかでもそのせりふを言うこととなりました。
――コンピューターが人間よりも賢くなったら……色んな答えが出てきそうです。
金出武雄氏: 難しいですよ。本当に賢くなったら、どうするのかなと僕もよく問うています。ロボットが役に立つことをしてくれるから、人間は役に立たないことをするべきかもしれません。でもそれもちょっと淋しいような気もします。ただ、「人間しか愛や感情がない」というのは、僕に言わせれば明らかな間違い。
それは、「僕にしか愛がないのであって、あなたは愛なんて知らないだろう」と言うのと同じことです。かなり傲慢な考えだと思います。我々が賢いと認めることのできるレベルの人工知能は、僕が生きている間ぐらいには出てくるかもしれませんね。あと2、30年というところでしょうか。
――技術は日々進化しているのですね。
金出武雄氏: 最近買ったソニーのデジタルペーパーは便利ですね。書籍を購入するときの利便性も大きく向上しました。購入する際はもっぱらAmazonです。ただ現時点では、「お勧めの本」として、自分でも分からない「興味はこれ」というレコメンドに従う恐ろしさは感じます。
私は本を読むとき、徹底的に調べて紙の本にエンピツで細かく書き込みをします。読み返したときに得られる記憶、というのは電子書籍でスイスイと読むことでは得られないものですね。記憶を繙く「手垢」のようなものが欲しい。それが、愛着を感じるか否かの分かれ目でしょうか。
電子書籍のメリットは「探す」ということ。現在テキストで検索ができるわけですが、絵で検索できても良かったわけです。それほど難しいテクノロジーではないから、もっと早く出てきてもおかしくなかった。やっぱり、枠外からの参入というのが、ダイナミックなものを生むのではないかなと僕は思いますね。新しいものは、意外と違う分野の人からやって来るものが多いのです。
――新技術とどのように向き合うか。
金出武雄氏: 技術というものは道具です。ただ、道具には力があります。例えばソ連の崩壊にFAXが重要な役割を果たしたそうです。当時はまだ携帯電話も一般的ではない時代でした。ソ連国内の反対勢力は、情報をFAXでやりとりしていました。国の意向に添わない書物などは、出版社に圧力をかけるとか色々な方法がありますが、FAXは検閲できないからです。そういう風に国の体制までをも変える力があったということ。すごいなと思いましたね。
今、同じ役割をしているのはインターネット。独裁政府に都合のいい情報だけを国民に流すことが、簡単にはできなくなりました。国が情報をコントロールするのは、書き込みに対する監視要員も膨大な数が必要ですし、すごく大変になりました。変で、かつ嫌な話ですが、その経費削減のためには文章の意味理解の出来る自然言語処理はもっとも直接的に役に立ちますから、今世界で一番、そういった技術に力を入れているのはそういう体制を敷いている国でしょう。
科学も工学も文学も、同じ芸術の類じゃないか
――「金出論」を『独創はひらめかない 「素人発想、玄人実行」』に記されています。
金出武雄氏: JALの機内誌の仕事で知り合いになった、岡村さんというカメラマンの方の提案がきっかけでした。「一般向けの本を書かれたらいかがですか。口頭で話していただければ本にしますよ」と提案してくれました。でも僕は、「ドクター・カナデもすることがなくなったから、こんなものを書くのか」と言われるのではないかなどと考えてしまいました(笑)。
研究者は、そういうことにすごく抵抗感あるんですよ。結局受けることにしましたが、口述筆記でライターが書いたものは上手だけれど何か違う。結局それを材料として、スタイルや構成を変えて、イチから自分で書くことにしました。
『素人のように考え、玄人として実行する』(PHP)は、装い新たに『独創はひらめかない 「素人発想、玄人実行」』(日本経済新聞出版社)となって出版されました。
――文中に「科学も工学も文学も、同じ芸術の類じゃないか」とありますが。
金出武雄氏: 僕がいつも学生にいうのは、良い書き物というのは常に最初に戻ってこなければならないということ。あらゆる文学において、そうなっています。
例えば、映画の「風と共に去りぬ」でも、スカーレット・オハラが大きな屋敷の階段を下りてくるところから始まり、最後にやっぱり戻ってくるんですよね。
「The Phantom of the Opera」でもそうです。そういう風に作らなければ人は納得しないのです。ここにある今朝の読売新聞の「編集手帳」もそうでしょう。殆どの書き物はそういう風に基本的なパターンがあるので、それを踏まなければダメなんです。
研究もおなじです。その中で、バリエーションを変えていく、あるいは意図的に、ここが重要なんですが、意図的に破ることもするのです。このインタビューも原稿になったときは、実際の順番どうりという訳にはいかないですよね。汲み取りやすいように、ストーリーが大切ですよね。
話し言葉と書き言葉の、些細なニュアンスの違いも出てきます。「例えば、ほんのちょっとしたことでも」というのと、「ほんのちょっとしたことでも、例えば」とやるのでは、感じが違います。そういったことまで考えて、何度も書き直しました。
「なぜ研究をしているのか」の答え
――豊富な読書経験は、この書斎にある本棚からもうかがうことができます。
金出武雄氏: 本棚を見ると、昔のアルバムを見ているようで面白いですね。アメリカから持って帰ってきた本は、サイズの大きな洋書が多く、運送業者に梱包してもらったら345箱もありました。全部は持ちきれなかったので、半分以上捨ててきました。私はそれほど読書家というわけではないですが、アメリカの研究所時代とは別に学生時代に買った本も残っています。
ここにある『CIA』は面白いですよ。CIA(アメリカ中央情報局)の成り立ちが詳細に書かれています。あと『The rise and fall of great powers』(『大国の興亡』)は、ローマ帝国を例に出したアメリカに対する警告書で、示唆に富むものでした。あと、Altoという世界最初で最高のパソコンを開発したゼロックスがなぜパーソナルコンピュータの覇者になれなかったのかを描いた『Fumbling The Future』や、ヘンリー・キッシンジャーの『On China』も持って帰ってきていますね。
これは、ワープロ誕生の日のことを描いたものです。ワープロを作るのに東芝の森健一さんを中心に、プロジェクトメンバーの河田勉さんや天野真家さんなどの研究者たちが色々苦労しました。河田さんは私がいた京大の坂井利之先生の研究室に国内留学してきたのですが、その思い出ばなしに、「『英文で書かれたドクター論文の中に、英語のミスの1ヶ所が発見できたら1000円の賞金を出します』と彼は笑いながら誘いをかけてきた。その大学院生が金出武雄・現カーネギーメロン大学のプロフェッサーである」という風に私の院生時代の話がでてくるんです。
日本の色んなテクノロジーを考えた人たちが、どういうことをやっていたか、というのがわかってこの本も面白いですよ。
――楽しみながら研究されている。
金出武雄氏: 色々なモノを作るのが好きなのです。研究以外でもね。ピッツバーグの家でも、電気仕事、配管、ペンキ塗りなど、全部自分でやりました。職人が来ても、汚かったら自分でやり直しましたね。トイレも直しましたし、シャワールームはタイルの貼りかえから全部しました。もう趣味のようなものです。研究も同じかもしれません。
研究の目的として、人類のためとか言う人もいますが、私自身は正直言って、そんな崇高なことを考えたことは1回もありません。「なぜ研究をしているのか」その答えは「楽しいから」「一種の冒険なんだ」。それが正直な僕の答えです。
コンピュータービジョンの大変革を迎えて
――今はどんなことを楽しんでいますか。
金出武雄氏: 「パーフェクトストーム」という言葉は、もともと三つの最悪の気象条件が重なった強烈な嵐という意味ですが、「千載一遇のチャンス」という意味にも使われます。
コンピューターグラフィックス(以下CG)の分野は、1980年~90年にかけてゲームという応用がきっかけで爆発的な進歩をしました。大学で研究していたCGを凌ぐほどのものを、普通の人が使えるようになったのです。
コンピュータービジョンは、同じ画像でも雑音のある実画像を扱うため、CGに比べて難しくそう簡単にはいきませんでした。でも今、それが変わりつつあるんじゃないかと思うのです。
――CGのような発展途上に、コンピュータービジョンはたっていると。
金出武雄氏: そうです。コンピュータービジョン(ロボットの目)の世界には、まさに「パーフェクトストーム」が起こっています。プロセッサーは昔に比べると素晴らしい計算力があり、かつ低電力で動く。周辺のセンサーやカメラの技術も超高性能・小型化しています。
新しい強力なアルゴリズムも揃いつつあります。これらがあいまって、コンピュータービジョンの2010年代は爆発的進歩の時代と位置づけられるでしょう。技術の向上で、コンピュータービジョンが様々な場面で応用され、生活は便利になり、お年寄りは生活しやすくなります。そういう風に、人間がやること全てについてコンピュータービジョンが使える時代がもうすぐそこまで来ています。