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藤田一郎さん(阪大大学院生命機能研究科教授)「研究へと誘ってくれたあらゆる本との出会い」インタビュー

大阪大学大学院生命機能研究科教授として、視覚の脳内メカニズムについての研究を行っていらっしゃいます。著書には「 『見る』とはどういうことか」、「脳の風景」、「脳ブームの迷信」など。研究の道を目指したいきさつや、忘れられない本の話など伺ってきました。

こんな話をしています…
物事は分かりやすく語れなければ本当に正しく理解しているとは言えない
結局、研究者の道は「動物の行動がすごい、人の心が面白い」という感動からスタートしている
真に感動するのは科学の論文。心の底から「これはすごい!」と思うと机の上で固まってしまう
1人の人間で明らかにできる自然の秘密なんて限られている

藤田一郎(ふじた・いちろう)氏プロフィール
1956年、広島県生まれ。東京大学理学部生物学科卒業、同大学院動物学博士課程修了。理学博士。岡崎国立共同研究機構生理学研究所、カリフォルニア工科大学、理化学研究所、新技術事業団等を経て、現職。脳の認知機能の中でも、視覚に注目して、知覚の形成の脳内メカニズムについて研究を行っている。 著書に『脳はなにを見ているのか』(角川ソフィア文庫)、『脳の風景:「かたち」を読む脳科学』(筑摩選書)、『脳ブームの迷信』(飛鳥新社)、『「見る」とはどういうことか―脳と心の関係をさぐる』(化学同人)など多数。

物事を分かりやすく説明できなければ真の理解とはいえない

――生命機能研究科とは、どのような研究をするところですか?

藤田一郎氏: 一口では言い切れないほど、とても広い分野を扱っています。生物物理学、細胞生物学、発生生物学、免疫学、遺伝学、そして僕たちの研究している脳科学。去年、脳情報通信融合研究センターができました。脳科学をさらに発展させようと、総務省の情報通信研究機構と大阪大学、民間企業の国際電気通信基礎技術研究所の三者共同プロジェクトが始まりました。

僕自身はここ20年、視覚の脳科学の研究をしています。僕はもともと、魚の嗅覚やフクロウの聴覚を研究していたのですが、25年前、アメリカから日本に戻ってきた時に、和光市にある理化学研究所で脳科学のグループが立ち上がって、「視覚のグループができるので来ませんか」と声を掛けていただき、視覚の研究を始めました。例えば、目に映った像からどうやって物体を認識しているのかを調べています。ここ15年ほど一生懸命やっているのは両眼立体視です。右目と左目の両方を使って見る世界が片目で見る世界と違って立体的に見える。そのメカニズムを調べているのです。それが今の中心課題ですね。

——それら研究成果を一般向けに執筆されています。

藤田一郎氏: 本を書くことは僕にとって、自分の研究していることを本当に理解しているかどうかの確認作業みたいなものです。専門用語や学会で当たり前と言われているロジックだけで話しても、分かったような気持ちにはなれないでしょう。もっと分解した言葉で、普通の言葉で語れるはず。それができる時とできない時があるのです。どうしてできない時があるのかと言うと、研究にはたくさんの背景があるので、その背景を順序立てて話すことができない。もしくは自分では理解しているつもりだったのに、たくさんある出来事のうちの1つをあまりよく理解していないから。それを突き詰めてもう1度考えてみる。それが、僕が本を書く時の1番のモチベーションとなっているところがあります。

中学・高校生の頃、数学で微分や積分とかを習った時に、普通の言葉で積分がなんなのかを説明してくれないと分からない。電気も、電圧とか電流と言われても、もっと分かりやすい言葉で中身を説明してもらわないと理解した気持ちになれない。でも、困ったことに受験勉強の時はそういうことを言っていられないところもあるでしょう。それでワーッと表面だけ物事を分かったような気持ちになって進んだのですが、いざ科学の分野に入ると、表面的理解で良いわけがない。ですから、物事は分かりやすく語れなければ本当に正しく理解していないと思います。

本との出会いで生物学の道へ

藤田一郎氏: ぼくの生まれは広島ですが、生まれてすぐ東京に移りました。小さい時から“昆虫少年”で、とにかく虫が好きで大きくなったら生物学者になりたいと思っていました。父親が医者でしたので医学にも興味があったのですが、中学・高校生くらいの時、今西錦司さんを筆頭に、桑原武夫さん、梅棹忠夫さんなどのいわゆる「京都学派」に惹かれていまして、うちにはその人たちの記した本が家に沢山ありました。

ただそれで、ストレートに生物学者に〜というわけではなく、もっとどこか未開の地に探検に行くような、そんなこともできる学問分野に進みたい気持ちが出てきたのが理由でした。

一方で、僕の家では留学生を預かっていて、身近に触れていた英語もすごく好きでした。それで、国際関係にまつわる仕事も楽しいなと思っていたのです。そんなことを考えているうちに、どんどん受験が近づいてきて、高2の文理選択時には困ってしまったのを覚えています(笑)。

——生物学にも医学にも、文化人類学にも国際関係学にも興味があって……。

藤田一郎氏: それで悩んでいたら、東大の理科Ⅱ類というところならば、生物系や農学系に進学もできるし、10人ほどは医学部に進学できるということを知りました。文系への転部も多いと言われていたので、とりあえずそこへ行こうと(笑)。それから一生懸命勉強して、東大の理科Ⅱ類に進みました。

東大に入ったけれど……

藤田一郎氏: せっかく入った大学でしたが、ふたを開けてみたら生物学の授業は正直なところあまり面白くありませんでした。高校1年生の時、まだ化学の授業で有機化学が始まっていない頃から、有機化学の初歩から教えて下さる、面白い生物学の先生がいました。分子生物学の基礎も学び、みんなでDNAのモデルを作ったこともありましたが、それに比べたら大学の授業は遥かにつまらなくて。高校の先生が数年前に熱意をもって教えて下さったことを、大学で表面的に復習しただけという感じがしたものです。

――それでも生物学へ進まれた。

藤田一郎氏: 僕が大学へ入学したのは1975年。その2年前、1973年のノーベル賞が動物行動学のコンラート・ローレンツ、ニコ・ティンバーゲン、カール・フォン・フリッシュの3人に与えられました。当時、京都大学の日高敏隆さんが、動物行動学の本をたくさん翻訳されていて、大学の生協の平棚にバーッと並んでいたそれらの本を、たくさん読んだんです。

その中の1冊にコンラート・ローレンツの『ソロモンの指環』という本があったのですが、その中でシクリッドという魚についての記述がありました。アフリカの湖に生息していて、その一種は、オスが口の中に子供を含んで子育てするのですが、目の前にイトミミズを落とすと、食べたい気持ちと、口の中に子供がいるから食べられないという気持ちが葛藤し、その葛藤が行動に出る様子が書かれていました。そこの所が何とも言えない情感のこもった文章になっていて、それを読んだ時に何かがビビッ!と頭に響きました。「行動学は絶対面白い」と思って、生物学を学びたいという気持ちが固まりました。迷いが吹っ切れて、やはり小さい頃からの夢だった生物学者になろうと決めたのです。

東大の生物学科には動物学、植物学、人類学という3つのコースがあり、僕は動物学を専攻しました。2年生の冬学期から専門の授業が始まり、最初の教科書は『フロム・ニューロン・トゥー・ブレイン(From Neuron to Brain)神経細胞から脳へ』という、ハーバード大学のスティーブン・クフラーとジョン・ニコルスが書いた著書でした。神経細胞や脳がどう働いているかを、選りすぐった話題で紹介している本で、とても面白いものでした。その本の影響で、動物の行動を神経科学的に研究するのが面白いと感じたのです。この本に出会って、脳への興味が膨らみました。それから30年経っていますが、当初の気持ちのまま、神経科学の中でも心や行動のメカニズムを追いかけているのが僕の研究です。魚の嗅覚やフクロウの聴覚、サルの視覚など様々な研究をしてきましたが、結局、研究者への道は「動物の行動がすごい、人の心が面白い」という感動からスタートしているんです。

自然の神秘に迫った論文を読むと感動で固まってしまう

藤田一郎氏:若い頃は、実験自体がとにかく面白かったですね。大学院では神経細胞に色素を入れて染める研究をしていましたが、きれいに染まって細胞が顕微鏡の下にバーッと出てきた時の喜びは、何にも代えがたかったです。アメリカに留学していた頃は、フクロウが音の位置をどうやって計算するかという研究に取り組んでいましたが、誰も知らないことがいま目の前で起きているのだと心の底から実感した瞬間で、身震いしたのを今でも覚えています。大事なことをひとつやり遂げたという気持ちでしたね。

けれど教授になってからは、そういう喜びを味わう機会が減り、研究室を動かすだけで懸命になっていた時代が10年ほどありました。僕が大阪大学医学部の教授になったのは37歳。まだ、実験室にバリバリに籠もっていなければいけない時に教授になり、研究室を運営し、大きな研究資金も工面しなければならなくなりました。それまで会計の処理もしたことがないのに、たくさんのお金を使って研究室を動かして、人を集めて、加えて学生の教育もして。40代をそうやって必死になって過ごしたんです。それで50になった時に、もう少し落ち着いた方がいいかなと。そのひとつとして、本を書きたいという気持ちが生まれました。40代の頃は余裕がないという感じで、本を読むことすら制限していましたから。

僕が読んで真に感動するのは科学の論文。心の底から、「これはすごい!」と思うと机の上で固まってしまうような。本当に質の良い論文は、自然の神秘に肉薄しています。そのような論文に書かれていることは自然の秘密なのです。「そういうことだったのか!」という感動があるのです。

――本を書くことになったきっかけは?

藤田一郎氏: 自分の研究の論文は常に英語で書いているので、一度日本語で本を書いてみたいなという気持ちがありました。論文は、ルールがはっきり決まっていて、余分なことは書けません。でも、余分なこと、例えば研究の思い出とか実験をしていたときの気持ちとかも書きたいなと思っていました。そんな時に、京都の出版社で化学同人社の津留貴彰さんという編集者の方が訪ねてこられて「先生、本を書きませんか」とおっしゃって下さったのです。「先生の研究している視覚の話を書きませんか」と。それで書くことになりました。

最初はなかなか書き出せなくて、半年間ほったらかしになっていました。津留さんからメールが来て、「どうですか」と聞かれても、「チョボチョボ書いています」と嘘の返事をしていました。そうしたら12月の終わりに電話がかかってきて、「大阪に行く機会があるので一度先生の所に寄ります」と。まだ一行も書いていなかったので、えらいことになったと思いました。そこから書き出して、「『見る』とはどういうことか」を3週間で仕上げました。それまで20年ほど研究をしていて、積もっているものが山のようにあったので、結局はそれを吐き出すだけで良かったのです。ですが、2冊目の『脳の風景』は、色々調べなければいけない事があり、1年半ほどかかりました。何を書くかを探しながら書いていたのが2冊目でした。

僕の場合は、編集者に褒めてもらうとありがたいです。本を書いていると「こんな専門的なことを書いて、一体誰が読むんだろう」と思う時があります。なるべく面白く読んでもらおうと思って色々なことを書き込むのですが、そうすると逆に、もっとストレートに脳科学のことを聞きたい人もいるかもしれない。反対に、神経細胞のことよりも自分の心はどうなっているのかを、かいつまんで話して欲しいという人もいるかもしれない。このようなことを考え始めると、自分の書いているものが、良いか悪いかが分からなくなってきます。そんな時に「期待にたがわず面白い話です」とか一言おだてていただくと(笑)、いい気持ちになって、「また書こうかな」という気になれるのです。

僕は、ああしてくれ、こうしてくれと言ってもらうのもとてもいいと思っています。『脳ブームの迷信』を書いた時の編集者の方とは、言葉の使い方で論争になりました。電話口で1時間以上。でも、僕は、そういうのが好きなのです。論文がそう。共著者の間で、たった1語の言葉がどういう意味を持っているかで揉めます。例えばデプス(depth=深さ)という言葉。これは物理的な量を指す用語なのか、それとも奥行き感という知覚を表す心理学的な用語なのかとか。だから疑問や文句を遠慮なく言ってくれる編集者の方がいたら嬉しいです。僕は本を出す前に、原稿を5、6人の人に読んでもらい、コメントをいただきます。根本的な勘違いがあるかもしれないためです。勘違いや思い違い、覚え違いってたくさんあります。色々な人からの意見を聞くことで、少しでも良いものにしたいと思っています。

人ひとりが人生でできることは限られている

藤田一郎氏: 僕は、趣味で読む本で電子書籍は1冊も持っていません。論文も、ディスプレーで読むと頭に入らなかったり、見たいページにすぐ戻ることができなかったりと面倒臭くて、最初はプリントしていたのですが、だんだん背に腹は代えられなくなり、今は電子化しています。

豊中キャンパスに研究室があった頃は、本棚が今の倍あり、論文のコピーがびっしりと入っていました。ですが、この新しい部屋に移る時に棚が三つしか入らないということが分かり、電子化しない限りは無理だということで踏み切りました。きっかけは、良いソフトを見つけたことです。ペイパーズといって、出版社でダウンロードを許しているところだとダウンロードした瞬間にタイトルや年号、著者が全部リストになるソフトです。

それで、ようやく紙資料が半分になったところです。あと半分がなかなか進まないのは、出版社の中にはPDFを開放していないところがあるということが1つと、もう1つは、紙資料には過去に読んだ時のメモがたくさん残っているからです。読み直した時に、自分が過去に何を考えていたのかが分かります。すると、PDFがあっても、この紙を捨てることができないのです。
10年前、20年前は、いくらPDFで読めるようになっても、僕は紙じゃないと駄目だと思っていましたが、例えば大学を辞めたら、家にこんな大きな本棚を置くスペースはない。かといって、本や資料は捨てられない。それを思うと、今からPDF化して電子化するしか手がありません。できれば、PDFに直接鉛筆で書くようなソフトができればありがたいです。そういうわけで、半年で3,700の論文をデータ化しました。それをいつでも持って歩けます。本棚9棚分ですから、やはりすごい威力だなと思います。

論文でも、本当に深く読みたいと思う時は、やはりプリントします。不思議なことに、電子ファイルからだと、なかなか頭に入ってこないのです。情報は、読んだり、書いたり、たくさんの方法を使った方が覚えやすいですし、受験の時は、「何ページの左側の上にあった単語だよな」というような、色々な手掛かりがあります。多分、本や論文を読んでいる時も無意識のうちに視覚、聴覚、触覚、時には自分の口を動かしたりして情報を集めているのです。コンピューター上では、それが疎外されてしまう気がします。

――心に残っている本はありますか?

藤田一郎氏: ピーター・メダウォーという免疫学者が書いた『若き科学者へ』。僕は大学院で脳科学の分野に入りましたが、1番の不安は、自分が科学者としてやっていく力量や才能を持っているかどうかでした。この本にはその不安に答えるようなことが書いてあるのです。本当に染み入るような気持ちで読みました。この何十年の人生でこの本以上に影響を受けた本はないなと思います。

もう1冊は僕の友人で仏教学者の佐々木閑さんが書いた『犀の角たち』。数学、物理学、進化論がどう発達してきたかという歴史を書いて、それをもとに今後科学がどう進んで、その中で脳科学がどういう役割を持つかを書いた本です。最終的には、科学が進んで到達する方向に、釈迦の初期仏教の考え方がそのままあると書いてあります。すごく単純なことですが、世の中を合理的に考えるということ。全ては原因があって結果がある。それが巡っているだけ。釈迦の教えに神様はいないのです。仏様もいない。高校、大学時代に物理や数学をあれだけ勉強していてもあまり「分かった」と感じたことがなかったのに、この本を読んだら、物理学や数学の様々な概念が「ああ、そういうことだったのか!」と理解できました。

――本が、わかった!のきっかけになってくれる。

藤田一郎氏: 私のアメリカ時代の恩師、カリフォルニア工科大学の小西正一先生が、「科学者の一番大事な仕事は次の世代の科学者を育てることだ」とおっしゃっていました。その時の僕には意外な言葉でした。最先端を研究している科学者は、次世代のことなど考えず、ご自身がただ突っ走っているものだと思っていたし、突っ走って欲しいというような気持ちがありました。でも、「そうじゃないな」というのが、この歳になって分かるようになってきたのです。

結局、1人の人間で明らかにできる自然の秘密なんて限られているのです。自分の人生の中でどこまで突き進んだとしても、大したことはできない。その分野を継いでいく新しい世代、若い科学者を育てることが1番大事な仕事。だけど、本人が一生懸命、研究に打ち込んでいなければ、下は育ちません。結局、両方やれということなのです。自分にとって大事なのは、今の様々な経済状況などに負けずに、希望を持って研究できるような次の世代の人を育てるということです。

課題は、いま抱えている研究成果を、1個でも多く、1日でも早く論文にして出版すること。また、実験をしたり、本を書いたり、なるべく雑用をせずにそういうことに集中するというのが僕の今年の目標です。まあわりと、平凡ですね。