沖中幸太郎(インタビュー、文)
こんな話をしています……
- 小さい頃から絵を描くのが好きで、それで食べていきたかった
- 「絵を描く」「ロボットを研究する」両者に気持ちの違いはない
- 価値は与えられるものではなくて、自分で見つけていくもの

石黒浩(いしぐろ・ひろし)氏プロフィール
1963年、滋賀県生まれ。工学博士。
山梨大学助手(工学部)、大阪大学助手(基礎工学部)、京都大学助教授(工学研究科)、和歌山大学助教授、教授を経て、2003年より大阪大学教授。社会で活動できる知的システムを持ったロボットの実現を目指し、これまでにヒューマノイドやアンドロイド、自身のコピーロボットであるジェミノイドなど多数のロボットを開発。2011年大阪文化賞(大阪府・大阪市)受賞、2012年志田林三郎賞(総務省)受賞。「世界が尊敬する日本人100人」(ニューズウィーク日本版/2009年)に選出など、最先端のロボット研究者として世界的に注目されている。
石黒先生の著書一覧
「絵を描く」「ロボットを研究する」どちらも新しい試みで、両者に気持ちの違いはない。
飾ることなく正直に淡々と話す様子は、やはり研究者然としている。自身の研究に対する考えもはっきりとしている。
「研究者としてやってはいけないことは“わかった風なことを言う”ことだと思っています。わからないことは、わからないとちゃんと言わないといけないんです。わかったふりをするということが大人になるということだとすれば、僕は大人になっていないのかもしれません。本当はちっともわかってないくせに、自分がある程度ものをわかる人間で、大事なことはわかっているという風に思わないと不安でしょうがないのかも。僕らは研究者なのでわからないことを解くために生きているから、わからなくていいんです」。
正直に本質を捉えようとする。「 例えば、僕は自分の研究室の学生に、本当に自分の生きている価値なんてあると思う?と質問しますね。たいてい面食らうのですが(笑)。でも、ここに私が問いたい本質があります。つまり、命の重さを人はどうやって感じているのかということです。あえて言うと、人が一人死んでも誰も気にしない。もちろん僕もその一人だと思っています。だから生きている価値は自分で見つけるしかない。人に頼るものではないという事なのです。生きている価値を残すために人は生きるんじゃないでしょうか。価値ができてしまったら、もう終わりだと思いますね」。
手放しでの人命礼讃は時に、真逆の効果を生み出す。
「自分は数学で百点を取れないけれど、隣の人が百点を取っている。どちらに価値があるのだと問われたら、通常であれば隣の百点を取った人という風に考えられる。すでにある価値が揺らぐわけです。そうやって育てられてきたから、比較によって“価値”が揺らぐとすごく不安になるわけですね。それと自分に価値があると思うということは、全員に価値があるという事になります。そうすると今度はその中で、価値の比較が始まるわけですよ。それだったら、最初から全員、最初から価値が与えられている訳ではないとした方が、生きやすいでしょう」。
あるとき高校生に生きる価値について聞かれた。「ないよ。今僕も探してる最中」と即答し、その高校生は安心したという。「みんな、あなたには生きる価値があると言われて育っていくわけです。命は大切だ、と。でも、そうして育った子どもたちの中には、自分の命がどれだけ大切なのかちっともわからないと言う子もいる。でもそれは当たり前。価値は与えられるものではなくて、自分で見つけていくものなのですから」。
人間をテーマにしたSF小説を書きたい
最近印象に残っていて大好きな本の一つに、カズオ・イシグロ氏の『わたしを離さないで』を挙げてくれた。人間や、生きることのテーマについての本は、だいたい読む。そして最近は、読むだけでなくそうした気持ちを題材に書くことも考えている。
沖中幸太郎