こんな話をしています……
- オタクになって徹底的にやりたいことをやる、それが大学の4年間
- 大学時代は演劇ばかりやっていた
- 絵でも映像でも、多様な分野からアプローチしながら、『古事記』の神話や伝承をみんなで楽しむのがいい
日本古代文学と伝承文学が専門の国文学者、立正大学大学院文学研究科長を務める三浦祐之さん。第1回角川財団学芸賞を受賞した『口語訳 古事記』はベストセラーとなりました。『遠野物語』を研究し、『古事記』や『万葉集』を今までと違った切り口で読み解いています。国文学の事、本について、お話を伺ってきました。
三浦祐之氏プロフィール
1946年生まれ、三重県出身。 成城大学文芸学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。共立女子短期大学、千葉大学教授を経て、現職。 日本古代文学、伝承文学を専門とする。 ベストセラーとなった『口語訳 古事記』(文藝春秋)のほか、上代文学関連で多くの著作がある。 近著に『あらすじで読み解く古事記神話』(文藝春秋)、『面白くてよくわかる!古事記』(アスペクト)、『日本霊異記の世界 説話の森を歩く』(角川選書)など。
27年の歳月がもたらした変化
――今年(2014年)7月に『増補新版 村落伝承論「遠野物語」から』が出版されました。
三浦佑之氏: わたしが最初に書いた本は『村落伝承論』という本で27年前に出版されました。
この本を、どこかで学芸文庫とか学術文庫にしてもらいたいと思っていたのですが、知り合いの編集者が「新しく作り直したほうが面白いのではないですか」と言ってくれたので、新しい読者にも読んでもらいたいと思い、旧版を出したあとに書いた遠野関係のものと最近書いたものを加えて増補版として今回の1冊になりました。
自分でも結構楽しい、面白い本ができたのではないかと思って喜んでいます。
今回の本では、27年前に考えていたこと、今およそ30年経って自分自身がどう変わったのか、そもそも「村落」というものがどう変わったのか、そういうことが、うまく描き出せればと思いました。
それで、新しく共同体とか、国家と村落など、そういう関係を読み直してみることができるかもしれないという期待を込めています。
オタクになれ!ただし外へ広がること
ここ(立正大学)では、古代文学と伝承文学を研究の対象にしています。講義担当は日本語日本文学専攻で、上のほうの時代を担当しているので、授業と研究はわりと重なっていて、『遠野物語』なども含めて昔話や神話と、『古事記』や『万葉集』上代文学関係の授業を担当しています。
今は大学も授業だけでは済まなくて、色々と会議などの研究や教育以外のことのほうが多くなっていますね。 若い人たちが良い環境で研究を続けられるようにできればいいと思いますが、なかなか難しいところです。 ここでは3、4年生が一緒にゼミをするので、わたしのところには20人くらいの学生がいます。学生がワイワイ言いながら発表して議論します。 わたし自身はなるべく喋らないようにしています。
講義科目では、わたしが喋り続けるのですが、ゼミの場合は学生が自分で調べてまとめたことをプレゼンテーションして、それを基に議論するということが一番大事だと思います。 お互いの考え方を確認しながら議論して、そこで色々な新しい考え方を見つけていくとかできればいいと思っています。
何かを調べるということは、最初は面倒だし苦痛もあるのですが、調べていくとわからなかったことが分かる。けれど、分かるとまた分からないことが増えるから、また次のところへ行く。そして芋づるみたいにずるずると辿っていくので終わりがない。そこが面白いのだと言っています。 そこまで行くと、調べることが楽しくなって、マニアとかオタクとかそういう類になります。
いつも新入生がくると、「とにかく4年間オタクになれ」と言います。オタクになって夢中になって何か徹底的にやりたいことをやる、それが大学の4年間です。ただしオタクになって狭くなるのではなく、必ず外へ広げて社会性のあるオタクになるというのが必要だということを伝えています。
大学でいつも問題になるのは、“主体的にどうやって勉強できるか”です。高校までは教えられて覚えるという、受け身でものを考える勉強だったと思いますが、自分自身が行動し考えることによって分かることが多い。だから、その訓練をする必要があるのです。おそらく、我々の学生時代もそうだったと思います。
例えば、「本に書いているから正しい」とか、「先生が言っているから正しい」とすぐに言う学生がいますが、「それは恐らく違う」、「偉い人が言っているけど嘘かもしれない」とか「本当にそうか?」、というふうに考えられることが、何よりも必要なことかなと思っています。
というのは、わたしのところで神話や昔話を研究しても専門家になる学生はほとんどいません。
社会に出て一般企業に就職しますが、そこでも指示待ちではなく、自分で主体的に考えたり、問題を解決したりする力を身につけていることがぜひとも必要なことだと思っています。だから、そうした訓練をして考える力を身につけてくれればと願っています。
プロ野球選手になりたかった
三浦佑之氏:わたしは三重県の美杉村(現・津市)の生まれです。小学校の頃は、学年の分け隔てなく全員を引き連れて、杉ばかりの山中や川を駆け巡っていました。文学とはほど遠い、やんちゃ坊主です。 そんなやんちゃ坊主だった私が文学に興味を持つようになったのは、中学、高校と、国語の先生が面白い授業をしてくださったのもあるかもしれません。
あるいは祖父が寝物語にしてくれた講談に興味を持ち、それで本を読んだりすることが好きになったのかもしれません。そうそう、数学とか理科系のものが全然できなかったから余計にそうだったのでしょう。消去法で残ったのが、国語であったということだったのかもしれませんね(笑)。
中学生の頃は、ありきたりの日本文学ですが、図書館に備えられていた文学全集で漱石だとか森鴎外だとかを読んでいたように思います。もちろん当時は、鴎外の難しい時代もの的な作品は分からなかったけど、鴎外の青春もので、『青年』や『雁』などはすごく面白くて、青春小説というか恋愛小説として一種の憧れがあったのかもしれません。でもそれよりも、家で祖父や親父が読んでいた『オール読物』があって、そこに載っている通俗小説や時代小説を隠れて読むほうが好きだったように思いますね。高校に入ると、現代の作家や海外の翻訳小説も読むようになりました。
――文学にのめり込んでいきます。
三浦佑之氏:ただ、文学者や研究者とかは全然考えていませんでした。小学校の時はプロ野球選手になりたいと思っていましたし。わたしの実家は山の中だったので高校へは下宿して通っていました。早くから気ままなひとり暮らしで、大学は「東京、いいなあと」というおのぼり志向で上京したわけです。その時には、確かに文学を勉強したいと思っていたのですが、研究者という道を考えていたわけではありません。わたしは団塊の世代より1学年前の世代なのに(受験人口は多くないのに)、浪人をしてしまいましたし、とにかく大学受験は大変だったことを覚えています。あまり勉強もしなかったからですが、やっとのことで大学に進めたという感じですね。
学生運動も大学院も「時代」だった
三浦佑之氏:わたしは1966年に入学していますが、68年、69年は学生運動で大騒ぎの時代でした。ですので、大学では授業を受けていた時間より別のことをしていることが多かったです。 ワンダーフォーゲル部という運動部にいて、知床を歩いたり、北アルプスを歩いたり、そういう山登りをしていましたが、1年すると飽きてしまって、「もういいじゃん。疲れるし」とやめてしまいました。
2年生になって友人が劇団を作るというので仲間に入って、それからはずっと芝居をやっていましたね。 その頃は小劇場運動が盛んで、芝居を作って外で公演したりしていました。そのうち学生運動が盛んになってきて、デモにいったり、ストライキもあったり、なかなか忙しくて大変な大学4年間でした。
その後は大学院へ進みます。 あまり大きな声では言えませんが、あの頃は「でもしか院生」というのが流行っていたのです。就職がなかったので、院生に「でも」なるかとか、大学院「しか」行くところがないとか。 わたしは一応要領よく大学を卒業しましたけど、していない連中も多かったものです。わたしは、最初から全然就職活動をしていなかったので、大学院だったら行けるかなと思って入りました。
そういう時代でしたから、両親も心配していたと思いますが、わりとわたしの親父もおふくろも「ああしろ、こうしろ」と押し付けず、好きにさせてくれました。仕送りは少なくなりましたが、「大学院に行きたい」と言ったら「そうか」と言うぐらいでしたね。 私も子供には、わりと何も言いません。娘にも「こういう道にすすめ」と言ったことはありません。言っても聞かないと思います(笑)。息子もいますが、まあ気ままに暮らしていますよ。
遠野物語と村落論
――最初の『村落伝承論』を出版したきっかけはなんだったのですか。
三浦佑之氏:『村落伝承論』を出版したのは1987年、わたしが41歳の時です。吉本隆明さんは我々の学生時代の教祖様のような存在でしたが、彼が1968年に出した『共同幻想論』は、『遠野物語』と『古事記』を扱って、そこに描かれた村落の伝承とを重ねながら国家論を展開していました。 それを読んでわたしも『遠野物語』という作品に興味を持って読んだのです。
吉本さんとは少し違うかたちで読み直せればと、わたしは『遠野物語』を村落論として読んでいました。 『遠野物語』を手に遠野へ行くようになったのが、村落伝承論を出版する7、8年前でしょうか、70年代の終わりだと思います。フィールドワークを重ねながら興味を深めていました。
わたし自身が、三重県の山の中の生まれだということもあり「村落でずっと暮らしていた人間にとって、お話とはどういうものなのだろう」と改めて考えました。
その頃勤めていた、共立女子短期大学では、難しい古典を扱うより、昔話や『遠野物語』の話を取り上げて読ませたり調べさせたりしたほうが、学生たちはずっと興味を持ってくれるのです。そうしたもろもろの理由が重なったというわけです。
大学で教えてもらったのが中西進先生という、昨年(2013年)文化勲章を受賞した『万葉集』の研究者でした。すごく面白い学者で、話も書くものも面白かったのです。それで、大学に入った時には近代文学を勉強しようと思っていたのですが、古代文学を始めました。
ところが、『古事記』や『万葉集』など古代の文学を読んでいて気になるのは、漢字で書かれたものしかなくて広がりがないのです。 今に遺されたのはそれだけだが古代には古代で、もっと別の文学世界というか、文字によらない音声による表現の世界があるだろうと考えました。そういう表現の世界を想像しながら、例えば『遠野物語』を読んでいくと、書かれたことがらの周辺に色々な伝承の世界が残っています。そういうものを一緒に考えていくことによって、古代というのはもっと広く豊かに読み直せるのではないかと思ったのです。
今思うと単純ですが、古代文学、特に『古事記』の神話や伝承を考えるために、例えば『遠野物語』を参考にすることで広がりを持たせることができるのではないかと考えていました。 そのためにわたしは、沖縄の祭りや資料を観たり読んだりしましたし、アイヌに伝えられている色々なアイヌの伝承類、カムイユカラ(神謡)や英雄叙事詩などを読んだり聞いたりもしていました。
いずれも、文字によるのとは違う語りの世界、文字ではない非文字あるいは無文字の世界というものを見通しながら、古代文学を読むともっと神話を面白く、深く読めるのではないかと、そんな興味がいつも心の底にあったということでしょうかね。今、思い返してみると。
先ほどお話したように、社会性を持って、外へ広げることの大切さ。やはり外とつながっていない研究というのは、本当はあまり役に立たないのかもしれませんし、わたし自身が考えていることを少しでも読んで、知ってほしいと思っています。 そこで何か新しい世界を手に入れていただければ嬉しいです。今、大学では社会還元ということがさまざまな場面で問題になっていますが、わたしは当然のことだと思っています。
――編集者とはどういうふうに本を作っていますか。
三浦佑之氏:たとえば最初の『村落伝承論』では、五柳書院の小川康彦さんに大いにお世話になりました。小川さんは、実はわたしの大学の2つ先輩で、学部は違いましたが、なぜか親しくしてもらっていました。
小川さんはある出版社に勤めた後、自分で神保町に出版社を立ち上げました。わたしは神保町にある女子短大に勤めていたので、よく本屋さんなどで会いました。 それで、当時、小川さんの出していた雑誌に書かせてもらったり、「本にまとめなさい」と言われたりする、そういう関係だったのです。
ですから、最初の本『村落伝承論』と、次の『浦島太郎の文学史』は本当にもうコネクションで(笑)、小川さんがいなければ最初の本は出せなませんでした。国文学の研究者は、国文学の専門出版社からデビューするのが普通です。わたしのように一般書で最初にデビューしている研究者は当時は本当に少なかったと思います。小川さんという先輩のおかげで、最初の本が本屋さんの棚に並んでいるのを見た時は本当に嬉しかったです。その時の感覚は、今でもよく覚えています。
論文は、雑誌に書いても1ヵ月すればデーターベースには残りますが、表向きには消えてしまいます。それに対し、本というのはずっと残ります。だから、きっちりと今の段階で最良のものを書きたいといつも思っています。数年で消えるのではなく、せめて10年は保たせたいと思っています。 夢、理想としては歴史に残る本というものができたらいいですね。
そういう意味では、今回『増補新版 村落伝承論 「遠野物語」から』を約30年ぶりに増補して出していただけたのはうれしかったです。青土社の菱沼達也さんという若い編集者のおかげです。
紙もいい電子もいい
三浦佑之氏:電子媒体の可能性はすごくあると思う。わたしは本を1冊自炊するとか、そういったことはほとんどしませんが、論文などは使う際に検索しやすいので、自分でPDFにしています。 整理して自分なりに使いやすくするという点でいえば、電子データは非常に便利だと思いますね。 しかし、やはり今まで何10年もそれでやってきたので、紙媒体の使いやすさは否めません。ですから急に全てを電子データに、というわけにはなかなかいかないですね。 わたしは、家でも、学校でも、本に囲まれているのですが、背表紙を見ていると落ち着きます。それに、本棚はあまり整理されていなくても「あそこに置いてある」という感覚で本が探せます。
もちろん電子データだともっと違う検索方法がいくらでもあって、そういう点では便利でしょうが、やはり紙の手触りや、質感とか紙面の感じとか、そういうところが離れられない魅力でもあります。
今は、両者をうまく使い分けていくのが1番だと思います。それから、本というのはやはり場所の問題があると思います。いらない本を整理しながらやりくりしていますが、普通はそんなに大きな書庫を作れません。新しい本を買うためにも、たまった本を整理して圧縮する、アーカイブにすることが必要になってくると思います。わたしのところも、もうなんとかしないと、本の量がすごいことになっています(笑)。
最近は本もインターネットのAmazonなどで買うことが多いですね。ただし欲しい本には古本も結構あるので、行きつけの古本屋さんに頼んだりもします。 新本も、わたしは家に帰る途中で通る新宿や渋谷に大きな書店はいくつもあるので、帰りにのぞいて選んだりもします。
電子書店というのは欲しい本が決まっていれば便利ですが、何か関連本を探すということは難しいですね。 書棚の大きな本屋さんで関連本を探すとか、知らない分野の棚や自分がいつも見る棚ではない書棚をのぞいて、新しい本を見つけるという楽しみや、発見は、実際に本が並んでいないとなかなか起きないですよね。
――最近では、どんな楽しい発見がありましたか。
三浦佑之氏:ちょうど今手元にあるこの本ですが、仕事とは全然関係のない『ATG映画を読む』という本です。2009年に8刷りになっていますが、1991年が初版なので20数年前に出た本です。それを、数日前に偶然に新宿の紀伊国屋で見つけました。
ATGというのは、日本アート・シアター・ギルドのことです。 1960年代から80年代に、わたしは新宿のATGへよく行っていましたが、この本はそこで上映された映画を紹介した本なのです。
「ああ、昔見たなあ」という懐かしい映画ばかりで、写真を眺めているだけですごく楽しい。 こういう思いもかけない本がふと見つかるのが書店なのです。
書店で映画の棚をチラチラと見ていて、「ああ、こんな本があるんだ」と思って見つけるのは思わぬ喜びです。 古本屋さんも、今は「日本の古書店」というサイトで、全国の古本屋さんの在庫が分かるので、1番安いのを買うことができます。これは本当に便利で、いいサイト。
だから、古本で買いたい本がある時はこのサイトで買いますが、やはり神保町を回って1軒ずつ歩くあの楽しさというのは何物にも代え難いところがありますね。 電子書店でも、例えばネットである本を買って、次にそのサイトに行くと「あなたに関連する本」がズラッと出る。こういうおせっかいは必要ありませんし、うるさい。趣味の問題もありますから(笑)
「僕はこんな本を読みたくない」、「勝手にそんなことをするな」と嫌になりますね。
アーカイブについては、もう大学の紀要なども全部データ化してアップしないといけません。これは文科省や学術会議の方針としても決まっており、博士論文は必ずデータ化しなければなりません。
去年までは国会図書館に入れておけばよかったのですが、アーカイブにして全部公開するということになりました。こうすれば誰でも読めるという利便性がありますし、今問題になっているようなコピー&ペーストなどもすぐに見つけられるので、とても良いことだと思います。
また、国会図書館でも大いに進めていますが、古い論文もPDFになって検索でき、簡単に読めるというのはすごくいいことです。大いに進めてほしいと思っています。
――今後はどういう取り組みに力を入れていきたいですか。
三浦佑之氏: わたしの仕事は『古事記』が中心で、今色々なかたちでみなさんに読んでいただいたり、講演などをさせていただいたりしています。『古事記』は、敗戦まで極めて偏った読み方をされてきました。戦後解放されたと言いながら、なかなか正当に読まれてこなかったところがあります。『古事記』を悪者にして禊ぎをしたつもりになっていたのかもしれません。
しかし、『古事記』は悪くはないわけで、わたしは『古事記』のお話としての面白さを、どうしたらみなさんに理解してもらえるかを考えています。今も多くのみなさんは、『古事記』というのはアマテラスから始まり、天皇家の称賛すべき歴史が語られていると思っているのですが、決してそれだけではない。
そして『古事記』というのは、そういう思想的な問題を排除したところに、物語としての面白さ、文学や古典としての大切さがあるのであり、それを理解してもらいたいと思っています。そのためには、人文科学の研究対象として、きちんと評価できるかたちで読むという作業を、わたしたち研究者は率先してやらなければいけないと思っています。
また、『古事記』を広く知ってもらうという点でいえば、漫画になって読まれたりしているのはとてもいいことだと思いますし、さまざまなアプローチが大事だと思います.
絵でも映像でも、多様な分野からアプローチしながら、『古事記』の神話や伝承をみんなで楽しむのがいいのではないかと思っています。