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駒崎弘樹さん(社会起業家、フローレンス代表)「複雑な社会課題を受けとめる」インタビュー

複雑な社会課題を受けとめる

駒崎弘樹(こまざき・ひろき)氏プロフィール ※インタビュー当時

1979年、東京都江東区生まれ。慶応大学総合政策学部卒業。「地域の力で病児保育問題を解決し、育児と仕事を両立するのが当然の社会をつくりたい」と考え、NPO法人フローレンスをスタート。代表理事として、日本初の「共済型・非施設型」の病児保育サービスを東京23区及び周辺地域に展開。2007年にはNewsweek「世界を変える100人の社会起業家」に選出。2012年1月、Great Place to Work「働きがいのある会社・中小企業部門」にて第8位を受賞。また2010年から待機児童問題の解決のため、「おうち保育園」を展開、政府の待機児童対策政策にも採用される。2012年9月に財団法人日本病児保育協会を設立し、理事長に就任。11月に全国小規模保育協議会を設立、理事長に就任。2010年9月の第一子誕生時に2か月の育休を取得、13年1月の第二子誕生時にも育休取得を予定。

女性が子どもを持ちながら働くにあたって必要不可欠な保育園が足りない。理由はさまざまだが、そのひとつに認可基準の厳しさがある。保育園、認可保育園の許認可基準は子ども20人以上。しかし大規模な保育園は都市部では作りにくい。都市部に待機児童の8割が集中しているという状況を打破していくために、提唱したのが「マイクロ保育園」だった。

3LDKのマンションや一軒家を改造して保育園にし、定員9名から12名の小さな保育園を作った。「空き家」を保育園として活用する試みは、国の政策にも「小規模保育」の創設という形で反映された。

「子育てと仕事を両立できて当たり前だという社会を作っていくのがフローレンスの使命だと思っています」。

待機児童問題をはじめ、子どもの問題を解決する認定NPO法人フローレンス。その取り組みは、子どもが熱を出したり風邪をひいたりした時に保育園に代わって預かる「病児保育」から始まった。きっかけは、ベビーシッターをしていた母親から聞いた、現場の声だった。

「母のお客さまに、双子のお母さんがいらしたんですね。それで、ある日子どもが熱を出した時に、会社を休んで看病したら解雇されてしまった、ということがあったんです。その話を聞いて、子どもが熱を出すなんて当たり前だし、親が看病してあげるというのも当たり前のことなのに、それで職を失うような社会なんだということに気付いたんです。それで、この問題を何とかしたいと思ったんです」。

これまでの病児保育は、主に国が主体となって小児科の周辺領域として行われていた。国が小児科に補助金を出して、小児科医が小児科の中に小さな部屋を作って、そこで子どもを預かる“施設型”。フローレンスは、熱を出した子どもの家にスタッフが行って保育するという訪問型の仕組みにした。

その仕組みを知るため、厚生労働省がフローレンスを訪ねた。2時間のヒアリングのあとに待っていたのは驚きの結果だった。

「いつのまにか、それが厚生労働省の政策になっていたんです。同じことを全国でやります、と。自分たちが汗と涙で苦労して考えた仕組みが、たった2時間のヒアリングで全国規模に……。

正直複雑な気持ちでしたが、よくよく考えてきたら、世の中を変える近道かもしれないと思えるようになりました」。

社会的課題を民間で、全国規模で展開していくのは困難。しかし、地域で成功モデルを作って、それを国に真似してもらえば、国が全国に広めてくれる。

「それがきっかけで、社会問題の答えを小さくてもいいから生み出せばいい。それを模倣可能な形でオープンにすることによって、社会の課題というものを解決できるんじゃないかと考えるようになりました。最初は逆境二見えましたが、よくよく考えてみたら、これはヒントだなと」。

そこから、ノウハウは惜しみなく出すことにした。すると、フローレンス以外にも、訪問型病児保育を行うところが出てきた。

確実に、社会が変化していることを実感した。



駒崎さんが何度も読み返す「永久保存版」の本

駒崎氏の人格はどのようにして形成されたのか。読書によるところが大きいと回想する。

「今でも趣味を聞かれたら、すぐに読書と答えるんです。小さいころから本を読むのが好きなんで、たぶんその蓄積というか、様々な本からのエッセンスが、自分という人格を作ってきたと思っています」。

好きな作家として真っ先に挙げるのがヴィクトール・フランクル。そのなかでも『夜と霧』 。福田和也氏が指導教官で、大学の課題として読んだ本は、その後何度も読み返す“永久保存版”となった。ユダヤ人の精神科医であり心理学者だった作者は、ナチスのユダヤ人大量虐殺時、強制収容所に移送されて受難の時を過ごす。運よく殺されずに済んだが、親族や妻は虐殺されてしまう。その地獄のような状況の中で、どのように人生を見つめ、危機を乗り越えたかが綴られている。

「僕がその本で学んだことは、“われわれは人生に何かを期待しがちである”ということですね。つまり生きていれば良いこともある。

その時、“良いことが降って来てくれた”と考えがちだけれど、本当はそうではないんですね。われわれは人生に試されているんだと教えられました。

『夜と霧』の文中に、「人生そのものに対してわれわれがどう振る舞うか、どうあるかというのを期待されているんだ」という表現があってですね。それはまさに人生観の革命的転換であったなと。人生から、いかにおいしい果実を得るかということではないんだなということを、本から学ぶことができました。忘れられない一冊です。課題にしてくれた先生には心から感謝したいですね」。

本を書く立場になって感じたことは、読者とのつながり。

「読み手の方々がどんな生活をしていて、どんな思いを持って、どんな風に変化してくれたのかなとか、すごく考えるようになった。感想を頂いたりすると、嬉しいですし、その瞬間つながったなという感じがするんですよね。媒介者としての本の役割を強く感じ、より本を愛するようになりました」。

「本を読んでいただくことで長い1冊の本を共に体験したような感覚は何にも代え難いなというようなつながりを感じますね。それで自分の脳の中のアイデアと解け合って、その人の考え方の底流を成すみたいな、そういうことが起こるんだなと思うし、起こってくれたことに非常に喜びを感じるんです」。

社会的課題を受けとめること

世の中のためになるかどうか、という視点で本を書く。若者代表としての日本人論や、日本を一刀両断でたたき切るというようなテーマには興味がない。

「むしろ、そんなのものはないんだという話をしたいんですよ。つまり明快にたたき切れる何かというものを求める、その国民の気持ちこそが病巣なんだと。現実というのは非常に複雑で、様々な社会的課題があるのは、それだけの理由があるんだと。複雑なものは複雑なものとして受け止めようよと。少しでもそれに対して何かプラスになるような、1ミリでも進むようなことをしようと。それは英雄が来て、パンっと物事を解決してくれるにはほど遠いけれども、みんなが1ミリずつ進んでいけば、ちょっとは改善するよねと。その「ちょっと」をやろうというのが僕のスタンスなので、それってカタルシスは得られないんですよね(笑)。だから本の売りにつながらないというところはあるんです。そういう意味では編集者さんとはせめぎ合いがあるんですよね。「面白いこととかは言いたくないから」みたいな(笑)。でもその代わり「古びない」自信はあるんですよね」。

社会的課題を受けとめることは、批評を下すことではなく行動を起こすこと。今、取り組んでいるのは「休眠口座」の活用。

銀行の基金、銀行の利益になる忘れ去られた口座の額は、ざっと毎年800億円発生している。

「滞留してしまっている休眠口座のお金を、例えば被災地で困っている人たちに貸し付けたり、児童養護施設にいる大学進学希望者への奨学金とかに使えれば、生きたお金として行き渡っていくと思うんです。そういう仕組みというのを日本で作りたいと思っています」。実は韓国やイギリスには既にその仕組みがあるという。

「僕はある政府審議会の委員というのを2010年からやっているのですが、そこでこの案を提案したら、取り上げられて民主党政権下で実現しようということで閣議決定されたんですね。2014年からそれができるということになったんですけど、民主党が今の状況なので実現できるかわからなくなっちゃって、今正念場を迎えているんですが。もし政権交代した後もちゃんと政治家たちが動いてくれれば、世界最大級のマイクロファイナンス機関というのができるんです。それができれば、金融の恩恵にあずかれなかった人とか、貧困層の人たちがお金を借りられるという唯一の仕組みができ上がる。今だと消費者金融から、5万、10万しか借りられないわけですね。それを地元の信金に行って、「実は所得が低くて…」と言ったら、すごい低利子で貸してくれるというようなことが可能になるんです。第二のセーフティーネットみたいになるなと思って、今それを押し進めているところですね」。