出会いが人を形作るなら、本との邂逅もまた人生の大きな節目となる…。読書遍歴を辿りながら、ここでしか聞けない話も飛び出す(かもしれない)インタビューシリーズ「ほんとのはなし」。今回はディー・エヌ・エー代表取締役会長、南場智子さんの登場です。
(インタビュー・文 沖中幸太郎)
こんな話をしています…
- 中学時代、父に勧められて読んだのが『暗夜行路』
- 起業後は読書が唯一の息抜きに
- 「走れ!タカハシ」が好き
プロフィール
南場智子(なんば・ともこ)
1962年生まれ、新潟県出身。津田塾大学学芸学部英文学科卒業。 1986年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。1990年ハーバード・ビジネス・スクールにてMBA取得。1999年にマッキンゼー退社、株式会社ディー・エヌ・エーを設立し代表取締役社長就任。2011年6月に 取締役就任。2015年1月からはDeNAベイスターズ取締役オーナーも務める。 著書に、『不格好経営―チームDeNAの挑戦』(日本経済新聞出版社)がある。
会社を“てっぺん”に。
南場智子氏: 社員数は現在、2400人ぐらいになりました。その中で私は取締役会の一員として、会社の全体の方向付けを担っています。また野球とeコマース、ヘルスケア、新卒採用の四つに関しては直接携わっています。会社を立ち上げた頃は、全てが試行錯誤の毎日でしたが、今は任せることの出来る人材が増えていきました。
株主も社員もたくさんいる中で、かじとりを間違えないということは、非常に重要なことです。社長の守安と力を合わせて、「この会社を、絶対にてっぺんにもっていこう」という思いでやっています。そのために、私にできることは全部やります。振り返った時に「こういう役割やインパクトを、世の中に残せたね」と、社員みんなで思えたらいいなと思っています。
――その想いは『不格好経営』に。
南場智子氏: 私には元々「会社の歴史を残しておきたい」という思いがありました。本という形で歴史をまとめる機会を頂けたことは大変ありがたかった反面、書物として残る責任も強く感じました。でもいざ書き始めたら、すごく楽しくなってしまいましたけど。
ただ、私にとっては宝石のように大事な出来事ばかりですが、外部の人にも興味を持っていただけるもの、読んでいただけるものを、という理由から省かれたエピソードが多くあります。名前が出てきていなくても、「その人がいなかったらディー・エヌ・エーができなかった」というような人がたくさんいます。それまで読み手として本を楽しんできましたが、書くことの大変さを感じました。
読書が唯一の息抜き
南場智子氏: 中学のころは、父にすすめられ『暗夜行路』を夢中になって読みましたね。それから、芥川龍之介とか、三島由紀夫・志賀直哉・太宰治・森鴎外・夏目漱石などの本を手に取りました。
海外のものだと、『モービィ・ディック』(『白鯨』)、それからホーソーンや『カラマーゾフの兄弟』など。その時代の日本の作家さんよりもスケールが大きい、と感じるものもありました。
私は本の虫ではなかったものの、一種の教養として、有名な本は図書館で借りて読んでいました。「やっぱり文章は、志賀直哉がうまいよね」などと言っていたりして、何様でしょうか (笑)。
当時は本当に夢中になって本を読んでいて、部屋の掃除をしようとすると、ついつい気になる本を手にとってしまい、あまり得意ではなかった掃除がますます進まない……なんてしょっちゅうでした。
父が厳しく、「とにかく自由になりたい」と考えていたので、東京に出る時は素直に嬉しかったのを覚えています。大学時代も、それなりに本を読んでいました。英米の有名な作家さんの代表作は、大体読んでいるかな。中国の歴史も好きでした。
――読書が生活の一部に。
南場智子氏: ところが社会人になると、なかなか本を読む暇がなくなってしまって。忙しくて、家に戻っても寝るだけという生活で、年末に20冊くらい持ち込んでホテルに籠ることはありましたが、仕事に関係のない、純粋な楽しみとしての普段の読書からは、しばらく遠のいていました。ところが会社を立ち上げると、以前よりもさらに忙しくなったはずなのに、精神的な圧迫を解消するために、あえて読書の時間を確保するようになりました。
司馬遼太郎などの歴史小説を読んでいました。歴史小説の登場人物は、誰かを楽しませるために生きたわけではなくて、事実なわけだから自然さがありますし、誰かが「この人について、書く価値がある」と感じたからこそ本となり後世に残った話なので、パワーもスケールも違います。“戦と統治”など、ビジネスや経営に重ねながら読んでいましたね。
最近はお風呂の中でも、本を読みます。お正月に主人の実家に里帰りすると、家族全員で温泉に行きますが、温泉でもずっと読んでいます。誰よりも先に風呂に入っているのに、なかなかあがってこないから、義理の母や妹などが心配して見に来るくらい没頭しちゃうんです (笑)。でもそれが私にとって、唯一の息抜きとなっています。一冊読み終わると、なんだか寂しい気持ちになってしまうので、なるべく5巻組の本だとか長いものを探しては読んでいますが、長くなればそのぶん終わったときの寂しさも増すので困っています。
「走れ!タカハシ」が気づかせてくれる本の魅力
南場智子氏: 私は、伏線を最後に全部回収して、きちんと終わるような本というか、「この本は、こう楽しむ」というように決められているような印象を受ける本はあまり好きではありません。『カラマーゾフの兄弟』にも伏線がたくさん落としてありますが、回収しないで終わっています。でも、あれこそが“リアリズム”ではないかと私は思います。作家さんが伏線を回収し忘れているというものも、結構いいと思っていて、そういう息づかいや場面を一緒に楽しめるのが読書の素敵な所だと思います。
私がなぜだかとても大好きな本に、村上龍さんの『走れ!タカハシ』があります。広島東洋カープの高橋慶彦選手が走っている、という短編集です。単に「彼女のお父さんに責められている」というものから、「こうなったらおしまいだ。命を取られる」というような色々なレベルの絶体絶命の場面が出てくるのですが、その時も、いつも高橋選手が走っています。そうすると何か元気をもらって、なぜだか知らないけれど状況が好転したりします。
それにすごく似た経験を私もしました。主人が病気で一度手術をして、「再発したら終わり」と言われている状況での再発。その当時は、まるで死刑宣告されたような気持ちでした。そんな時に、私はどうしても新潟で野球を観なくてはいけない予定があり、野球観戦を楽しんでいる周りで、ひとり “絶体絶命”という気分を味わっていました。
そんな時、中村紀洋選手がさよならホームランを打って、私は自然と笑顔になりました。気がつけば、足の悪い父親も一緒に立ち上がって、喜んで笑っていました。自分が笑っていられることがすごく不思議でしたが、なんとなく『走れ!タカハシ』と重なっているように感じました。
実生活において、日々忙しさに追われてしまうと、そうした素敵な体験やエピソードを感じることは容易ではありません。けれども本は、ページを開いた瞬間にいつでも、それを楽しむことが出来、また元気を貰えます。これからも、そうした魅力のある本に触れて、忙しさに流されないようにしていきたいですね。