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竹中幸甫さん(江戸節句人形)「生涯現役の人形づくり」インタビュー

生涯現役の人形づくり

\今回のお相手/
竹中雛人形製作所の伝統工芸士、竹中幸甫さん。無形文化財技術を駆使し江戸衣装着人形の伝統技を基盤とした竹中さんの人形づくりは、全国節句人形コンクールでの通商産業大臣特別賞をはじめ、数々の賞を受賞されています。本物志向の人形作りを約60年。「まだまだ満足はしていない」と語る、生涯現役の人形づくりへの想いとは。(この記事はJIZAIとの連動企画でお送りします)。

竹中幸甫氏プロフィール

昭和10年東京生まれ。昭和28年より父・幸甫(先代)に師事、修行に入る。平成元年、東京都無形文化財保持者、翌年には東京都伝統工芸士に認定される。竹中幸甫作の雛人形は、自身がすべての着せ付け(振付)を行っており、全国節句人形コンクールで多数受賞している。

厳しい父の技術を“盗んで”覚える

竹中幸甫氏: 
この製作所は、戦後すぐの昭和22年、10歳くらいの時に建てられました。私は日暮里で生まれなのですが、滝野川(東京都北区)で焼き出されてしまい、群馬の四万温泉へ疎開していたのです。私は細かい作業が得意だったため、小さいころから手伝わされていました。

明治大学へ進みましたが、お節句の前、11月からの繁忙期になると、大学には行かず、人形作りの仕上げなどをしていました。家業を継ぐという約束で、大学へ入れてもらいましたので、大学の4年間は猶予期間。父親の影響で高校の時くらいから、カメラに興味を持ちまして。大学ではずっと写真部に所属していました。父親は他にも、釣りや狩猟などが趣味で、私もよく連れて行かれました。

ただ、仕事の面では厳しい父親で技術に関して、父親から直接手ほどきをして教えてもらうようなことはありませんでした。父親の技術を“盗む”ことで、学んでいましたね。作業に入る前の下ごしらえが上手くいっていない時など、父親がそれを全てバラバラにして、「もう一度やり直し」というような仕込まれ方をされました。

この仕事を続けて60年が経ちますが、今でも父親の厳しい目に見られているようで、いまだに出来上がりに満足することは少ないですね。

本物へのこだわり 届けることの喜び

――近くで眺めるとより一層、人形のきめ細かな表情、着物の質感が分かります。

竹中幸甫氏: 
うちの人形に着せる着物はすべて西陣織です。また、手も本物の木彫りを使っています。木彫りの前は、針金に和紙を貼って指を作り、そこに胡粉を塗っていました。着物の重ねが、寸分変わらず綺麗に正確に出ているのが特徴で、後ろの方まで美しく揃えています。一つひとつ細かく、大量生産では作れないものです。

それぞれの職人さんに作ってもらったものが私のもとに集まり、着物をまとめ、下拵えの胴組を作って仕上げ、最後に自分の納得した頭をさして、名前を入れます。作り始める時の色合わせなどは、妻とふたりで侃侃諤諤(かんかんがくがく)やりあっています。

時代によって、柄なども変化していまして、皇太子殿下がご成婚された時は、雅子妃殿下がお召しになられた着物とそっくりのもので作ったりもしました。その年々によって、柄も変えます。次の年には、古くさく見えたりしますので、前年と同じものはあまり作りません。

「初の節句に飾るものだから」と、心を込めてお雛様を作っています。買ってくれた方が喜んでくれることが、私の喜びでもあります。お礼状を頂いたりと、使ってくださる方の声が届くのは嬉しいですね。それから、50年も前の人形を修理に持ってこられる方もいます。代々、大事にされているのは大変ありがたいことです。

生涯現役の人形づくり

――人形づくりを通して多くの作り手、使い手の想いが感じられます。

竹中幸甫氏: 
人形づくりも分業制ですが、それぞれの本物の作り手がいなくなったら、私たちが人形を作りたくても作れなくなります。例えば人形が持つ扇を作る人、笏(しゃく)や冠を作る人などがいなくなってしまえば、それでしまいです。最近は、だんだんそういう状態になってきていますが、職人さんがいる限り、私たちは本物を作り続けます。

今まで心不全、胃癌、膵臓の病気などで手術をしましたが、まだまだ生涯現役。妻の父親は、100歳までお店に立って仕事をしていましたが、私も同じように、いつでも飾ってもらえる本物の人形を、これからも作り続けていきたいと思います。