シリーズ「ほんとのはなし」好評連載中

江川悦子さん(特殊メイクアップアーティスト)「私の人生を変えた“狼男”との出会い」インタビュー

目論み通り(!?)の人生に、突如舞い込んで来たアメリカ生活

江川氏:ところがある日、夫から「転勤になった」と言われ、今まで描いていたロードマップ通りの人生が、大きく変わりはじめました。

夫は、映画会社に勤めていたので、転勤なんて商社や金融関係だけの話と思っていました。「九州なの? 東京から遠く離れるの?」とのんきに構えていたら、行き先は「アメリカ、ロサンゼルス」……。

――徳島、京都、東京……今度は日本の「外」へ。

江川氏:さすがに「アメリカ」はロードマップにはありませんでした(笑)。私の仕事も、編集者としての学びが仕事に活きてくる頃で、やっとページを担当できるようになり、これからという時でしたから迷いもありました。会社の周りでは自立志向の女性が活躍していたこともあり、「数年ぐらい遠距離結婚もいいんじゃない?」なんて言われていました。

結局、昔から抱いていた「外の世界への憧れ」が勝り、そのうち「よくよく考えれば会社のお金でアメリカに行けるなんて、いい機会だ」なんてノーテンキに考えるようになり、夫についていくことにしました。それまで、仕事にのめり込んでいた私は、住むことはおろか旅行でも日本から出たこともなく、このときはじめてパスポートを取得しました。

成田を飛び立った時、雨上がりで箱庭のような農村の風景に「綺麗だなぁ」とただ眺めていましたね。遠ざかる日本を眺めながら、これから出会う「ロードマップの外」の世界に、ただただ「ワクワク」していました。


絶対的な目標だった「手に職」と「女性の自立」

江川氏:さわやかで、暑くて、パームツリーと真っ青な明るい空、『It never rains in california』を地でいくようなロサンゼルスの街、当時ビバリーヒルズ以外はジーンズとTシャツで、そののどかさにすぐにのめり込みました。

結婚してからずっと共働きでしたが、その時はじめて「主婦」をしました。ただ、毎日家に込もっても仕方ない(というより我慢できない)ので、UCLAの外郭団体がおこなっている英会話教室に通うようになりました。教室と言っても、とても自由なところで、そこで知り合ったスイス人の女の子たちと、ドライブや買い物に出かけ少しずつLA生活のイロハを身につけていきました。

――アクティブな主婦ですね(笑)。

江川氏:主婦をやっているという自覚がなかったのかもしれません。いずれは、日本に戻って仕事をする必要があると思っていました。自分が日本に戻るころには、30代を超えているだろうし、その時までに「手に職」をつけていなければと考えていました。

好奇心旺盛でしたから、気になるところにはすぐ飛び込んでいました。宝石鑑定士や健康食品を取り扱う仕事も覗いてみたりしました。この「手に職を」という意識は、若くして夫を亡くした叔母の苦労を見ていたからでした。「女性は自立していないといけない」というのが、絶対的な人生の目標でした

私の人生を変えた「狼男」との出会い

江川氏:そうして「手に職」を探しながらのアメリカ生活も一年を過ぎようとしていたある日、思いがけない場所とタイミングで、その後の運命を変える、大きな衝撃を受けることになりました。

夕食後、いつものように車で近所の映画館へ向かいました。「英語の勉強にもなる」と、映画を見るのが習慣になっていたんです。そのとき上映されていた映画が『狼男アメリカン』(原題: An American Werewolf in London)でした。

そこで見た「人間が徐々にオオカミに変身していく」シーン……。

最初は普通に娯楽映画として楽しもうと見ていたのですが、その特殊メイクの素晴らしさに私は大きな衝撃を受けました。こうして話している今でも、鮮明に覚えています。「私のやりたいことはこれかもしれない―—」

――まさかのタイミングでの「人生の転機」の予感。

江川氏:「予感」は興奮の中で「確信」に変わりました。「これだ! 私はこれがやりたい!」と、興奮冷めぬまま、特殊メイクを学べる学校を調べ、そのまま勢いにのって、ハリウッドにある「Joe Blasco make-up Center」という専門学校に進んでしまいました。

高額な授業料でしたが、夫はひとこと「無駄にしないようにね」と言って応援してくれ、私も「とにかくこの高い学費分はしっかり勉強しよう」と意気込んでいました(笑)。

次ページ⇒飛び込んだハリウッド・特殊メイクの世界で感じたこと

1 2 3