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川島良彰さん(コーヒーハンター)「コーヒーのためにできることはすべてやる」インタビュー

「コーヒーのためにできることはすべてやる」――世界中より厳選されたコーヒー豆から特別な一杯を届ける株式会社ミカフェート代表の川島良彰さん。コーヒーハンターとして、世界中の農園を渡り歩き、まだ見ぬ豆を求めて今も地球を飛び回っています。エル サルバドルに留学し、コーヒーハンターとして活躍する以前の意外な「過去の寄り道」とは……。コーヒーをライフワークにしてきた川島さんの想いとともに、伺ってきました。アルファポリスビジネス配信記事です。)

こんな話をしています…

年間130日は産地に入って世界中の農園を飛び回っています

彼らのコミュニティに入るために、「まずは外見から」と、パンチパーマにしたりしていました

よく「魚をあげるより、採り方を」と言いますが、そこに「捌き方を」伝えることで、付加価値が生まれ売ることができるようになる。それこそが貧しさから脱却できる真の国際協力です

川島良彰(かわしま・よしあき)氏プロフィール
コーヒーハンター。株式会社ミカフェート代表取締役社長。日本サステイナブルコーヒー協会理事長。
1956年静岡市生まれ。エル・サルバドル共和国ホセ・シメオン・カニャス大学、同 国国立コーヒー研究所を経て、UCC上島珈琲株式会社入社。同社で世界各地のコーヒー農園の開発に携わる。マダガスカルで絶滅危惧種マスカロコフェア種の発見・保全やフランス海外県レユニオン島での絶滅種ブルボン・ポワントゥを発見など、いくつものコーヒー産業復活プロジェクトを立ち上げる。2008年に 株式会社ミカフェートを設立し、同社取締役社長に就任。現在、海外のコーヒー農園を年間130日以上渡り歩き、コーヒーの可能性と多様性を追求し、新しいコーヒー文化を発信する「コーヒーハンター」として活動している。

世界を飛び回るコーヒーハンターの豆一粒への愛情とこだわり

――(ミカフェートにて)挽きたての香ばしい香りに包まれています。

川島良彰氏:香りの正体はこの焙煎室で、ドイツのPROBAT社製が2台と日本製1台の焙煎機が稼働しています。毎年決まった契約農家から送られてくる豆でも、年によって作柄は違うので、最適な焙煎度合いを探るため、10通りぐらいをここで試しています。

カッピングルームでは、ライセンスを所有したスタッフが、その日に焙煎した全てのコーヒーをカッピング(焙煎度合いと味の確認)し、焙煎ごとのプロファイリングデータに結果をインプットし管理しています。私のテイスティングもこちらで行います。

ソーティング(欠点豆の排除)にもこだわっていて、農園で事前に選別されて送られてきた豆を、さらにこちらでブラックライトにあて、白みがかった未成熟の豆を、ハンドソーティング(手選別)により取り除きます。焙煎後も熟練のスタッフによって、もう一度ソーティングされます。ミカフェートの新入社員は皆、最初にこの過程を経験しています。

保存も大切で、元麻布にあるセラーもここの倉庫も、常に18 ℃に保たれています。ただ、輸送中に劣化をしてしまっては元も子もないので、輸送方法からこだわっています。普通は麻袋に入って輸入されてくるのですが、麻の匂いと油が、豆に移るのを防ぐために専用の内袋に入れるようにしています。

また、うちの最高品種であるグラン クリュ カフェは空輸、その他の豆は、温度管理ができるコンテナを使用しています。これは、産地でできあがった品質を、同じ状態でお客様に届けるためには必須と考えているからです。

――豆の一粒、一粒ぬかりなく大切にされているんですね。

川島良彰氏:それでもまだ油断できなくて、大切に運ばれてきた豆が日本に到着後に劣化を防ぐ工夫をしています。到着後直ぐに定温倉庫に運ばれ、小さな袋に小分けをし、脱酸素剤を使って小分けし、ゆっくりと袋の中の酸素を抜いて行きます。真空パックの機械を使わないのは、圧が豆に掛かり過ぎるからです。

会社がここに移転するまでは、倉庫と本社機能、焙煎場が別々の場所にあったのですが、一貫して管理できるようにと、2015年にオフィスと焙煎所を、ここ港区海岸に移転しました。

――コーヒーに対する川島さんの並々ならぬ愛情を感じます。

川島良彰氏:これしかできないんですよ(笑)。ワインと同じように、産地・品種・高度そして年度によって一粒一粒、顔が違う珈琲の魅力を知って欲しいという想いがあります。その想いを皆さんに伝えたくて、本当の「最高級」を届けるため、何ができるかを考える日々です。

今は、年間130日は産地に入って世界中の農園を飛び回っています。先日もタイの農園に行っていましたが、この原稿を目にする頃は、ブラジルの農園にいると思います。そのほか、全国各地での講演、11年目になる東大でのコーヒーサロン……、サステナイナブルコーヒー協会の活動と、大好きな珈琲の世界にどっぷりと浸かっています(笑)。小さい頃憧れた職業に、今こうしてライフワークとして携われることに幸せと誇りを感じています。



コーヒー農園で働くために書いたブラジル大使館への手紙

川島良彰氏:私は、コーヒー焙煎卸業者の子どもとして、静岡で生まれました。協調性のないこどもで、勝手気ままに好きなことをやっていました。そのくせ内弁慶で人見知りが激しく、幼稚園は退園させられるほどでした(笑)。

小学生になると、班活動でも好き勝手していたので、担任の先生から「川島君は一人で班を作りなさい」と言われて、私もめげずに一人で点呼するなど“班活動”していました(笑)。合唱の時も、クラスで歌が下手だからと声を出すのを禁止されたりと暗黒時代でした。今、カラオケで歌えないのもそのせいですね(笑)。

――それは、うんざりしちゃいますね。

川島良彰氏:もう学校生活もうんざりしてしまったので、身近だったあこがれの世界「ブラジルのコーヒー農園で働きたい」と、ブラジル大使館に手紙を出しました。一度目は返事が来ず、すぐに二度目の手紙を送ったら、「日本政府に相談してください」と返ってきました(笑)。親に内緒でしたから、見つかったときは大目玉を喰らいました。

何かをやりたいと思ったら絶対に諦めたくない性格で、必要なことはすべてやろうとするんです。最高のコーヒーを作ろうと思ったら、何をすべきか。「コーヒーのためにできることは、すべてやる」それは今も同じですね。

カトリック学校の夏休みに、お寺で修行!?
和尚さんが後押ししてくれたエル サルバドル行き

川島良彰氏:中学・高校では静岡聖光学院に進みましたが、そこで大きな転機が訪れました。父の幼友達が、沢庵和尚で知られる名刹、品川の東海寺のご住職だったのですが、「どうせ夏休みは遊んでばかりだろう」と、高校一年生の一学期の終業式の翌日、父に連れられて東京に行き、その東海寺で修行させられることになったんです。

6人の貧乏学生と一緒に寝食を共にしていました。朝5時に起きて、座禅、そのあと掃除、大学生による私への勉強レクチャーという毎日でした。質素な生活をしていた和尚でしたが、お寺には方々から頂いた酒が一杯あって、ある日、私はそこにあったお酒を調子に乗って飲んでしまったのです。それが見つかって「飲むことは見逃せても、酔うことは許されない!」と叱責を受けたのですが、そんな粋な言葉に惚れてしまった私は、高校の3年間の夏休み、冬休み、春休みと、ずっと修行に行かせてもらいました。

小学生のときから海外のコーヒー農園で働きたいという夢は、親から「中学を出たら」、「高校を出たら」と引き延ばされていましたが、いよいよ高校卒業の段階で、父親の仕事で縁のあったエル サルバドルへ行けることになりました。実はそのときも最初は「大学を出たら」と引き延ばされかけていたんです。このとき、和尚が「やりたいようにさせたらいい」と父を説得してくれて……。それもあって、晴れてエル サルバドルへ行くことができました。

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