「残された家族のために」――。亡くなった人の身だしなみを整え、故人と家族の最期の時間を繋ぐ、エンゼルメイク(死化粧)。その研究・普及活動を担うエンゼルメイク研究会代表を務めるのが、元看護師で作家の小林光恵さん。医療の現場を若手ナースを等身大の視点で表した、漫画『おたんこナース』の原著者でもある小林さんが、40歳を目前に、「死」と向き合うエンゼルメイクへの道を極めることに決めた理由とは……。原点となる看護学生時代から作家になるまで、研究会の立ち上げから現在まで、幾多の出会いの軌跡を辿りながら、その活動にかける強い想いを伺ってきました。(アルファポリスビジネス配信記事です。写真/Hara・アルファポリス)
こんな話をしています……
・人間いつどうなるかわからない。だから、やりたいこと、思うことはに蓋をせず生きていこう
・「死」を意識することで日常が生きてくる
・「おたんこナース」だった自分でも、ライフワークに出会うことができることも伝えたい
小林光恵(こばやし・みつえ)氏プロフィール
作家、エンゼルメイク研究会 代表
茨城県行方市生まれ。看護師(病院勤務、献血ナース、フリー)を約4年つとめたのち、憧れていた本の世界へ転身。医療関係の出版社、俳句の出版社の編集者を経て、1990年から作家活動を開始。医療現場を等身大の若手ナースの視点で描いた『おたんこナース』の原案・取材や、「看取り」をテーマに病院や在宅でのエンゼルケア(死後ケア)の研究活動を軸にした執筆など、活動の幅を広げ続けている。【公式サイト】。
「“最期の時”を穏やかに」故人と家族の心を繋ぐエンゼルメイク
――亡くなった方を看取るための整え、「エンゼルメイク」の研究活動をされています。
小林光恵氏(以下、小林氏):エンゼルメイクというのは、亡くなった人への身だしなみを整える行為です。メイクといってもお亡くなりになった方のお顔や目元、口元にお化粧を施すだけでなく、遺体特有の皮膚の乾燥などに配慮しながらスキンケア、シャンプー、爪切り、着替えなど、見える部分も見えない部分も生前の元気だった頃の、その人らしい姿になるように施すことでもあります。
エンゼルメイクは、故人と残された家族を繋ぐ「看取り」の一つの手段です。近年、お通夜やお葬式を省略し、火葬直前に花入れなどの儀式をおこなう「直葬」や、儀式すらおこなわないケースもあるなど、亡くなった方を「おくる」スタイルの多様化とともに、急激に簡素、簡略化する傾向も見られます。故に、私たちにとって「死」の手ざわりのようなものは非常に実感しにくい状況にあると感じています。そうした中で、「おくり」の前段である「看取り」は、人が生から死へと移行する事実、人の営みに欠かせない「死」を実感し、受け入れていくことに役立つ数少ない場面でもあります。
――「死」を実感できる場所や機会がどんどん少なくなっていると。
小林氏:人の営みにおいて、「死」は避けて通れないものであり、生きることの延長線上にあるものとして実感することは、生きていくうえでも非常に大切なことだと思っています。
私の地元は、茨城県の行方市(なめがた)ですが、つい数十年前まで、土葬の習慣が残っていた地域でした。家で看取り、お葬式をして、お墓まで野辺の送り(葬儀後に火葬場や埋葬地まで葬列を組み、故人を送ること)をするのが当たり前でした。
ひいおばあちゃんが亡くなった時、私はまだ小さな子どもでしたが、近所の皆さんが協力して故人を送り出していた記憶があります。亡くなって間もないとき、「お前も触れなさい」と言われ、肌に触れました。そんな風に「生」と「死」という関係が繋がっているものとして、私自身は比較的身近に感じさせられる環境にいたと思います。
ただ、私がこのエンゼルメイクを一生のテーマに据えたのも、それ以前から作家活動として「おたんこナース」をはじめ、命の現場を題材に作品を発表し続けたのも、最初から志を抱いていたわけではありません。いくつもの偶然の出会いの賜物であり、その中で少しずつ私の心の中に積み重ねられた想いが、今の活動に繋がっていったんです。
東京に出たくて……「なんとなく」で進んだ看護の道
小林氏:私は作家活動に入る前、看護師として医療の世界に携わっていましたが、その期間はほんの数年、振り返ってみてもわずかな時間でした。ただ、そこで感じた「生」と「死」というものが、その後の私の人生にここまで影響を与えることになるとは、当時はまったく考えてもみませんでした。
高校生の頃は周りの同級生と同じように都会に憧れ、「都内の大学に進んで、将来のことはそこで考えればいいや」と考えていました。特に目標もなかった私は、そんな風に田舎でのんきに構えていたんです。
ところが大学受験が、まさかの失敗。浪人する余裕もなかった家庭でしたので、私は、そこでようやく焦り始めました。「はて、どうしよう」と。それでもどうにかして家を出る方法を考えていたのですが、そのときになぜか浮かんだのが、地元の保健師の女性が働く姿でした。そこから看護師という仕事がはじめて選択肢に上がってきた次第で、「看護師になりたい」という崇高な理念のようなものはありませんでした。
――「なんとなく」、看護師を目指してしまった。
小林氏:「これなら東京にも住めるし、職にも困らなさそうだしいいなぁ」といった、進路選択の理由でした。今だったら、人の命に接する最前線にいる看護師の世界に「なんとなく」で進んでしまうなんて、自分でも「大丈夫なの?」と心配になりますが、当時の私は、本当に行き当たりばったりの性格で……。
案の定、入学してすぐに、看護の世界が生半可な気持ちではやっていけないこと、命に真剣に向き合わなければ務まらないということが分かり、看護師として病院で働くことに不安を感じるようになりました。