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地道に、真面目に、正直に
山形市の伝統工芸品である山形桐箱や木箱を製造して80年以上になる有限会社よしだ。先代から続く「正直なものづくり」の精神は、材料から仕上げに至るまで徹底され、日々丁寧な品物を作り続けています。二代目の吉田長四郎さんと、代表を務める三代目の吉田長芳さんに、受け継がれる「よしだ」の仕事哲学を、その歩みとともに伺ってきました。
地道に、真面目に、正直に
吉田長四郎氏:
有限会社よしだは、先代である父、長助の代から始まりました。父は、もともとお膳や重箱をつくる木地師職人でした。その技術を活かし昭和5年に桐箱の製造を始めたのが、有限会社よしだのはじまりです。
よしだの仕事は、通常朝6時から始まります。春と年末年始は繁忙期で、その季節は5時から始まりますが、朝方は近所迷惑にならないよう、静かにできる作業から始めます。創業以来、桐箱を中心に木箱一筋で製造して参りました。現在は、既製品の箱でなく、お客様に合わせた完全オーダーメイドの箱作りをモットーとして、1個からでも大量ロットでも承っています。
柾材を厳選して使用して、仕上げまで手を抜きません。サンダー仕上げの箱が多くなりつつある中、桐本来の艶と木目の美しさを活かした円盤仕上げにこだわりを持っています。今はこうして桐箱を中心に製造していますが、よしだの歴史は、時代とともに変化してきました。
時代の波を乗越えて
吉田長四郎氏:
小さいころから父の仕事の手伝いをしていました。学校の先生と父との間に連絡帳があり、下校時間まで記されていましたので、道草も出来ず学校から帰ってすぐ手伝っていましたね。中学卒業後すぐに、家業を継いで仕事を始めました。
ただその頃は、お膳からテーブルへと生活環境の変化に伴って、作るものも変化していました。木地師の仕事がなくなってしまったので、木箱を作ることになりました。当時木箱は「粗箱(あらばこ)」と呼ばれるぐらいのもので、いまでいう「段ボール」の前身で、鉋(かんな)もかけず杉材をひきっぱなしにしたものでした。
また、越中富山の薬箱の桐の引き出し箱も手がけていました。北陸線に乗って、見本を持って営業に出掛けたのは20歳のころだったでしょうか。置き薬の保管に優れていると評判になり、それまで紙袋だったものが、うちの桐箱に変わりました。ここにその当時のものがあります。
――素敵ですね。この手書きのものは……。
吉田長四郎氏:
これは注文書が入った封筒で、当時FAXなんていうものはなく、すべて手紙でやり取りしていました。富山を代表する製薬会社、「ムヒ」を製造する池田模範堂さんのものもあります。しかしその後、プラスチック商品に取って代わられて、私たちはまた新しいものを作らなければならなくなりました。
さくらんぼなどの贈答用の桐箱を作るようになったのは、お客様からの要望を受けてのものでした。鋳物用の箱や米沢織の箱など、ありとあらゆる箱を手がけてきました。
吉田長芳氏:
私は小さい頃から、父ではなく祖父である長助から「お前は跡継ぎだ」と言われ続けていました。祖父から父へと受け継いできたものを、自分の代で無くすのももったいないと思いあとを継ぎました。
家にはない技術を身につけるため、日本でも有数の木箱生産の技術を持つ京都に修行にでていました。残業の毎日で、年末は夜の0時が定時と、決して楽ではありませんでしたが、「石の上にも3年」と思ってやりました。結局なかなか辞めることは出来ず、5年やりましたがその間、色んなことを学ばせて頂きました。無事つとめ上げた記念に買ったサザンカの木は、今、庭にあって毎年雪が降る時期になると綺麗な花を咲かせています。
――そこからようやく家業に……。
吉田長四郎氏:
ところが、息子が帰ってきたころには仕事がなくなっていました。次に手がけることになった桐の照明器具でまた3年間修業。しかし、その仕事もなくなって……。残ったのは借金だけ。この時期は本当に辛いものでした。
吉田長芳氏:
バブル崩壊にともない仕事が激減したことで「もうダメだ、別の仕事をしよう」と思ったことは何度もありましたが、「この仕事しかないんだ」と、腹をくくっていたことが支えになりました。この商売でやっていけるというふうに思えるようになったのは、ここ最近になってからです。
座って半畳 寝て一畳
吉田長四郎氏:
父が常々言っていたのは、約束を守るということ。納期も支払いも。材料やお金は、自分のものではなく、預かっているんだ、と教えられてきました。伝統よりも何よりも、それがよしだの誇りであり、受け継いできた理念です。良い時も苦しい時も、それを忘れない。「座って半畳、寝て一畳」この言葉は創業時の気持ちを表すもので、地道に、真面目に、正直に仕事をすることが、作り手や使い手の幸せにつながるものだと思っています。
――幸せは、お金を追いかけてもつかめない。
吉田長四郎氏:
幸せを感じるのは、良いものが出来たとき。そしてそれが届けられてお客様の笑顔につながった時です。ですから品質も妥協しません。やすりを使うサンダー仕上げが主流にあって、うちは円盤仕上げという工法を採っているのはそのためです。円盤仕上げだと、光沢が、桐の素材そのものの感覚が表れますが、サンダーだとそれを殺してしまい、その差は歴然です。うちはそういう箱は一切作りません。触った瞬間のぬくもりが感じられるものを届けたいと思っています。私は「捨てられる箱は作らない」と言っています。
まごころを届ける桐箱
吉田長四郎氏:
贈り物がある限り桐箱はなくならないと思っていますが、時代にあったものを作っていかなければ、生き延びていけないとも思っています。
吉田長芳氏:
ウェブサイトをリニューアルした時に、SNSを知り、そこから山形で木を使った色んな取り組みをしている人がいることを知りました。こういう人達と何か一緒にできたらいいなと思って、のちの『木の会』のメンバーとなる8人に会いに行ったのが始まりでした。
その『木の会』の中に、草島さんという女性のデザイナーの方がいて、その方の勤務先の社長さんの実家が米農家で、そこから米びつの話につながりました。グッドデザイン賞を受賞したこの米びつには、草島さんを始め、色んな人の知恵が集約されていて、とくに見た目の美しさや、ここで使われた技術は、『木の会』の渡邊さんという方に教えてもらったものです。伝統を守る方法は色々あって、こうした新たな取り組みも、またひとつ伝統を繋いでいくものだと思っています。
「人のまごころを贈る役割を、桐箱は担っている」と思っています。ある程度の技術は、それなりの年数を積めば誰でも習得可能ですが、そこから先はその作り手の心だと思います。技も磨くと同時に、心も磨いて、最高の箱づくりを今後も続けて参りたいと思います。