人が生まれてから死ぬまでの間、映画をずっと流しっぱなしにしても、すべての映画を見ることができないくらいの映画が地球上に存在しています。
一度きりの人生ですが、映画ですらすべてを経験することはできません。圧倒的に時間が足りません。
私たちは常に、情報の取捨選択に迫られています。
すると、自分が当たり前に知っていること、つまり常識なんてものは、他人とは違うことがよくわかります。
知っていることを知らない、知らないことを知っている。
これは、情報の総量が増え続ける今後、性別や年齢を越えて、さらに細分化されていきます。
誰よりも博識だと思っていた人、少なくとも自分より数倍も博識である人物が、自分が当たり前に知っていることを知らなかったりするのです。
例えば、ネパールの王政がとうの昔に廃止されていることや、超ド(弩)級が、大型戦艦ドレッドノートのドだということを。
逆もまた然りで、例えば自分が最近知ったことはそのへんの小学生でも知っていたりすることはよくあります。
つまり知っていることを誇ったり、知らないことをバカにしたり、いまさらと思ってやらないこと(既存への油断)は、禁物だということです。
油断と言えば、自分が驚くような行動や失敗をする人間に対して、「〜の気が知れない」というのも、言ってみれば想像力の欠如(iの力不足)であり、油断であると言えます。
第一人者に共通する「iの力」とは(インタビューに何ができるか)
文脈上、「気が知れない」は、理解の拒否であることは明確だとしても。
インタビュアーとしては、理解はできなくとも、何か理由がある、因果があることの想像力は忘れないようにしたいものです。
いじめや民族対立。これらは「知らない」ことへの軽蔑で生まれたり、ある意味本能的な異質への恐れが利用されて生み出されたりします。
相互行為の体現であるインタビュー活動を通して伝えたいことは、こうしたある種の人間の本能に対する対処法でもあります。