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起業後の理想と現実のギャップ、不眠症…どん底から導いてくれたのは本だった(長谷川高氏/投資家・不動産コンサルタント)インタビュー

出会いが人を形作るなら、本との邂逅もまた人生の大きな節目となる…。読書遍歴を辿りながら、ここでしか聞けない話も飛び出す(かもしれない)インタビューシリーズ「ほんとのはなし」。今回は不動産コンサルタント、長谷川高さんの登場です。

(インタビュー・文 沖中幸太郎)


3-LINE SUMMARY
  • (起業後の3年間は食っていけず)毎日、道玄坂や宮益坂でやっていたアンケートに答え、その報酬である図書券を、金券ショップで換金して生活費を捻出していた
  • 19歳の時に父親を亡くし、また兄弟もいなかったので相談する相手がおらず、本に頼るしかなかった
  • オリジナリティーを作る経験値は、人や本との出会いで積み重ねられる

長谷川高(はせがわ・たかし)氏プロフィール
東京都生まれ。立教大学経済学部経済学科卒業。 大手デベロッパーにてマンション・ビル企画開発事業、都市開発事業に携わったのち1996年に独立。以来一貫して個人・法人の不動産と不動産投資に関するコンサルティング、投資顧問業務を行う。また、講演や執筆活動を通じて不動産市況、不動産投資術をわかり易く解説。著書に『家を買いたくなったら』(WAVE出版)、『愚直でまっとうな不動産投資の本』(ソフトバンククリエイティブ)、『不動産投資 これだけはやってはいけない!』(廣済堂出版)、『戦略的上京論』(星海社新書)など。

「どん底」を救ってくれた本

――長谷川不動産経済社のサイトには「現場にこだわる実践派コンサルタント」とあります。

長谷川高氏: 私の父はロケットエンジンの設計をするエンジニアだったのですが、自分は何もせずに批評だけする人を嫌っていて、行動する人や実践する人が一番尊いという考えの持ち主でした。私もそういった教育方針の元に育てられ、その影響もあり、評論家ではなく、現場での実践や行動という立場にこだわっています。

不動産のプロフェッショナルとして、長期的な視点で不動産と不動産投資に関連するあらゆる課題を解決しています。依頼者の不動産投資の顧問として、継続的に各種の助言や情報を提供したり、市場に出回っていない優良な投資情報を提供しています。

――独立される前に、さまざまな職業を経験されています。

長谷川高氏: 私の最初のキャリアは、アメリカの大学の日本校を束ねる事務局長でした。当時のアメリカは、少子化で良い学生を国外から欲しがっていました。日本の学生はよく勉強するし、トラブルを起こさない、金払いも良いと三拍子揃っていました。彼らを米国本校に留学させる前段階という位置づけで日本校は存在し、1年間くらい英語集中コースを学ばせて、本国に留学させるという仕事を行っていました。

事務局長の仕事は3年で辞めたのですが、その頃に先輩から「リクルートコスモス(現:株式会社コスモスイニシア)の海外要員募集を紹介されます。江副浩正さんが現役の頃で、学歴や性別、国籍や出身地域、中途採用に関係なく平等に扱ってくれ、若い人に責任を持たせてくれるし、女性の役職に就いた人もたくさんいて、それは素晴らしい企業風土でした。私も生意気な社員だったと思いますが、それを許容してくれる素敵な会社でした。

申し分ない環境でしたが、バブル崩壊後はその敗戦処理のような仕事をずっとしていました。平社員だった私は、解雇の対象になったり異動されたりすることもなく、淡々と日々の仕事をこなしていましたが、とうとう疲れてしまい辞めてしまいました。これ以上自分に合った企業はないと思っていたので、そこですら勤められないなら、今後どの会社でもやっていけないだろうと、起業を決意しました。

――起業直後は、いかがでしたか。

長谷川高氏: 長谷川不動産経済社の前進は、「デジタル不動産コンサルタント」という社名で、黎明期だったインターネット、デジタルで差別化を図る戦略を採っていました。バブル崩壊後、不動産業界は不景気で閉塞感が漂っていました。選ばれるための特徴を発信するため、まだ出たばかりのWindows95を購入し、今だと笑ってしまうような稚拙なウェブサイトを一ヶ月くらいかけ自分で作りました。

当時はウェブサイトを持っている不動産会社は非常に少なく、インターネットを使って集客、不動産相談、売買や投資を行うことは珍しいことでした。会社の宣伝費も、広告費もありませんでしたが、サイトのおかげで、取材を受けたり、インターネット企業年鑑に掲載されたりしました。

それでも最初の三年間は食べられませんでした。無料相談ばかりやっていたので、お金にならなかったのです。将来の展望もなく、不安や理想と現実のギャップに苦しみ、不眠症になりました。毎日、道玄坂や宮益坂でやっていたアンケートに答え、その報酬である図書券を、金券ショップで換金して生活費を捻出したり、夜はティッシュ配りのアルバイトをして生計を立てる有様で、まさにどん底でした。

――そのような状況でも、めげなかったのは。

長谷川高氏: 「本」が私を救い、ヒントを与えてくれ、導いてくれました。私は19歳の時に父親を亡くし、また兄弟もいなかったので相談する相手がおらず、本に頼るしかありませんでした。毎日のように書店へ足を運び、必要と思える本を貪るように読んでいました。不眠症の悩みも本によって支えられ、小説では心が安らぎました。経営の本からは、今後の会社の参考になったりしました。

不思議なもので、その時に求めているものが「本」によって自然と運ばれていくような感覚でしたね。私は“神棚本”と呼んでいますが、聖書から精神医学、心理学の本、松下幸之助さんや稲盛和夫さんなど経営の本など、そういった力になってくれる本は、おのずと自分のまわりに集まってきました。

――どん底の時期を、いかにしのぐか。

長谷川高氏: 自分の場合は「本」を読むことで救われ、書くことで一歩前に進むことが出来ました。私の書いていたブログがある出版社の目に止まり、編集者から「転職者向けに、不動産業界のことを分かりやすく図解で書いてもらえないか」と依頼されたのが、出版のきっかけでした。

最初の本、『図解入門業界研究 不動産業界の動向とカラクリがよ~くわかる本』(秀和システム)を出してからは、さらにそれを読んでくれた編集者から依頼を頂くという形で、10万部刷られた『家を買いたくなったら』(WAVE出版)に繋がりました。

――『家を買いたくなったら』のコラムは、長谷川さんの人生観や生き方が表れています。

長谷川高氏: 編集者が「好きなことを書いていい」と言ってくれたので、不動産の本でありながら、半分以上は「不動産、買わなくていいんじゃないの」ということが書いている、不思議な本に仕上がりました(笑)。買うように仕向けることを第一目的にした本ではなく、非常に公平な目線で書いた、体温のあるものを作ることが出来ました。どんな読者に対しても、とにかく役に立つことを惜しみなく出していこう、本音を語ろうと思って書いています。

その気持ちを汲み取ってくれた編集者との、相思相愛で出来上がった本が結果的に読者の皆様に届いたことは、とても嬉しいですね。編集者は、発信者の気持ちと読者の要望をつなげる伝道師だと思っています。届くために不必要な部分を削ぎ落としつつ、色を失わせない。きわめて高い専門性が要求される仕事であると思っていて、著者である私も、その編集する権利を尊重しています。著者と編集者の対話によって、想いの詰まった本が出来上がると思っています。

オリジナリティーを作り出すために積み重ねるもの

長谷川高氏: 子どもの頃から、なんとなく人と違って面白そう、ちょっと危険な香りが漂うけど楽しそう、という道を進んできたように思います。教育業界にいた人間が、不動産業界に飛び込み、起業したのもそういった想いからでした。あらゆる挑戦には、リスクが伴います。けれども自分で飛び込んでみなければ、絶対に経験値として身につきません。

経験値が、オリジナリティーとなっていきます。そのオリジナリティーを作る経験値は、人や本との出会いで積み重ねられます。私が今の仕事を続けてこられたのは、そのような出会いに恵まれてきたおかげです。これからも出会いを大切に、自分のオリジナリティーを研ぎ澄まし、業界を問わず挑戦し続け、現場に立ちたいと思っています。また、そこで経た経験を本に記し、公平性を持った情報を発信して、皆様のお役に立ちたいと願っています。