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川田浩志さん(医学博士)「チャンスはピンチの顔でやってくる」インタビュー

アンチエイジングの活動で知られる東海大学医学部内科学系血液腫瘍内科教授、医学博士の川田浩志さん。「生涯現役の良医でありたい」と願う川田先生の医学哲学に影響を与えた人物とは。パワーの源、ピンチをチャンスに変えてきた挑戦の軌跡をたどりながら、その想いを伺ってきました。

こんな話をしています……

(小さい頃は)勉強もせずに絵ばっかり描いていました

教育だけでなく、アンチエイジングでも、生涯現役の元気な父の姿が目標

「失敗しても死にやせんだろう」

川田浩志(かわだ・ひろし)氏プロフィール
1965年生まれ、鎌倉出身。医学博士。米国サウスカロライナ州立医科大学内科ポストドクトラルフェローを経て、現職。内科診療とともに予防医学の推進にも力を入れており、アンチエイジングドックで面談医も務めている。自らがアンチエイジングと健康生活の実践派という本領を発揮しての生活指導には定評があり、アンチエイジングや健康管理の著書のほか、講演やTV・ラジオ・雑誌などからの取材も多い。 著書に『医学データが教える 人生を楽しんでいる人は歳をとらない』『HEALTH HACKS! ビジネスパーソンのためのサバイバル健康投資術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。

アンチエイジングとは良き歳を重ねること


――内科診療とともに、自らが実践するアンチエイジング活動が好評です。

川田浩志氏: 私が勤務する東海大学病院では血液腫瘍内科という、血液に関連する診療を行っています。アンチエイジングでは、海老名近郊にある、海老名メディカルサポートセンターで面談医を務めたり、本などで情報発信をしています。 また学生の教育では、授業と実習をそれぞれ担当しています。医師国家試験の対策委員長をしているので、6年生の学生に関しては、国家試験突破まで面倒を見ています。勉強の仕方には色々なテクニックがありますので、自分で工夫してきたことを教えています。最近の医学部生は特に健康への関心が高く、向上心があります。 私が、こと教育に重点を置くようになったのは、大学の学部の教員をしていた父の影響が大きく、父の外科教室のモットーは第一に教育でした。医者になって10年間は、診療や研究など、自分の人生を軌道にのせるのが大変でしたが、ようやく教育に携われるようになりました。

――どんなお父様なんでしょう。

川田浩志氏: 強烈な父でした。父は戦時中、北方領土に住んでいて、12人兄弟の下から2番目。第二次大戦で旧ソ連軍に侵攻された時、祖父と一緒にボートで室蘭まで脱出するという経験をしています。父は大学へ行く気も医者になる気もなかったそうですが、一回りほど歳の離れた姉が看護婦をしていて、「医者という職業があるから目指してはどうだ」と勧められたそうです。その頃、実家のある富山に戻っていて、藤子不二夫さんも通っていた高岡工芸高校の、医学とは関係のない電気科にいたのですが、医師になるため独学で勉強し、慶応に進みました。

私が中学生の時、江ノ島にサーファーが集まる小動岬というところがあるのですが、父に誘われてビニールボートで釣りに行ったことがあります。錨もない状態で、波も高くボートに水が入ってくるのですが、沈没しないように必死で水をかき出す私を横目に、釣りをしている……そんな父でした。 78歳になった今でも、鎌倉からミッドタウンにあるクリニックへ通い、山中湖クリニックの理事長の仕事では朝から車を運転したりと、平日は毎日働いています。教育だけでなく、アンチエイジングでも、生涯現役の元気な父の姿が目標になっています。



ピンチをチャンスに変えて

川田浩志氏: そんな父でしたが、私に対して特に医者になれということはありませんでした。私は、いろんなことを夢見る少年で、作家だったり作曲家になろうかなと思ったり……。小学5年生の時、平凡社の百科事典で見た現代美術がものすごいインパクトで、さらに父に連れられて行った彫刻の森で衝撃を受け、それからは勉強もせずに絵ばっかり描いていました。やりたいことだけしか考えていない。自分ワールド全開でした。

「好きなことをして良い」と言ってくれていた父でしたが、高校2年生のある日、父が絵に詳しい知り合いの医者を連れてきました。そのとき、私の自信作を見せたのですが「絵描きより医学部に行った方がいいな。趣味的に描くならいい」と言われ……、その後心境の変化もあり、結局父の思惑通り(!?)医学部へ進むことになりました。

その先生とは、その20年後にお会いすることになるのですが「君の絵を見て、医学部へ行けと言ったことがあったろう。あれは、でまかせだ。オレに絵なんかわかるわけがないだろう」とおっしゃられたので、びっくりしました。当時の父の心情を察して、そうおっしゃったらしいのです。

――意外なことで人生は変わっていくものですね。

川田浩志氏: その先生はもうお亡くなりになられましたが、今は感謝しています。その先生のおかげもあって進んだ医学部でしたが、未練もあったのか最初の1年間は、授業では黒板を写すだけ、あとは上の空で身が入っていませんでした。そこで心配した友人から、「今、こんな授業の内容をやっているよ」と、わかりやすい微生物の教科書を渡されたのですが、それを読んでなぜか「これを勉強しなければ!」という直感が働き、そこから一生懸命勉強しました。おかげで、無事医者になることができました。

医者になって3年目に大学院へ入りました。普通、大学院の4年間のうち少なくとも1年か2年は臨床フリーになって研究生活を送るのですが、私たちは指導してくれる教授がいなくなったこともあり、それができませんでした。最初のピンチでした。

けれども、新しい教授から臨床フリーで思う存分に研究をしても良いと言われ、その結果あるプロジェクトで成果を出し、それがアメリカ留学へ繋がりました。 留学して最初の半年間は、研究がなかなか進まず悶々としていましたが、ある日ボスの提案でアメリカの血液学会で報告された研究をさらに発展させることになり、運良く研究の成果が出て学会でも発表できるチャンスが訪れました。

発表はもちろん英語でしたが、アメリカ人スタッフから発音のダメ出しを受け、ちゃんと通じるように特訓しました。その学会の発表では、絶対に失敗は許されないとボスから厳しく仰せつかっていたのです。 ネイティブの准教授に読んでもらった原稿音声を100回以上聞いて、発音からすべてを頭に叩き込みました。いまだにそらで言えるくらいです(笑)。おかげで発表後、どちらかというと厳しかったボスでしたが、そこではじめて認めてもらいました。のちのちまで良い評価を得ました。この聴診器は、そのボスからいただいたものです。

今やっているアンチエイジングに目覚めたのも、そういった研究の賜物です。 帰国後、先生方が集まるある教育関係のワークショップに参加した時に、また自分からピンチを招いてしまいました。その夜の座談会で「習う側の頭の柔らかい学生を対象にするワークショップを開催したらどうか」と、集まった先生方に向かって、生意気なことを言ってしまったのです。ちょうどその発言を聞かれた、当時学部長だった、内科学の大御所の黒川清先生から、「では、やってみなさい」とご指示を頂きました。正直、まだ自分自身の研究も中途半端でそれどころではなかったのですが、なんとか数ヶ月後1年生を対象にワークショップを開くことができました。そこから今の教育分野での仕事に繋がっていきます。

――ピンチをチャンスに変えていきます。

川田浩志氏: リスクが高すぎてもダメですが、リスクが全くないというのはダメですね。

ここでいきなり歴史の話なのですが、桶狭間の戦いで、織田信長は、今川義元率いる40000人の大軍勢に、わずか2000人で立ち向かいました。家来に、「お前ら、少ない人数は負けるという風に思っていないか。そんなことはない、世の中決まってることはない、神のみぞ知るところだ」と言ったとか言わなかったとか(笑)。結果は、ご存知の通り今川に勝利します。

意気込みを持っていけば勝てる。私はその話を無理矢理現代に当てはめて、何か新たな挑戦をしようとする学生たちには「失敗しても死にやせんだろう」と言っています。信長の勇気は素晴らしい。修羅場をくぐり抜けて自分で道を切り拓いてきた。生死をかけて2000人で突っ込んでいったことに比べれば、私たちのリスクなんてたいしたことないだろうと。

「ピンチはチャンス」です。ピンチが未来を拓いてくれている。チャンスって、ピンチのような顔をして来ます。そこを乗り越えると、実はチャンスだったんだなと気がつきます。人間は基本的には変化をあまり好みません。ピンチというのは、ちょっとしたストレスだと思いますが、しかし、そこがもしかしたら飛躍するチャンスなのかもしれないのです。

本が 一歩踏み出す勇気を与えてくれた

――そうして積まれた多くの経験、研究の成果を本に記されています。

川田浩志氏: 最初の本は『サクセスフルエイジングのための3つの自己改革』()という本でした。本を一冊書き上げ、考えた末、保健同人社に持ち込んで、出版してもらえることになりました。それからいくつか出させて頂きましたが、常に本の値段以上のものを提供したい、と思っています。そして、読んで満足ではなく、そこから一歩踏み出す応援が出来れば良いなと思います。 大学2年の時、『白い巨塔』(新潮社)を読んでいました。今でも色褪せません。登場人物たちの生き様は、私の大学人としての生活に大きな影響を与えました。

また、フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』(角川書店)からは、主人公のプロ根性に心を打たれました。また最近読んだ本では、慶応大学病院の眼科で教授をされていて、アンチエイジング、抗加齢学会の理事長をされている坪田一男先生の、『「ごきげん」だから、うまくいく!』(サンマーク出版)という本も印象的でした。坪田先生の「ごきげんだから」という信条が表れた素晴らしい本で、15年たっての復刊でしたが、感銘を受けました。

本は、一冊に経験や知識が凝縮されている素晴らしいものだと思います。私の書く本は、小説ではありませんが、励ましたり前に進む勇気を示すことの出来る本を、書いていきたいですね。

アンチエイジングでできる健康社会への手助け

川田浩志氏: 血液内科学の中に、抗加齢医学など、別の切り口でのアンチエイジングを融合して、情報発信していきたいと思っています。日本はこれから超高齢化社会を迎えますが、私が発信している、アンチエイジングの情報が、読んでくれた皆様だけでなく、さらに伝播して多くの人が幸せを感じることの出来る助けになればと思います。

現実的な問題として、医療費の増大も懸念されています。良い健康習慣が広まれば、全体の健康度も上がり、医療費も削減されます。そういった想いで書いたのが、『医学データが教える 人生を楽しんでいる人は歳をとらない』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)です。体に良い状態に保つことのできる“健康習慣”は、全く副作用のない良薬なのです。病気のせいで、本当につらい思いをされている人が、世の中にはたくさんいます。そうなる前の段階で、食い止めたい。そのための情報は積極的に発信して、ひとりでも多くの方の健康生活に役立ちたい。それが変わらない、私のミッションです。