シリーズ「ほんとのはなし」好評連載中

「本と自分を行き来することで、思考は錬磨される」(寺島実郎さん/思想家、多摩大学学長)インタビュー

知の活動拠点――「寺島文庫」から政策提言、教育、執筆と幅広い活動をされている寺島実郎さん。寺島さんを磁場とするこの空間には、多くの情報や人が集まっています。書棚に配架されたアーカイブの空間の中で、その想いを伺った「ほんとのはなし」。寺島流“思考の錬磨”とは。

寺島実郎(てらしま・じつろう)氏 プロフィール ※インタビュー当時

1947年、北海道生まれ。1973年、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。同年三井物産入社。ワシントン事務所長、三井物産戦略研究所所長、三井物産常務執行役員を務めた。 著書に第15回石橋湛山賞を受賞した『新経済主義宣言』(新潮社)をはじめ、『世界を知る力』(PHP研究所)、『何のために働くのか 自分を創る生き方』(文藝春秋)、『脳力のレッスンⅠ~Ⅳ」』(岩波書店)など多数。 最新刊に『新・観光立国論 モノづくり国家を超えて』(NHK出版6/27発刊)。 TBS系列「サンデーモーニング」や、BS11「現代ビジネス講座『世界を知る力』」など、テレビ・ラジオ出演も多数。

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寺島文庫、アクトバンクな「知の拠点」

――(九段の寺島文庫にて)素敵な場所ですね。

寺島実郎氏: 公共政策機構のシンクタンクや、教育の場である多摩大学に身をおいていますが、この「寺島文庫」が、私の活動のベースとなっています。もともと世田谷に親父が残してくれた、この文庫の原型になっている書庫があって、そこに書籍を集積していたのです。しかし、色々な連載などを書くにあたって、本がどんどん増えていきました。歴史に関する社会科学の本は、この九段の文庫には、およそ45000冊。世田谷の方にも10000冊ぐらい残っているから、全部で55000冊ぐらいあります。

今は、岩波の『世界』という月刊誌で、「近代を再考察する」という志向で「17世紀オランダからの視界」を連載しています。例えば、長崎の出島でオランダと向き合っていた、江戸時代の“日本側の知”というものの基盤を正しく認識しようとすると、儒学や国学、蘭学などを調べる必要があります。ですから、一回の連載をするたびに、およそ100冊の本が必要になります。歴史における“被写界深度を深くとる”ために、戦後史から近代史というように射程距離を深めていくと、調べる対象がどんどん広がっていきます。ユーラシア大陸からアフリカ起源のホモサピエンスが日本に流れ着いて、38000年とも言われていますが、今から2000年~3000年のゾーンを追いかけ始めると、生命科学や、人類史の話といったところまで踏み込むことになるのです。


――書くために必要な本が、これだけ必要に。


寺島実郎氏:
 世田谷に残っているのは、もっぱら小説本で、私の書き物に必要となる本は、九段に集めました。所蔵品のひとつであるペリー提督の『日本遠征記』は、本人のサイン付き原本です。ペリー提督が100冊ほど革表紙で作って、お世話になった人たちに配ったものの中の一冊だそうです。ほかにもマッカーサー元帥サイン入り『マッカーサー回想記』の初版本のほか、ケンペル著『日本誌』は1727年の初版本、そしてセオドア・ルーズベルト以降の、歴代米大統領のサインが入った文献。そして福沢諭吉の『学問のすゝめ』の「1.5版本」と言われている本や、カントの『永遠平和のために』の初版本もあります。

これらは、ワシントンの仲間が協力してくれて、私の手元に集まってきたものなのです。サロンには卑弥呼の時代の、中国の青銅製の置物など、故宮博物館モノとも言われているものもあります。ここには文庫犬として私の活動をサポートしてくれる大切なスタッフ、のエリゼ(ビション・フリーゼ、メス4歳)もいます。写真を撮ってもらうのが大好きなんですよ。


――ここ「寺島文庫」は、アクティブなアーカイブの場になっている。

寺島実郎氏: 司馬遼太郎さんの記念館などを見せてもらって、「若い人にも活用してもらわなければ、いくら本を集積していても意味がない。やっぱりアクティブな文庫が必要だ」と思ったのです。“図書館として使わせる”という意味ではなく、磁場として、空間として使ってほしいのです。ここで時間を共有した人たちが刺激を受けて、何かに気づくきっかけになればいいと思います。文庫はライブラリでアーカイブであると同時に、アクトタンク。つまり行動を起こしていく基盤なのです。

九段に寺島文庫がある理由も重要です。ここに来る学生には、ゼミよりも少し早めに来て、神田の古本屋街を歩いたり、坂の上にある靖国神社を実際に訪れて、それぞれに思いをはせてみて欲しいですね。滝沢馬琴が30年以上かけて『南総里見八犬伝』を書いたという“硯の井戸”も近くにありますし、道の反対側に建っている住友の大きなビルがある場所は、長州藩の若い藩士たちが通った、神道無念流の道場があった場所です。神田には塾や道場が集積していたし、若い人たちが向上心を持って立ち向かった、というDNAが埋め込まれている地域という面で、パワースポットとしても面白いと思うのです。こういった場所に、“知の拠点”を作っているわけです。



関連性から読み解く「本質」

――ここに身を置くと、“ここにある”意味を感じます。

寺島実郎氏: 今は、ネットでピンポイントに情報が得られるという錯覚に陥りがちですが、こういった“物理的に配架されている空間”に身を置くことも、知的活動をする上でとても重要なのです。たとえば、アメリカ論に関するものとして、原爆に関するコーナーがありますが、そこには第二次世界大戦で広島に原爆を投下した爆撃機エノラ・ゲイのパイロットだったポール・ティベッツの著書 Flight of the Enola Gay なども配架しています。背表紙を見つめていると、相互の関連性が見えてきます。そういった本と本との関係性や、シナジーを発見していくプロセスが、物書きにとってはすごく大事。それが“思考の錬磨”ということなのです。

また、1階には文庫カフェみねるばの森があって、若い人たちの集まる場にもなっています。ケンペルの『日本誌』から戦後日本を扱うということで、『月光仮面』や『赤胴鈴之助』まであるし、アメリカの代表的なキャラクターのベティちゃんとか、ほかにも色々なキャラクターグッズもあれば、プロレスの過去の名場面集など “ガラクタとお宝の混在”という、このワクワク感も私にとってはすごく大事なのです。“朱銀のシナジーが高まる空間”を作ろうという試みを表しています。

思考を錬磨する、ということ

――寺島文庫が、混在が起こすスパークを試みる場に。

寺島実郎氏: 本の売り上げなどを見ていると、最近“書”というものを読まなくなったな、と感じます。戦後間もなく、活字に飢えた青年が、発売される雑誌に群がっていたような時代とは違いますが、こういった状況下におけるやり方というのも、色々とあると思うのです。今、書店や図書館には売れ筋の本やベストセラーが多く、古典といえるものやシナジーを啓発するような本は、あまり置かれていないように感じます。だから作り手も、売れる本を意識することになります。それは一つの方向として、やむを得ないことですし、売れなくてもいいとは、私も思いませんが「出版文化や活字に命をかけている人たちは、もっとある種の覚悟を持って戦ってもいいはずだ」と思うのです。新しいものを作り出していけば、必ずその価値に気づいて、受け入れる人たちもいるはずです。ネット時代で、便利で効率的な情報にアクセスできるようにはなりましたが、逆に“深い思考の錬磨”という部分に関しては後退しているように感じます。だからこそ新たに挑戦していかなくてはなりません。

――学長を務められている多摩大学ではリレー講座や、インターゼミという試みも。

寺島実郎氏: 多摩大学リレー講座では、毎年春と秋に12回ずつ「現代解析講座」を開催し、私はそのうち、8回を担当しています。毎回、学生300人と一般の人約350人が参加していて、8年間でのべ80000人が受講するものになりました。

インターゼミは、学部生から大学院生までの30人ぐらいを5つの班に分けて、テーマを与えて、文献とフィールドワークで研究を進めます。例えば、多摩ニュータウンをテーマにした場合、そのプロセスの文献研究と同時に、足を使ってニュータウンを調べていくわけです。そうやって1年をかけて、最終的には論文にまとめます。

そういうプロセスを5年間積み上げると、多摩という地域が、歴史の脈絡の中でどのように変わっていったかが、少しずつ見えてきます。その思考の錬磨の実験をしています。 就職してから、壁にぶつかったり、挫折する人もいるかもしれませんが、それでも大学時代に頑張った人の中には、やっぱり何か残っているものがあるはずだ、という実感が私にはあります。全力をあげて何か一つでも成し遂げたものがある人と、そういった経験のない人とでは、その後の人生や仕事においても、違いが出てくるはずです。

――大学時代の経験が、問題解決への足掛かりになる、と。

寺島実郎氏: 「いい会社に入る」のが目標ではなく、社会で評価される人間になることが大切です。ある種の難しさにぶつかっても、突破していけるような人間を育てたいと考えています。それが本当の意味での教育だと思います。

何度も繰り返す「創造的破壊」

――自ら考え、実行し、突破していく。

寺島実郎氏: その過程において、本は、自分自身の物事の捉え方や、本質をグリップしていく時に、不可欠なものだと思っています。「この問題については、こういう視覚で捉えるべきだ」と、自分が思いついたように感じることもありますが、文献を調べているうちに、そういったことは、すでに多くの人たちが語っていることに気がついて、自分の力不足に傷つくことがあります。しかし、そこからさらに文献を読みこんで、自分はどういう立ち位置をとるべきか、どういう考え方をするべきかと、もう1回考え直してみるわけです。

そうやって、文献と自分のオリジナルで思いついたこととの関係性を考えて、そのテーマについての思考を錬磨していくことが重要です。傲慢な自分と、謙虚かつ冷静な自分との間を、行ったり来たりしながら、物事は少しずつ見えてくるのです。

学生も地域を調べているうちに、世界史につながっていったというような瞬間に出会うこともあります。1800年に「八王子千人同心」が、蝦夷地開墾と蝦夷地防衛という使命を受けて、北海道へ向かいましたが、その理由は「ロシアが接近してきたから」というものでした。

さらに「なぜロシアが日本に接近してきたのか?」ということを調べていくうちに、世界史が見え始めるわけです。その瞬間が、八王子の地史が世界史とスパークする瞬間で、その“気づき”が、大きな発見を生み出します。
――気づきと見直し、それの繰り返し。

寺島実郎氏:
 今、書いている江戸期の琉球と、今の沖縄の問題も、そうした今までの気づきを見直しながら取り組んでいます。ハワイの州知事であるデービッド・イゲ氏の祖父は、沖縄からのハワイ移民でしたが、彼らが移民した背景、琉球処分、現代と過去の歴史との相関、日本とハワイ、沖縄とハワイ、それから今抱えている普天間問題について、再構築して見直していきます。
本も同様です。私の最初の歴史物『1900年への旅』が『若き日本の肖像』として新潮社から文庫本の上巻として出ていますが、この下巻部分も、同様に論考を付け加えて出します。また『問いかけとしての戦後日本』シリーズは、『脳力のレッスンⅢ』として発刊しましたが、戦後70年の節目に、もう一度付け加えて“改定捕捉版”として、新たに完成させなければいけないと思っています。
原子力の部分など、いくつか気になっているところを補強して、作り直したいと思います。 私にとって“書く”ということは、彫刻を彫っているようなものです。書いて削ってみて、付け足してみる。根本的に立てた問題意識が間違っていたことに気づけば、彫刻をぶち壊したりもします。そうやって、創造的破壊を繰り返しながら、本質へと近づいていきたいですね。