独立起業を後押しした友人の父の言葉
福江氏:当時、日本はバブルでしたが、私は地方の大学生だったので恩恵はさほど感じられず、東京に出て行った華やかな同級生とは全く違って、地味な学生でした。学生時代はいろいろなバイトをしていましたが、半分以上はフランス料理店で修行していました。
それまでは特に興味もなかったのですが、高校時代仲のよかった友人が、みんな何となく大学に進む中、唯一明確な目標を持って進学せず「シェフになりたい」と辻調理師専門学校に進んだことに影響されていたんです。
――「だったら、俺も料理修行するぞ」って(笑)。
福江氏:妙な対抗心ですよね(笑)。当時、金沢には全国的に有名なフランス料理店がいくつかあったのですが、老舗高級クラブのオーナーが開いたフランス料理店で、オープニングから働くことになりました。バイトしながら、ワインは飲み放題。食べ歩きとかにも連れて行ってもらいましたね。
フランス料理店で働くまではディスコやお寿司屋さん、ビアガーデンにファーストフード店など、季節に応じてアルバイトやっていました。ただ、あくまで趣味(対抗心?)の範囲内で、飲食業界に就職することまで考えていませんでしたが、ここでの現場経験は、後に今の仕事をするにあたって大いに役立ちました。
一応、法学部ですから将来の道として「弁護士」も頭をよぎりましたが、予備校が充実した東京や大阪の学生たちには敵わないだろうと、また期間と実家の経済力もそれなりに必要だろうと自己分析してしまい、大学1年の時に早々に諦めました。
大学の講義自体は、ゼミも含めて真面目にやっていましたが、法律で身を立てていくことは考えなくなりました。ただ、「35歳までに自分の志した道のスタートラインに立とう、30歳までには当時の都市銀行の平均年収と言われていた1000万円に到達するぞ」という目標を建てました。
――どこまでも、冷静に「分析」してしまうんですね。
福江氏:自己評価はおそろしく低いと思います。それに自信もありませんでした。35歳からというのは、一緒に麻雀をやっていた友人の父親から「男は35歳で、ぐぐっと変わるぞ」と言われたからです(笑)。
「分析」と「行動力」で自分なりの道を極めていく
福江氏:就職活動のとき、株式会社TKCの創業者である飯塚毅さんが金沢に講演に来ていたのですが、そこで「会計人として命がけで仕事をしているんだ」と参加者に話している飯塚さんの姿に、迫力とカリスマ性を感じて「なんとなく面白そうだな」と思い、そこで働きたいと思って入社しました。
――いよいよ社会へと漕ぎ出します。
福江氏:与えられた場所で、ベストを尽くしました。期待もして頂いていたと思いますし、頑張ろうと思っていました。入社前は、システムの開発部門に進むつもりだったのですが、配属前の一ヶ月研修でシステムエンジニアはどうも自分の将来像に合わないと感じ、人事の方に相談した結果、新卒同期300人の中で男性では私一人だけ、営業でも開発でもない、飯田橋にあった本社組織に配属されました。法人担当として、企業に対して戦略的な会計システムの導入を提案する部門ですね。
将来の目標のために、勉強もしたいし本も読みたいということもあって「結果さえ残したら、定時に帰ってもいいでしょ」というスタンスでしたので、周囲から見れば空気の読めないやつだったと思います。もちろん普通の人は、仕事の結果とは別に周りを見て仕事しますし、それができない自分は出世も遅いだろうなとは気づいていました。
それならば自分がやることは、資格を身につけて実務能力を向上させなければと思ったんです。自分の特性も考え、アルバイト時代にもお世話になった地域の商店街の手助けができるようにと、中小企業診断士の資格を取りました。
その後、経営コンサルタントの渡辺英幸氏のもとで5年間働かせて頂きました。その間も勉強でしたが、2000年になる直前、世の中に少しずつITという言葉も出てきて、私もITベンチャーのビットバレー(渋谷)での会合に参加していました。そのなかで「寿司×IT」が頭の中でつながり、寿司職人をWeb上で派遣するサービスを思いつきました。このIT化の流れに乗ろうと決心して独立したのが、32歳の頃でしたね。
――35歳の予定より、「前倒し」の決心だったんですね。
福江氏:そこ、と決めたら突き進む性格なので、迷うことはありませんでした。今もそうですが、進んだ道がたとえ第一志望ではなくても、「もっと他にいいところはあるかな」とは思わずに、冷静な分析の中で立てた目標に向けて頑張ることを大切にしてきました。
それまでは、思いつきで「これ」と決めて進むことも多かったので、失敗の数もそれだけ増えました。でも、それも今は自分の財産になっています。あとは、何かを判断する時、今までの経験を総合的に考えた「勘」に頼る部分もあります。
それでも、これまでこうして続けてくることができたのは、周りの方々のご理解と、経営的な手法で言うとゲームオーバーにならないよう、引き際を見極めて進んできたからだと思います。リスクマネジメントは常に意識していますし、引き際にベストタイミングはないと思っています。投資したものが、損失して撤収した時は「失敗」というポートフォリオを作らないといけませんが、いつもその「引き際」判断の繰り返しですね。