出会いが人を形作るなら、本との邂逅もまた人生の大きな節目となる…。読書遍歴を辿りながら、ここでしか聞けない話も飛び出す(かもしれない)インタビューシリーズ「ほんとのはなし」。今回は物理学者、益川敏英先生の登場です。
(インタビュー・文 沖中幸太郎)
こんな話をしています…
- 家の商売で使っていた砂糖の麻袋を売って小遣いを稼ぎ、そのお金で本を買った
- 物理学者だけど、物理の本はほとんど読まない
- 僕の場合、本は捨てないんだけど「蒸発する」んですよ(笑)
プロフィール
益川敏英(ますかわ・としひで)
1940年2月7日、名古屋生まれ。日本の理論物理学者。あまり勉強好きではなかった幼少時代を経て、高校時代に当時世界的な物理学者だった坂田昌一博士に憧れ、名古屋大学に進む。理学博士号を取得後、1970年に京都大学に移り、理学部、基礎物理学研究所の教授、所長などを歴任。1973年に、小林誠博士とともに発表した「小林・益川理論」は、物質の存在の謎を解く画期的な理論として、世界中の注目を集める。2003年に京都大学名誉教授となり、大型加速器を使った観測によりその正しさが次々に実証され、2008年秋のノーベル物理学賞を受賞。2009年には京都産業大学益川塾塾頭、名古屋大学特別教授に就任。現在も研究の最前線で物理学の発展に努めている。
『芥川論』を書こうと思っていた
益川敏英氏: ぼくが覚えている一番鮮烈な「本」の体験は、小学校の5年の時。クラスで班分けされてグループ研究をした時に、調べ物で、当時名古屋にできていた鶴舞(つるま)図書館に行ったんです。調べ物をするわけですけど、小学生の課題ですから10分くらいで終わっちゃうわけですよ。時間が空いているものだから、図書館内を探検するんです。ずらりと並ぶ本の中から1冊を抜き出すときには手が震えました。そのときの感覚は、今でも覚えている。どんな本があるんだろう、どんなことが書かれているんだろうって。それまでは、学校で指定された本の一括購入だけで、たくさんある本の中から1冊自分で選ぶという経験はほとんどしたことがなかったから。
うちは実家が砂糖屋をやってたもんだから、家の近辺をうろうろしているとね「この砂糖をどこどこへ配達してこい」とかお使いを命ぜられるわけ。そんな時、親に「図書館に行って調べものしてきます」と言うとね、家を抜け出せるわけ(笑)。それで、図書館にいる時間のうち4分の3ぐらいの時間を使って『十五少年漂流記』だとか、そんなものを読んで、残りの時間を勉強にあてていました。中学生になってからは図書係。購入したものを最初に読めるわけ。そんなこともあって自分で本を買ったことがなかったんです。
中学3年になって初めて自分の意志で本を買った。実家で使っていた商売用の砂糖の空袋がいい値段で売れて、結構お小遣いになったんですよ。初めは小説みたいな文学書をたくさん買ってね。高校3年の時かな、芥川の作品はほぼ読んだよ。芥川全集なんてものは買わない。1冊ずつ古本屋で見つけてきて「あ、これ持ってない」とか言って、リスト作って消していくわけね。これだけ読んでいたから「いつか芥川論を書いてやろう」と思ったんですね。なぜ芥川は自殺しなければならなかったかってことを書こうと思った。彼は、短編が多いでしょ。どの短編でも、ストーリー展開して、見事に終わってみせるわけ。彼はそれが目的だったわけね。
でも、そんなストーリーをいくつもいくつも作れるわけはないじゃない。それで次第に追い詰められていって、何に逃げたかっていうとね、キリシタン。キリシタンの奇跡は勝手に作れるでしょ?だから、見事に終われるわけ。だからキリシタンに逃げるんですよ。しかしそれにも種が尽きるし、虚しくなるんでしょう。そこで、自殺したと。せざるをえなくなったというのが僕の説ではあったんだけども。それを書いてやろうと思ったわけ。そしたら、僕が考えたことと同じようなことを書いているやつがいたんだよ。こりゃやられたぁ~と思ってね(笑)。
若者が同世代で議論するのは非常に重要だと思います
我々が学生の頃、よく上の人から「お前たちは何も知らん」とか「本を読まない」とか言われていましたよね。確かに僕たちより10何歳上の人たちは、旧制高校で全寮生活をしているから、文理混合で活発な議論のために、文理関係なく「素養」として読書は存在していたんだと思います。
例えば「お前もゲーテも知らないのか?」ってバカにされる。彼らはそういう意味では素養があった。だけど「近頃の若者は」っていう言葉はね、エジプトのピラミッドの壁に落書きにも書いてあるらしいですよ(笑)。だから、それが本当だったら、人類は滅んでるはずなんだよ。滅んでないということは他のものに関心が移っているんだと思うんだよね。しかし、大人は若者にね、「ヘーゲルもあるよ。読んでみたら意外と面白いと思うよ」と、そういうことは伝えてあげてもいいんだと思いますけどね。ヘーゲルは難しいとは思うけど。
でもね、僕が考えるに、若者たちが自分と同じくらいの世代の仲間と議論するというのは非常に重要なんですよ。先輩、先生からお聞きすることはあります。伝わることもあります。しかしそれだけなのね。決して広がりがない。同じくらいの到達度と習熟度の人間が議論するとね、話が飛ぶのね。「お前こういうもの読んでるか?」といった時にね、読んでない時は他のものをぶつけるわけね。話題がそんなことで広がっていく。それは先生や先輩との議論ではあまり得られない体験であると思う。
我々高校の終わりぐらいから大学の初めくらいに定番であったのは、阿部次郎さんの『三太郎の日記』。だけど読んだ時に難しくてわからなかった。何回読んでも分からなかった。最近もう一回買って読んだんだけど、「なんだ、こんな簡単なことが書いてあったのか?」と思ってびっくりしました。
読んだ後にもう一度膨らむ本の言葉
でもね、こういう体験をしてみると、若い時は読むだけの準備ができていなかったんだと思う。読んだ時にことばとしてはわかるんだよ「これが何を意味しているか」っていうことはね。でも言葉というのは、読んだ後にもう一度膨らむもの。だから、「ここで言っていることは、こういうことだったのか」って分かるには、ある程度体験もいるんです。最初に本を読んだ時に、分からなくても半年経って読んでみれば分かるとかね。だから僕はね、「読んで分からなかったら飛ばしておいて、時期をずらしてもう一回読んでみろ。そしたら分かるようになっているよ」ってよく言っている。
数学の本でもそうなんだけども、実に手が行き届いていますよね。まず、最初に要約が書いてあってね。こういう本はどういうことが書いてあって、1章は何がテーマかっていうことが、初めに書いてあるのね。僕は、数学の本は、後ろから読むの。なんでかっていうと、数学の本はね、構造がしっかりしているから、たいてい最後にその本の結論が書いてある。「なになにの定義」とか。それを証明するための準備がずっと書いてあるわけでしょ? それが分かるようになるまでね、遡っていくわけ。初めから読んで分かるわけない。ずっと遡っていって、「ああ、こうか」と。分かった段階で終わるわけ。
そうするとね、とんでもないことが分かる。何かっていったら、本の中で脇道に逸れている話があるわけ。「ここのところでこういう面白い脇道があるよ」っていう。僕は、そういうのを読み落とすわけ。で、同じ本を読んだ人に「益川、お前この本を読んだって言ったじゃないか?そこに書いてあるだろう」とよく言われる(笑)。
本っていうのは、仕事場に置いといて積んでおくものだと思ってるんですよね。気が向いた時に同じような本を10冊くらい集めてきて、これどう違うか見比べながら読んだりとかするのが好き。電子書籍でもきっと、本と同じことができると思うんだけども、まだ使っていないっていうのは、私が使うことに慣れてないっていうことなんだろうね。パソコンの中で読むのはどうしてもやりにくいんですね。やっぱり打ち出して紙を見るとね、一遍に分かるんですよ。紙と電子とでどこが違うのか知らんけども、視野がやっぱり狭くなるんだと思う。
最近本書いてもね、本屋さんに平積みしてあるのは2週間くらいなんですよ。もうジャンジャン新しく生産してくるわけね。だから本を並べる場所がいるわけね。1冊置いてあった本も2週間くらいでなくなって、なくなると追加しない。最近は印刷が楽になったらしくて、本屋さんで注文すると、注文が1冊あったら1冊だけ作るわけね。だから、そういう意味で本の回転が早くなる。「この本が絶版になってしまったら大変だ」と思って買うわけですよ。
ちなみに物理学者だけど、物理の本はほとんど読まない。なぜかっていったら、論文で読むから本で読んだってしょうがない。ここに数学の本がたくさんあるんだけどね、物理屋だとね、仕事のために数学の本があると思われがちなんだけど、そうじゃないの。数学の本っていうのは面白いから読んでるだけなの。
学術雑誌はほとんどがインターネットに変わっちゃっている今、ネットの情報が、自分の研究領域の最前線の情報源ですね。だから「本」って言った時には、論文以外の本で言うと、面白いことが書いてある、じゃれることができるアイテムだと思います。僕にとって、おもちゃ箱だね。一生手放せないんじゃないかな。
(研究室の本棚を指さして)あそこに古めかしくて、細い本が20冊ぐらいあるでしょ?あれは、いまでは『岩波数学叢書』っていうのかな。一冊抜き出したら分かると思うんだけど、それはね、戦前に岩波が出したシリーズなんですね。多分、日本で最初に数学を体験的に導入した本なんじゃないかな。だから読んでもね、凄くよく分かるんです。「この学問はね、こういうことを狙っているものですよ」っていうことが初めに書いてあるんです。
最近はけしからんのでね、専門家が専門家に向けて書いてるんです。一般人が読んでも、ほとんど分からないですけどね。本文がカタカナで書いてあって、人の名前はひらがなで書いてる。それでね、傑作な話があってね。戦後にある人が、数学の本で初めてひらがなで書いた本を自分の先生の所へ持っていった。でも、受け取ってもらえなかった。「こんなものは受け取るわけにいかない。学術書ではない」と言われて(笑)。
なぜかというと、かつての日本の数学界を支えた数学者である高木貞治の『解析概論』っていう本は、本文がカタカナで書いてあったの。それを我々も読んでいたわけ。でも、最近になって、みんなひっくり返ったんだよね。だから、そのときは、本文は基本ひらがなで書いて、人の名前がカタカナ。だから、本文がひらがなの本を持って行ったら「こんなもの解析概論じゃない」って言われてしまったわけですね。でも、逆に読み慣れるとね。それの方が読みやすくなってくるから不思議なものですね。
蔵書は4か所に分散してるんだけども、1万冊くらいかな。でも小説家とかは、10万冊単位で持っていて、初めて「持っている」と言えるものらしいですよ。僕の場合、本は捨てないんだけど、「蒸発する」んですよ。これまで3分の2くらい蒸発した。なぜかいったらね、僕の研究室に若者が入ってきて、黙って本を持っていってしまうから。僕は部屋にカギをかけないからね。そして、彼らの大半は本を返さない。安田君っていうやつはもっと堂々としていてね、『益川さん、これもういらんでしょ?』とか言って、さっと持って行っちゃうんですね(笑)。シリーズになっているやつもね、シリーズ全部それごと持っていっちゃうです。だから、今持っている本の3倍くらいは買ってるんじゃないかな……。
(2021年7月23日逝去)