「東京すしアカデミー」代表を務める福江誠さん。日本初の寿司職人養成学校として、寿司をはじめ和食全般の職人を「食の技術」だけでなく、福江さんのコンサルタント経験がフルに活かさた店舗管理など、経営に関わる部分まで教えるのが特色の同校。分析と戦略に長けた「業界の異端児」は、はたしてどのように生まれ、寿司業界に新風を巻き起こしているのか。分析、判断、行動力に基づく、戦略的な人生設計を立てる福江さん流の「道の極め方」を伺ってきました。(アルファポリスビジネス配信記事です。写真/Hara・アルファポリス)
こんな話をしています……
・進んだ道がたとえ第一志望ではなくても、「もっと他にいいところはあるかな」とは思わずに、冷静な分析の中で立てた目標に向けて頑張ることを大切にしてきました
・何かを判断する時、今までの経験を総合的に考えた「勘」に頼る部分もあります
・引き際にベストタイミングはない
・寿司修行のマイノリティに門戸を開き、繫いでいくのが私たちの役割
・何であれ「道の極め方」に終わりはありません
福江誠(ふくえ・まこと)氏プロフィール
東京すしアカデミー株式会社代表取締役
JSIA寿司インストラクター協会理事長
1967年、富山県小矢部市生まれ。金沢大学卒業後、株式会社TKCに勤務。1995年、寿司業界の経営指導の草分け的な経営コンサルタント渡辺英幸氏に師事。5年間の勤務コンサルタントを経て、2000年1月独立。東京の超繁盛店「梅ヶ丘寿司の美登利」「神田江戸っ子寿司」をはじめ、数々の寿司店の経営指導にあたる。
2002年6月、日本で初となる寿司専門スクール「東京すしアカデミー」を設立し、代表に就任。卒業生は、開校以来4000名を超え、世界50カ国以上の国々で日本料理レストランの経営者や料理長として活躍している。
直営の寿司店「誠寿司」「神楽坂すしアカデミー」では、東京すしアカデミーの在校生、卒業生が中心となって運営する。 また、海外展開もしており、中国・広州に「誠寿司」を運営。 著書に「日本人が知らない世界のすし」(日本経済新聞出版社刊)がある。
人材を技術・経営の両面から育成する「東京すしアカデミー」
――寿司業界に「経営の視点」を導入した「東京すしアカデミー」について伺います。
福江誠氏(以下、福江氏):私は、経営コンサルタントとしてお寿司屋さんの経営に携わって20数年になりますが、寿司の世界は、現実問題として「飯炊き三年 握り八年」と言われるように、修業期間が長かったり、さまざまな業種業態のお店が出現したことで独立開業が容易ではなくなったりと、なかなか将来の職業として「寿司職人」というものが選択されにくい状態になっています。
自分の愛した寿司の世界が後継者不足から衰退していく状況を目の当たりにし、私は「もう一度寿司業界全体を活性化させたい」、「日本を代表する食文化である寿司の魅力を広めたい」という想いから、寿司職人養成学校としてこの学校を2002年に開校しました。本校は、本格的な寿司の技術を1年間かけて習得する「寿司シェフ」講座のほか、短期集中型のコースなど、複数のカリキュラムを組んで開講しており、国内・海外問わず寿司ビジネスを検討されている方々が集まっています。
現在は、ここ新宿本校のほか、築地校、大阪校、シンガポール校と全体で400人ほどの学生が在籍しています。日本の寿司専門の学校としては最も歴史が古く、開校から今年(2016年)の6月で、15年目を迎えました。今、卒業生は4000人ほどで、ここで学んだ技術を活かして日本だけでなく海外に出て、世界の日本食の舞台の主役として、寿司職人、料理長、レストランオーナーなど、さまざまな外国の文化の中で、 日本の食文化をしっかりと世界へ伝えようとしている方が数多くいます。
――福江さんの経営ノウハウは、ここでどのように活かされているのでしょうか。
福江氏:私自身は、主に生徒さんがここで技術を習得したあとの「経営」、数字に関わる部分を重点的に教えています。「一国一城の主」としてお店を開いた時に、将来を見据えると、やはり技術だけでなく、お店を続けていく経営のノウハウが必要になってくるからです。私自身の寿司業界に対する「想い」と、それまでのコンサルタント経験で培った「経営」の部分が組み合わさって、今の仕事へとつながっています。
周囲を観察し、「顔」を使い分ける子ども時代
福江氏:もともと私は寿司とは縁がなく、実家も富山の田舎にある普通の農家で育ちました。小さい頃は実家の農作業を手伝っていまして、家では真面目でした。
――「家では」真面目……。
福江氏:外では小学生の頃は授業中も教室にいるより外にいる方が長いような“アウトドア派”でした(笑)。家ではしつけが厳しかったので、その反動でしょうね。家族に外での悪事がバレやしないか、ヒヤヒヤしていましたよ。
そうして、周りの状況を見ながら分析し、「顔」を使い分けるような性格だったので、例えば同級生が将来を「野球選手になりたい」とか「総理大臣になりたい」と純粋無垢な夢を語る時に、「そうじゃないんだよなぁ」と、親の期待通り「国家公務員」などと書く、どこか現実を考える子供でしたね。
とはいえ、親はそんなに私の将来を限定することはなく、勉強についてとやかく言われることもなかったので、のびのびとしていました。学校の授業も好きなことだけやる。数学が一番得意でした。それ以外の科目はあまり興味がありませんでしたが、なぜか写生大会や書き初め大会になると、張り切って金賞を目指していました(笑)。
ただ祖母が教育に厳しく、大学には進学して欲しいということで、地元志向の祖母の希望通り、金沢大学の法学部に進みました。本当は「東京に行って一旗揚げたい」と思っていたのですが、塾も予備校も行ったこともなく、東大にも入れそうになかったので、自己分析をした結果、地元から一番近く「現役合格」できる国立大学ということで、そこを選びました。