こんな話をしています……
- 人生のマスタープランのようなものはまったくない
- 一番好きなのは「見る」こと
- 違う世界を知るためには、自分も変わらないといけない
- 本を読むことの目的は、本にあるものを100パーセント吸収することではなく、それを読んで、自分の考え方や行動に反映していくということ
いしたにまさき氏プロフィール
1971年大阪府生まれ。成城大学文芸学部文化史学科卒業。 Webサービス・ネット・ガジェットを紹介する考古学的レビューブログ『みたいもん!』運営。2002年メディア芸術祭特別賞、第5回WebクリエーションアウォードWeb人ユニット賞受賞。内閣広報室・IT広報アドバイザーも務める。ひらくPCバッグなどカバンデザインも手がける。 著書に『あたらしい書斎』(インプレスジャパン)、『ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である』(技術評論社)など。 『できるポケット Evernote 基本&活用ワザ 完全ガイド』(インプレス)等のガイド本や、『ツイッター 140文字が世界を変える』(毎日コミュニケーションズ)をはじめ共著も多数。
「シン・みたいもん」 https://mitaimon.com/
様々な肩書きで活躍する、ブロガー・ライターのいしたにまさきさん。「見てみたい」という好奇心で、自身が面白いと思ったものや人をつなげて自ら仕事を作っています。節目には数多くの本の存在がありました。「人生にマスタープランなし」と語る、いしたにさんの想いとは……書棚からあふれんばかりの本を取り出して、幼少期に感じていたことからお気に入りの本、読書法、電子書籍に至るまで熱い話を伺ってきました。
人生にマスタープランなし
――肩書きはブロガー・ライターとなっていますが、いろいろな活動をされています。
いしたにまさき氏: 肩書きは、3つか4つほどあって(笑)、ブログをしながら本も出しているので、ひとまとめに「ブロガー・ライター」という風にしています。行政の仕事もしていまし、「ソーシャルメディアをどう使っていくか」など、アドバイザーとして企業さんにコンサルティングもおこなっています。新製品のイベントに企画段階から参加することもありますね。
また、カバンについては、デザイナーに近いことをしています。この仕事を通じて、メーカー側の視点がわかるようになり、その延長で最近は、メーカー系のアドバイザーの仕事も増えています。
――一つの仕事が様々な形となって広がっているのですね。
いしたにまさき氏: 私が今かかわっていることは、基本ブログが源になっています。アドバイザーの仕事もブログを読んでくれた方が、「僕という人の何か」を見つけて声をかけてくれたところから始まります。本を作る時も同じです。僕の本は共著が多いのですが、スタンスは「共著者とのコラボレーション」です。そういう意味では、プロデューサー視点に近いのかもしれません。
『あたらしい書斎』(インプレスジャパン)という本も、当初は書斎とは全く違うネタを考えていたのですが、編集者とのやり取りの中で「書斎はどうか」となり、僕も「そりゃ面白い。やろうやろう」ということで作ることになりました。
僕自身は、人生のマスタープランのようなものは全くないですし、わりと何も考えていないんです(笑)。ただ、局地戦では負けたくないですし、面白くないことはしたくないので、「どこに今のベストがあるのかな」ということは考えています。
――「面白いかどうか」が、大きな判断材料に。
いしたにまさき氏: そうですね。誰かがやっているものは、その人の仕事だと思うので、自分が何かをする場合には、「これは自分が関わると面白い仕事になるかな」という視点でかかわっています。ただやるからには、届ける相手に対して裏切りたくないという気持ちでやっています。それは本を手に取ってくれた読者もそうですし、カバンづくりも同じです。
「ここだけじゃない世界」を知覚した、本との出会い
――その、考古学的レビューブログとおっしゃる「みたいもん!」には、どのような想いが込められているのでしょうか。
いしたにまさき氏: 僕が一番好きなのは「見る」ことなんです。「こう見るべき」などというのもなく、「こういう見方をして面白かった」ですね。僕は飽きっぽいというか、興味の軸がどんどん移っていきます。父親は大学教授で研究職をしていましたが、一つの事を掘り下げていくというアカデミックな世界には、僕は向かないと思います(笑)。
例えば何かをやっている面白い人がいたとします。なんだろう、「見て」知ってみたいという気持ちが生じます。ただその人がやっているものが「何か」を理解しないと、肉薄できません。僕のアプローチのパターンは、その人がしていることから入ります。「こんなものを作ってしまった人は、何を考えているんだろうか」ということの方に興味があるんです。それをブログに記しているんです。
――どんな風にして興味を持っていくのでしょう。
いしたにまさき氏: 普段何気なく触れるネットからの情報や、クチコミなど様々です。本からも、その「人」への興味が沸き起こったり、また節目節目で重要なきっかけを作ってくれます。僕にとって、大事な本が二冊あります。一冊はジュリー・アンドリュースの『偉大なワンドゥードル最後の一匹』という童話の本です。
僕が8、9歳ぐらいの頃に出版された本で、その頃に読みました。もう一冊はミヒャエル・エンデの『はてしない物語』です。この二つには共通している部分があります。両方とも童話ですが、今、僕らが暮らしている世界とは別の世界があるよという話なんです。
――この二冊からどんなことを感じたのですか。
いしたにまさき氏: 子どものころというのは、学校と家ぐらいしか世界がありません。僕は、親戚が大阪にたくさんいたこともあって、夏休みは大阪にいきっぱなしでした。だから世界としてはその3つぐらい。けれどもある日、その三つの世界を知っているだけでは解決できないような悩みが自分の中に涌き起こりました。そんなとき二冊の本を読んで、「童話とはいえ、世界って、もっと広くて色々あるんだな」ということがなんとなくつかめたのです。
「なんだ、僕の知らない別の何かがあるんだな」ということのヒントを得られたおかげで、「あわてなくていい、そのまま進んで大丈夫だ」と思うことができました。でも同時に、「違う世界を知るためには、自分も変わらないといけない」ということもわかったのです。
領域を超えた学びで得られたもの
いしたにまさき氏: そのまま自分の内面ばかりに向き合っていては、真の答えは得られないと思い、その後は自分の人格改造を意図的にやってきました(笑)。僕が通っていたのは埼玉の川越高校というところで、「ウォーターボーイズ」の舞台になった学校でした。あの男子シンクロをはじめたのは、友人なんですよ(笑)。
そこで僕は放送部をやっていました。僕は楽器を演奏するわけでもないし、自分が喋りたいわけでもない。映画を撮りたいわけでもないけど、音は好き。それで消去法で、放送部が自分には合っているのかなと思ったのです。
大学時代もずっと放送部にいましたね。これは自分の最初のキャリアにも強く影響しています。はじめての仕事は音響のエンジニアで、ラジオの仕事などをやっていました。基本的に僕は、自分で何かをやるタイプの人間ではないのだと思います。何かをやりたいという人を助けるなど、サポートをして、プロジェクトを作っていくというような形が僕には向いているのでしょうね。
――文芸学部へ進まれたのは。
いしたにまさき氏: これも大塚英志さんの『子供流離譚』という本を読んだ事が大きなきっかけとなりました。そこで民俗学に興味を持ち、子どもの時から好きだったのは歴史や考古学とはまた違う世界に面白さを感じたのです。僕が進んだ文化史学科というところは、歴史と民族と民俗の三つをやれるところでした。
成城大学はちょっと不思議なところで、文芸学部で学芸員の資格が取れるんです。僕も持っています。アート系の講義や英米文学に国学部、ヨーロッパ文化など、全部受けられました。僕は、一つのことにフォーカスできない人なので、うってつけでしたね。
あとで一番役に立ったのは、贈与論を学んだ事です。ブログが広まり始めた頃、どうも一般的な消費社会でいう尺度とは違うものが動いていると感じていました。ソーシャルメディアもそうですね。それを読み解く鍵になったのが贈与論でした。最近は評価系、評価経済などと言ったりしますが「なんだ、これ贈与じゃん」と、すぐに繋がりました。そんな感じで、大学時代は色んな本を読みあさりましたね。
リンクしていく読書
――(壁一面の書棚を見て)いしたにさんの思考体系に深く影響を及ぼした本がこちらにずらりとあります。
いしたにまさき氏: どこになんの本があるかは、なんとなくはわかっています(笑)。上の方にある本は、自分の中で評価が決まっているので、あまり出し入れはしません。この本棚を作ってくれた大工さんから「20年はいけるよ」と言われていたのですが、引っ越した初日に、書棚は全部埋まってしまいました(笑)。それでも、一時よりはだいぶ整理されました。以前は廊下も埋まっていたのです。
――今も書棚からはみ出て、至るところに本があります(笑)。
いしたにまさき氏: さきほどの大学時代に読んだ本はこの、トマス・ピンチョンの『V.』です。浪人時代にも読んでいましたが、結局、大学を卒業するまで読み終わりませんでした。世界観を理解してしまうと楽なのですが、そこまでのハードルが結構高いんです。Vという女を追いかけていく話なのですが、その中にメスのネズミなども入ってくるんですよ。それに、1章単位で時代が錯綜するので、今読んでいる時代がわからなくなることもあります。
それほどストーリーがあるわけでもないのですが、「僕は読まなきゃいけないな」とどこかで思っていました。『V.』をやっと面白いと思うきっかけとなったのは、『V.』の中でも一番面白い話である、モンダウゲンの物語、からです。 ピンチョンの話はおそらく、テクノロジーとは何かという話。
そのテーマが顕著に出ているのは『重力の虹』ですね。でも僕は『重力の虹』を、まだ読み終わっていません。主人公には他人の夢を見る能力があるという話で、日常風景から突然、夢の話に入っていくから、「えっ、僕は今、何を読んでいたんだっけ?」という感じになるのです。 人は何をしてきたのかというところで見ると、諸説ありますが、「20世紀最大の発明は、実は株式会社だった」という『株式会社』という本があって面白いですね。
それから、ここ何年かで一番感銘を受けたのは、『コンテナ物語』。実は僕らの世界はコンテナでできていたという本で、色々な人が紹介されていますが、ホントに素晴らしいですよね。
――『あたらしい書斎』にも書かれていましたが、本をジャンル分けしているのですね。
いしたにまさき氏: 執筆している時に横に置いていたのは、司馬遼太郎の本です。立花隆さんと利根川先生の対談本『精神と物質』も素晴らしいですね。親父が遺伝子系を専門にしていたこともあり、僕もそういったライフサイエンスというものに興味があります。その中でも、免疫という考え方は面白いなと思いました。おそらくネットを読み解くには免疫と贈与がセットで必要なので、環境とテクノロジーをセットにして考えないとなかなかむずかしいのです。
それから、すごく尊敬しているのは猪瀬直樹さん。猪瀬さんの『ミカドの肖像』という本からは、すごい安心感を頂きました。結論に至ることではなく、プロセスの中身が大事なんだよという猪瀬さんの考え方にはすごく共感します。
――(本棚を覗き込みながら…)。これは何ですか。
いしたにまさき氏: 文学系では、一種パロディー本に近い本ですが、ドナルド・バーセルミの『雪白姫』は大事ですね。あと、僕が大好きなのは、大江健三郎さんの『M/Tと森のフシギの物語』です。どうにも収まりきらない、おかしな人たちというジャンルで言うと、最高峰は猪木寛至さんですね。猪木さんの自伝は日本人なら読んでおいてほしいです。それから、山田風太郎の『人間臨終図巻』これも良かったですね。
それと、オクタビオ・パスの『マルセル・デュシャン論』と、現役では最高の画家であるゲルハルト・リヒターという人の『ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』です。また、さっきの『V.』のピンチョンの中でも、今のところ最高傑作と言われている『メイスン&ディクスン』も挙げたいところです。アメリカの真ん中ぐらいにある、真っ直ぐの州境の線をメイスン&ディクソン線と言うのですが、それを測量した男2人を主人公にした本です。
――マンガもちらほら、見えています。
いしたにまさき氏: そうですね。マンガだと、現役の作家の中では黒田硫黄さんの『大日本天狗党絵詞』が最高です。それから『わたしは真悟』もすごく大事。これはロボット、テクノロジーの話です。あと、やっぱり『火の鳥』ですね。
本から見える世界、書棚は知の宝庫
――本の中にメモ書きみたいなものがあったのですが。
いしたにまさき氏: カバーをかけて読み、そのカバーにメモをし、読み終わったらそのカバーをとって置いておくという読み方を、昔はしていたのです。最近は付箋を使うことも多いです。 新書やマンガに関しては、ほぼ電子書籍に切り替えつつあります。 「どうしてもとっておきたい」というものや、実は繊細な線を描く東村アキコさんのマンガの中の、気合いの入ったクライマックスシーンなど、このサイズで読みたいというものは、紙で買い直したりします。
作家との出会いという点で、電子が入り口になるのはいいと思います。でもマンガの場合、読み方によって、受け取れる情報量がかなり変わってしまうので、最初に作家が考えたサイズで読んだ方が、受け取れるものも多いのではないか、という気はします。でも、自分のおすすめの本をシェアするには、電子書籍の方がはるかに楽だったりするんですよ。
――用途に応じて使い分けているといった感じでしょうか。
いしたにまさき氏: そうですね。日本が電子書籍への対応に若干遅れてしまったのは、印刷技術の高さによる「本」というプロダクトを作る強さと、江戸時代から本を読んできたという世界と比較しても恵まれた環境にいたということでしょう。文庫本はKindleより軽いから、なかなか取って代わられないでしょう。英語の場合、日本語に比べて三倍の文字量が必要で、同じ内容を表すにも紙が厚く、大きくて重たいのです。その「ラッキーさ」が本の世界においてはあると思います。
――こういった「本棚」の存在も、大きな差になっているように思います。
いしたにまさき氏: 「自分の持っている本をどう収容するか」このへんのアイディアがもっと発展してくればいいなと思いますね。自分が読んだところの記憶や、この本とこの本を結びつけて考えた方がいいなどという、自分なりのアーカイブを本棚という形で作っていけるような仕組みが欲しいですね。
――ネット時代の「本」のあり方にも、変化が。
いしたにまさき氏: 僕は時々「学生時代にネットがなくて良かったかも」と思います。ソーシャル以降というのは、コミュニケーションが主体。それには当然、価値があるし、面白いし、そこに時間を使うなとはまったく思いませんが、自分の血肉になっていく読書の時間が削られる部分にはどうなのかと。若い自分が今の時代にいたら、はたして20年前の自分と同じ量の本を読めるだろうかと考えると、多分読めていないだろうと。
今は、寝る寸前まで人とやり取りができますよね。でも昔は、家に帰ると基本は1人なので本を読んでいましたし、移動中も本を読んでいました。今は、その時間がネットやスマホに置き変わっています。それが現状なので、良いも悪いもありませんよ。
でも、自分が読めた本のうちの何冊かを、今だったら読めなかっただろうなと考えると、今の若い人たちは大変だなと思います。それから、他人の書評なども簡単に見られるようになりましたよね。あれも、良いところももちろんたくさんありますが、それによって自分の中で、本を読む前にバイアスがかかってしまう部分もあると思います。
――「本」とのつきあい方も、どんどん変化していくのですね。
いしたにまさき氏: 逆にスマホで電子書籍を読んでいる人もいるだろうし、どんどん変わっていくと思います。本のパッケージに費やされた時間、込められたところを消化するためには、ある程度、まとまった時間が必要です。コンテンツがどうしても細分化の方向に流れていってしまうのは仕方ありませんが、そこで踏みとどまることを、ある程度意識しないと辛い時代になってきているのかなと思います。
――編集者との想いの共有も、重要ですね。
いしたにまさき氏: 『あたらしい書斎』の編集者の方は、インプレスの一連のEVERNOTE本などを一緒にやっている方だったので、お互いによく手の内がわかっています。ですから、打ち合わせというよりは、取材に行きながら、だんだん形を作っていくという感じでした。お互いにネタ出しなどもやりました。
編集者も同じですが、出版社の仕事は、まずは本のクオリティーをあげること。それから、作家の環境を整えてあげるというのも大事な仕事だと思います。今はベストセラーもなかなか出ないですし、本が売れない時代ではありますが、じゃあ本がなくなっていいのかといったら、そんなことはありません。ですから、本を書ける人が生きていけるような環境整備を、出版社にはしてほしいなと思います。
予想だにしない化学反応こそが面白い
――そのコンテンツの作り手として、いしたにさんの軸はどこにあるのでしょう。
いしたにまさき氏: 自分のことはあまり書きたいとは思っておらず、基本的には読み手側から考えたいですね。カバンについても、使う人のことを考えたい。そこを踏み外したくないですね。本を読むことの目的は、本にあるものを100パーセント吸収することではなく、それを読んで、自分の考え方や行動に反映していくというということが一番大切だと思っています。
読み手としての矜持みたいなものですよね。それをどう培っていくかというのは、コミュニケーションの中でもできるだろうし、本だけの役割ではないと僕は思います。発信者というよりは見る人。そこが自分にとっての軸だなと思っています。
――いしたにさんの熱い想いは、今どこに向かっているのでしょうか。
いしたにまさき氏: 僕は基本、ノープランです(笑)。ただ、若い世代や、あまり本を読んでいない人たちが、「何を考えて、どういう世界を作っていくのか」ということに興味があります。目標設定して、それをクリアすることをつまらないことだとは思いません。
でも、自分が設定した目標、つまり自分の出した本が目の届く範囲に留まっているということは、残念なことなのです。出版して世に一つ問うたことによって、予想もしないことが起きたりとか、何かと反応を起こして違う展開に転がっていったりすることこそが一番楽しいですね。