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門田隆将さん(ジャーナリスト)「取材は魂と魂の揺さぶり合いである」インタビュー

上原VSビラフロアの真実「これこそがジャーナリズムだ」

――いつ頃からジャーナリストを目指すようになりましたか?

門田隆将氏:私は、小学校4年の時からジャーナリストになろうと思っていたんです。スポーツをするのも見るのも大好きで、よく高知新聞のスポーツ面を読んでいたんですが、自分がその試合を見て感じたことと、スポーツ面の記事が違う。そのころからスポーツ欄の注目の記事のスクラップを始めました。そうすると、小学校高学年から中学生になっていくにつれて、「やはり違う」という違和感が強まっていった。

私は色々な本も読んでいて、雑誌の『ボクシングマガジン』も定期購読していたんです。そうしたら中2か中3くらいの時に、ハワイで行われた世界ジュニアライト級タイトルマッチのベン・ビラフロア対上原康恒の試合で、上原がベン・ビラフロアの左の強烈なアッパーをくらって、2ラウンドでノックアウトされた。私は、「上原ほどの男が何でやられたんだろう」と、釈然としなかったんです。

私は、上原は勝てると思っていた。確かにパンチ力はビラフロアが上かもしれないが、上原もパンチ力はあるし、テクニックで言えば上原が数段上だった。新聞にも試合の解説は出たのですが、納得できるものはなかった。 すると、数週間後に届いた『ボクシングマガジン』でノンフィクション作家の佐瀬稔さんが、その試合をレポートしていたんです。たった4、5分で終わった試合について、佐瀬稔さんが5ページか6ページにわたって大レポートを書いていた。私はそれを読んだ時にびっくりしたんですね。「ああ!」って。「これこそがジャーナリズムなんだ」という風に思いました。

上原とビラフロアの試合は、ホノルルで行われたんですが、実はホノルルという場所は、上原が若い時に修行していたカラカウアジムがあるところなんです。上原が世界のトップ挑戦者になって、再びカラカウアジムに現れた場面から佐瀬さんのレポートは始まっている。上原に注がれる元の仲間たちからの羨望、嫉妬の視線を佐瀬さんが描写しているんです。その雰囲気を感じて、上原自身が気負った練習をする様になる、それが普段の冷静なトレーニングと違っていて、その様子に懸念を感じたそうです。

そして、いざタイトルマッチのリングに上がった時に上原はすごいスピードでシャドーボクシングを激しくおこなった。それで、「これは…」と佐瀬さんも感じたと。上原にパンチ力があるにしても、最初から打ち合ったら相手の思うつぼになるわけですから。 佐瀬さんは、彼を普段の上原と違うものにしていた雰囲気と上原の気負いを、レポートで淡々と書いていくわけです。試合自体の描写は少なくて、上原の心理描写と、佐瀬さんが試合前に上原自身にインタビューした時の様子が書かれていて、ビラフロアにノックアウトされてレポートは終わる。

その文章を読んだ時に「ああ、すごいな」と。同じ試合を見ても、見る人の力やセンス、感性によって全く違うものが、つまり“真実”があぶり出せるということを、その時私は知りました。1つの光の当て方、そして感性、それこそが1番重要なことなんだと。中学生のころでしたが、それはあまりに強烈なものでしたね。

ーー中学生で目標とする人物に出会うことができた。

門田隆将氏:私が『週刊新潮』に入ってからね、佐瀬さんと1回お会いしたことがあるんです。その時に、「私はあなたを目標にしているんです」と言ったら、「え!」と驚かれて。「ベン・ビラフロアと上原の試合のレポートを読んで、初めて上原がああいうノックアウト負けをした理由というものもわかったし、色々な物事を見る視点というものを教えられました」って言ったら、にやーっとされてね(笑)。

私は彼の「金属バット殺人事件」を含めて、色々な本を読んでいますが、彼にとっても初期にあたるそのレポートの感想をそこまで詳しく、時間が経っているのに言う人は少ないでしょうから。その時佐瀬さんは「僕は物事を見る時に、こういう見方で良いのだろうか、ほかには何かないのだろうかっていつも思っているんですよ」っておっしゃってね。すごくうれしそうな顔をしてくれたのを覚えています(笑)



取材がうまく行った時には、できるだけ自分を殺す

門田隆将氏: 『週刊新潮』では、デスクが特集記事を書くんですが、私がそのデスクになった時、当時の山田彦彌編集長に、「お前の文章はくどい、文章は、飾ったらダメだ。お前は森鴎外を読め」って言われました。私は、どちらかというとスクープを取ってくるタイプの記者だったんですが、文章がくどくて、これでは読者がつかないと案じられたのでしょう。森鴎外の作品は『高瀬舟』や『阿部一族』『舞姫』も素晴らしい作品なので昔から読んでいたんですけれど、あらためて読み直しました。そうしたら、たしかに森鴎外は文章を飾っていないことに気づきました。

山田編集長は、とにかく「わかりやすく、読者に易しく、言葉を飾らず書いていけ」と仰った。私は最年少で山田さんにデスクにしてもらったので、そのために700本を越える膨大な数の特集記事を書く様なことになったんですが、それからは、くどい文章がないように、徹底的に気をつけました。だから、「だーっと一気に読みました」という読者の感想が、私は一番うれしいですね。

昔、『週刊新潮』全盛のころは特集記事でも、6ページくらいの記事が多かったんですけれど、そういうものを私が担当していました。文章は淀んだらいけないんです。だから言葉を飾らずに、あるがままに表現するということをずっと続けてきたんですね。

ノンフィクションは一人称ノンフィクションと三人称ノンフィクションがあるのですが、取材が詳細にできた場合は、できるだけ自分を殺して三人称ノンフィクションで描きます。主役はあくまで題材として取り上げた当事者その人であり、そしてもう1人の主役は読者です。その間に自分というライターが入るわけですが、そこで「私が私が」とライターが前面的に出てきたら、両方に不親切になってしまう。読みやすく、直接感動が読者に伝わる様に事実を客観描写していくという手法を私はとっています。

しかし、取材がいつも完ぺきにできるとは限らない。例えば、取材対象者にその時の情景や心理などを具体的に聞いていきます。きちんと聞けた場合は、描写はもちろん細かくなります。けれども必ずしもそこまで取材ができなかった場合は、どうしても一人称の私が出て来ないともたない。「その時、私はこう思った」式に、違うところで盛り上げていかないといけない。私ももちろん一人称ノンフィクションを書きます。でもその時は、「ああ、これは取材が詳細にできなかったな」ということかもしれませんね(笑)。

――何人称かを見ると、それがわかるわけですね。

門田隆将氏:取材というのは魂と魂の揺さぶり合いですので、自分の全人格を懸けて相手にぶつかっていって心を開いてもらわないと心の奥底は聞けない。それができた時はいいのですが、それには様々な条件があるし、時間的な制約もある。だから私はノンフィクション作家の方が書かれているレポートを「いやぁ、ご苦労されたんだなぁ」と思いながら読みます(笑)。

司法の分野でも「日本の勇気」を

門田隆将氏: 私自身は利用をしていないんですが、友達に特派員や駐在員が結構多くて、彼らから「お前の本は電子書籍化されてないので海外で読めない」とクレームが来ます(笑)。私自身はやはり紙の本自体が好きだし、出し続けてほしいとは思いますが、海外で読めない人が、電子書籍化されたことによって手に入るようになることは、素晴らしいことだと思います。だから電子書籍について、バッテンではないんです。

海外の読者という点では、私の本に『蒼海に消ゆ―祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』というものがあって、日系2世でゼロ戦に乗って祖国アメリカに特攻していく男の物語なんですが、たまたまブラジルの日本人会の人からこんな連絡が来たことがあるんです。なんでも日本会議が出している冊子がブラジルの日本人会に届き、そこで私の本の存在をたまたま知ったそうです。その人は、「ここで書かれているのは、自分のおじさんのことだ」と気づいたらしいんです。その人自身は移民でブラジルに渡って60年以上たち、親せきとも音信不通になってしまっている。だから、私に伝手を頼って連絡が来て、それから半年後ぐらいに、わざわざブラジルから私の東京の事務所にやって来られたんです。

それで、その方は「門田さんの本のおかげで、叔父が特攻でどういう風に死んでいって、最後にどういう言葉を残したかということが初めてわかりました」と仰った。それで私がその方のアメリカのご親戚にも連絡を取って、その人はその後アメリカにも行って、ご親戚と70年ぶりの再会を果たすという出来事がありました。私はそれを見て、「ああ、すごいな」と思いました。 海外にいる人というのは、そのくらい日本の書籍には触れられなくて、色々なものから関係が途絶している。たまたま、この方は日本会議の冊子のおかげで、遠いブラジルの地でも私の本の存在を知ったのですが、本が全て電子書籍化されたら、たとえ地球の裏側にいても、私の著作が読めるようになるわけです。せっかく一生懸命取材して、ノンフィクションを書かせてもらっているので、一人でも多くの人に読んでほしいと思っています。だから電子書籍には頑張ってほしいと思います。取材で、海外や日本の田舎にも行きますが、海外には書店が少ないし高い。田舎の書店も小さいし置いている冊数が少ないから、もう電子書籍市場は社会の要請として「大きくならざるを得ない」と思いますね。

――今後の門田さんについては。

門田隆将氏: 今後も、やはり毅然と生きた人々の姿を描いていきたいと思うんです。それは何かというと、多くの人が絶望や挫折をして、色々なところに迷い込む。迷い込んだ時にノンフィクションを読んだら、こんな絶望の中から、はい上がった勇気を持つ人たちがいるとか、こんな逆境におとしめられても日本や家族、故郷を救うために立ち向かった人がいるんだとか、そういうところを読んでくれたら、やはり勇気を持つことができると思うんです。そういう真実は、作家が小説で書くのとは違うと思います。今日本人が弱くなったと言われているけども、震災の中、あれほどの絶望を経験しても、それでもはい上がろうとしている人たちもいる。そういう人たちのためにもできるだけ「毅然と生きた人たち」の実例を、今後も自分の力で掘り起こしていきたいと思います。

今後書きたいテーマは、司法についてです。『裁判官が日本を滅ぼす』とか『なぜ君は絶望と闘えたのか』(ともに新潮社)という私の作品は司法の本なんです。『裁判官が日本を滅ぼす』をなぜ書いたかというと、日本の官僚裁判官制度というのは最悪の状態に来ていたわけです。裁判官が公務員という国民の奉仕者である意識を忘れ、驕り高ぶり、相場主義で、個別の事案も見ず、形式的に次から次に案件を処理していく悪弊に陥っていました。民事裁判も同じです。最近、私も東京地裁でとんでもない判決を受けました。ジャーナリズムの現場をまるで理解できない官僚裁判官によって、言論・表現の自由の範囲がどんどん狭められているのです。

小渕内閣の時にできた司法制度改革審議会が司法改革のために出した最終意見書が、小渕さんの死後の2001年に出ました。そこに小渕さんの遺言とも言うべき下りがあります。

「裁判の過程に国民が参加し、一般国民の健全な社会常識を裁判の内容に生かす」という言葉です。これが、今の裁判員制度につながる提言となりました。

いま刑事裁判の分野では、国民の参加によって、さまざまなものが是正されてきています。しかし、民事裁判には、全く国民の健全な常識というものが生かされていないので、やはり司法のこともこれから書いていかなければいけないと思っています。 いま、ノンフィクションの世界ぐらい悲惨な世界は少ないでしょう。まず取材にお金や手間暇が掛かる。それでいて総合誌はどんどん廃刊になっていって発表媒体も減る一方です。

昔、『文藝春秋』や『現代』、『中央公論』とか総合誌が全盛のころは、取材費にも余裕があって色々やれたんだけども、いまそういうことができなくなっている。昔はそれこそ取材記者ということで何人もの人たちが色々動きながら、単行本を出したりしていたけれど、全てがいま無くなってきています。でも、ノンフィクションという分野はものすごくやりがいのある世界なんです。(3Kどころか)10K以上の厳しい仕事ですが、けれどもこの仕事は、事実を掘り起こしていって、人間の根源を描くことができる。問題に目をつけるセンスと感受性とネットワークがあって、さらに掘り起こす意欲さえあれば、とてもやりがいがあると思います。そんなジャンルに沢山の若い人に入って来て欲しいと思っています。

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