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関根健次さん(社会起業家)「映画の力で世界を変える」インタビュー

初年度寄付金2万円……。大義に立ちはだかる現実の壁

――ようやく、「命を使う場所」ができました。

関根氏:世界各地の紛争やそれにともなう人権問題、地球規模の環境問題などを、政府の手が届かない現場で奮闘するNGO(非政府組織)やNPO(非営利団体)。彼らを支援する「募金」の仕組みをつくって支援することができないかと考え、2003年5月、私はこの会社で、「クリックから世界を変える」をキーワードに、誰でもワンクリックで手軽に社会貢献ができる「イーココロ!」というサービスを開始します。

みんなの「いい心」を形にして世界に届ける。「イーココロ!」では、世界各地のNGOやNPOに「無料で」募金ができる仕組みになっていました。協賛企業から支払われる広告費で運営して、半分は寄付に回す。サイトで買い物をするだけで募金ができる「ショッピング募金」や、旅行や保険の見直しの行動が募金になる「アクション募金」、文字通りクリックするだけの「クリック募金」と、ユーザー側は一円も負担しなくてよい仕組みをたくさん作ったんです。

やっと見つけた「使命」。企画書を手に、サイトに参加してもらえるNGOを回りました。この時も、動けば何かが変わること、そして人との出会いのありがたみを感じましたね。コンサルティングをしていた会社の社長さんに想いをぶつけ、参加してくれそうなNGOの方を紹介してもらうこともありました。NGOの方の中には、「本当に真剣なのか」と疑われることもありましたが、こちらの真剣さを汲み取ってくれ、その後は別のNGOの方を紹介していただくまでになったんです。

「これで世界が変わるかも……」。

ところが、サービス開始後は悲惨な結果でした。初年度の寄付金はたったの2万円。1日でもなく、1ヶ月でもなく1年。これが現実でした。八方ふさがりの中で、副業のコンサルタントの仕事で食いつなぐことが、この後3年も続いたんです。

――厳しい現実が、立ちはだかります。

関根氏:「新しいことが受け入れられるには時間がかかる」そう考えてはいたものの、さすがに不安でしたよ。そんな気持ちを支えてくれていたのが、妻や、会社の出資者や、ユーザーから送られてくる励ましの声。「人間、高く飛ぶ前には大きく足を曲げなきゃいけない、今が踏ん張る時だ」という声に励まされ、またユーザーからは愛のあるアドバイスをいただき、その声に耳を傾けサイトの改善を重ねていました。

潮目が変わったのは、2006年に入ってからです。その頃、世界全体に一つのトレンドが生まれた年でもありましたが、地球の環境問題に警鐘を鳴らす映画がヒットし、社会貢献を事業に据えたソーシャルアントレプレナーが「社会起業家」と訳され、日本でも注目され始めてきたんです。皆が「地球のために自分ができることをやろう」という気風が徐々に広まっていましたね。 サイト運営も寄付金もままならなかった「イーココロ!」も、そうした状況を追い風に、会員やスポンサーの増加という形で結果が徐々に表れ、緩やかに進みはじめました。

翌2007年には、ソーシャル・イノベーション・ジャパン(SIJ)が主催する、ソーシャル・ビジネス・アワードで「マイクロソフト奨励賞」をいただいたのですが、この受賞によって認知度も広まり、その年の寄付金は1000万円と前年比の5倍を達成し、着実に時代の変化を感じていました。さらに、その後は年間2000万円の寄付額を超えるほどになっていきました。



「お金」の限界と「映画の力」 ユナイテッドピープルの誕生

関根氏:それでも、世の中の「厳しい現実」は変わりませんでした。というのも、自分たちが寄付という形でお金を集められるようになっていても、世界の各地で起きる紛争は減るどころか増える一方だったからです。活動の原点となったガザ地区は、過去最悪の状況になるほど破壊されてしまっています。その現実に、またしても無力さを感じるわけですが、一方でこうも考えたわけです。「寄付」という形以外に、なにかもっといい方法があるんじゃないか。寄付は引き続き緊急支援活動等に必要なのですが、根本的に課題解決するには「人々の心を変え、行動を変えなければ」と考えていたんです。

2007年に、現社名であるユナイテッドピープルにしたのも、寄付だけではない新しい社会貢献を模索する中で生まれたものでした。当時、インターネットを中心に、人と人を繋ぐ橋渡しをしていましたが、いずれはインターネット以外の方法でも、世界中の「人」たちが民間交流できる場づくりを進めていきたいと思っていたんです。 「イーココロ!」を運営して分かったのは、人の行動を変えるのは簡単ではないということ。むしろもっとも困難だからこそ、普段の生活をなるべく変えないで済むよう“ワンクリック”の社会貢献の方法を提供してきました。けれど、行動するための場や仕組みはあっても、一番大事な行動しようと思う「きっかけ」を作る仕掛けが不足していると考えるようになったんです。

――一番難しい人の行動の「きっかけ」を作ること。

関根氏:そのきっかけとは「知る」ことです。世界には多くの問題がありますが、問題の存在を知らなければ、それに対する行動も起こせません。私も、パレスチナの子どもの夢を聞いた時のあの「衝撃」があるから行動を起こしたのです。しかし、ただ「知る」だけでは不十分です。何しろあれだけ連日、ニュースなどの報道で情報は知らされているのに、行動のきっかけにはなかなかなり得ていません。「知る」だけでなく、「感じる」ところまで踏み込まなければいけない。感動を与えるメディアが必要だと思うに至り、そこでようやく今の主軸事業である「映画配給」に辿り着いたんです。映画が行動の原体験になると考えたからです。

この時もきっかけは、やはり人との出会い・繋がりでした。JICAの青年海外協力隊員としてバングラディシュに派遣されていた大学時代の後輩を訪ねたのですが、そこで「面白い人がいるから」と紹介されたのが、現地のストリートチルドレンを支援する青年でした。話し込むうちに意気投合したのですが、その彼が現地で生きるストレートチルドレンの過酷な現実を表した映画を、4年がかりで制作していたんです。 「この映画を、日本の人たちにも見て欲しい」。そう言われて反射的に返事をしたことから、ユナイテッドピープルの映画配給事業はスタートしました。映画配給についてはまったくの素人でしたが、多くの方々の協力もあり、第一号『アリ地獄のような街』は、バングラディシュの首都ダッカで上映された年と同年に、日本での公開に漕ぎ着けました。

「ひとりの一歩」が世界を変える

――一歩一歩が実を結んできました。

関根氏:小さな一歩は確実に世界の変化へとつながっていくと思います。ほんの些細な選択が一生を変える出会いへと繋がっているかもしれません。はじまりは常に、最初の一歩で感じた情熱、人との出会いからです。そうした一歩を踏み出させる感動の力を持っているのが、「映画」だと思うんです。映画には情報を知らせるだけでなく、人を感動させ、動かす力があります。

――映画を軸に、人に出会い、繋げていく。

関根氏:国連(UNITED NATIONS)は、国家間のつながりですが、それを「人」という最小単位まで細かくしたユナイテッドピープル(UNITED PEOPLE)は、国籍を超え、宗教を超え、肌の色を超え、考えの違いを乗り越えて、共に世界の課題解決をして、「地球益」を目指しています。私たちが生きている世界には、まだまだたくさんの難しい問題が存在し、それらは一筋縄ではいかないものばかりですが、私たち一人ひとりが知恵を出し合えば、いつかは解決できるはずです。「奪い合いから分かち合いの世界へ」……。そうした未来を築いていくためのヒントとなる映画を届けたい。人と人が繋がり、アクションを起こすきっかけを、そうした新しい仲間の出会いの場を、設けていきたいと思っています。

実は今、映画を配給するだけでなく、作る側としても、すでにその第一歩を踏み出しています。新しい挑戦なので、想定外のことがこれからたくさん起こると思います。今までのように失敗することも、うまくいかないこともあるかもしれません。「何をバカなことをやっているんだ」と言われることもあるかもしれません。けれど私は、変えたい世界の現実があることを知ってしまった以上、立ち止まるわけにはいかないんです。これからも、「ユナイテッドピープル」の仲間とともに、出会いと繋がりを熱量に、心の火を燃やし続け、挑戦し続けたいと思います。

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