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梅原大吾さん「世界を制するプロゲーマー梅原大吾の 勝ち続ける「野獣」の掟」インタビュー

「自分にはゲーム以外に何もないのか」 トッププレイヤーの知られざる苦悩

梅原氏:世界一になってひと区切りついたこともあり、ゲームの他に自分にできることを探しはじめました。ところが、周りを見渡してもゲーム以上に熱中できることが見当たらなかったんです。 何かを極めようとするには、タイムリミットが迫っている。でも、ゲーム以外に向かうべき道が見つからない。ダブルの焦り。毎日、焦ってばかりで気分も最悪でした。

ゲームばかりで、何ひとつ社会で役立つことは身につけずにきてしまったので、このままでは「ヤバいんじゃないか」という自覚はありました。それで、2004年カリフォルニアで開催された格闘ゲームの世界大会『Evo2004 ストリートファイターIII 3rd』を境に、もうゲームからは足を洗おうと決めたんです。

――ラストの試合は、のちに動画投稿サイトで2000万回以上再生され、「背水の逆転劇」として話題になりました。

梅原氏:そのプレイ動画のことは全然知らなくて、数年たって人づてに知ったんです。とにかく自分の気持ちは、次に進みたいということだけだったので、後のことは気にも留めていなかったんです。ちょうどアルバイト先の飲食店で、同い年の同僚3人が大学卒業と就職で辞めていったのも、自分が次へと進む決心を後押ししてくれました。

このアルバイトも、自分を変えるための準備のようなもので、それまで、自分はすごく人見知りで、知らない人と話すのがとても苦手だったんです。「このまま一生これじゃいかんだろうと」と、それまで避けてきた接客業をあえて選びました。手と声を震わせながら、とりあえず勢いに任せて、面接の電話をかけて……(笑)。

世界一を目指す一方で、得意なことだけをやっているのは、自分では「甘えてるよな」、と考えていました。人並みの苦労や悩みも生きていくうえで絶対必要だし、経験していたほうがいいと思ってたので。とにかくこれで、自分の中でゲームの道は終了、でした。

――勝負の世界を離れて、次に進んだのは。

梅原氏:「勝負」とは無縁の、介護の仕事でした。親が医療関係だったこともあり、高齢者に馴染みはあったものの、なんとなく選んだ道だったんです。ところが、介護をやると決めた時、自分の進む道に対してはじめて親の喜ぶ顔を見ることができました。 喜んでくれたのは親だけじゃなく、施設に入所されている方々も同じでした。

勝負の世界では「勝つ」ための行為が、結果的に誰かを悲しませてしまう可能性がある。だけど、介護の世界は、直接誰かを手助けするのが仕事です。自分の行為が、悲しみではなく、喜びや笑顔を生み出す。そんな、もしかしたら普通の人にとっては当たり前のことに、感動してしまいました。 しかも、感謝されるだけでなくお給料まで貰える。

これも「働いてお給料をもらえるのは当然」と考えるのかもしれませんが 、感謝されたうえにお金をもらえることに、何度も何度も「いいのかな」と確認してしまうぐらい、今までに体験したことのない感覚だったんです。

こんな喜びを感じられるなら、世の中できついと言われる介護の仕事も、全然苦になりませんでしたし、こうやって日々安らかな気持ちで暮らしていけるのなら、と幸せでしたね。 また、介護の仕事をする中で、喜びだけでなく、自分は「人」が好きなんだということにもあらためて気がつきました。

最初は『ストリートファイターⅡ』の世界観にハマってゲームをやっていたわけですが、それをずっと続けられたのは、目の前に「人」がいたからなんですね。どうして、こういう動き方、戦い方をするんだろうって、目の前の対戦相手の心のうつろいみたいなものを、プレイを通して、いつも考えていました。



「人」を活かし、活かされる 再びゲームの世界へ進んだ理由

――「人」が、梅原さんのキーワードだったと。

梅原氏:奇しくも悩み抜いた勝負の世界と離れたところで、気づかされました。充実した介護の仕事を続けていたある日、友人からゲームの誘いを受けました。ちょうど10年ぶりぐらいに、ストリートファイターシリーズの新作が出たんです。自分にとってゲームは過去のもの、と誘われても断っていたんです。ところが、「一回でいいから」と、友人があまりに誘ってくれるので根負けしてやることに。 久しぶりにコントローラーを握った時に、不思議な感覚が蘇りました。自由自在に、画面上に動きが反映できる。自分の体が馴染んで、反応してくれる感覚。ゲーム=勝負だった自分にとって、単純に「気持ちいい」という感覚で向き合えるぐらい、自分の中でゲームとのちょうどいい距離ができていたんです。

――そこから、どうやってプロゲーマーになっていくんでしょう。

梅原氏:実はそのころに、例の「背水の逆転劇」のプレイ動画を見て、ぼくの存在を知った海外プレイヤーの間で、ネット上で「ウメハラが、ゲームを再開した」と広まってしまったんです。だんだん大きくなる声に押されて、ついにカプコンオフィシャルのイベントに招待されてしまう事態に。最初は、一度離れた世界で脚光を浴びることに躊躇し、出場するかしないか、めちゃくちゃ悩みましたが、人から求められることがやっぱり嬉しくて、「じゃあ記念に」と参加したら、全勝。そしてまた、世界大会の舞台へと進んでしまいました。

その大会でのプレイと、優勝という結果を見ていた、MADCATZ(マッドキャッツ)というビデオゲームコントローラーなどを手がける米国のメーカーが、「とことん打ち込められる環境を提供しよう」と言ってくれて……。 あまりに急な展開だったし、ほんのちょっとのつもりでしたから、最初は何度も断っていました。ところが、今マネジメントをしてくれているCooperstown Entertainment (クーパーズタウン・エンターテイメント)という会社の方から熱いメッセージをいただいたこともあって、もう一度プロゲーマーに「なる人生と、ならない人生」を考えたんです。

「やって失敗したとき、自分は嫌なのか?」「うまくいったら嬉しい」。 どんな人生もうまくいく保証はない。頭の中にモヤモヤが残る人生は、ガキのころに十分味わった。だったらチャレンジしようと。それでプロゲーマーとしてスポンサー契約を結ばせていただいて、ゲームの世界に再び、今度はプロとして戻ってきたんです。

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